箱庭での日々
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ルシルは、一命を取り留めることができた。
レグルスの指示で胃に残っていたエデンを、無理矢理水分を多量に取らせては吐き戻させることを繰り返した。
小さな口の中に指を強引に差し込み、喉の奥を刺激する。
焦点の合わない瞳から大粒の涙がこぼれ落ち、苦しむ様を見ているのは辛かったが、それでも俺はルシルを救いたかった。
生きていて欲しい。
その目が開かなくても、口がきけなくても、動けなくても、歩けなくても――
それでも。
強欲で、我が儘で、自分本位な執着だとは理解している。
そんな姿で生きるのなら、誰かに迷惑をかけるのなら、いっそ死んでしまいたいと思うような、心根の優しい性格をルシルがしているということも、分かっている。
それでも、手放すことはしたくなかった。
ルシルを失ったら――
生きる意味も、見失ってしまう。
一度は意識を取り戻したルシルだが、日に数分か、数十分か、数時間覚醒しては眠りにつくような状態だった。
レグルスはそれはかえって良いことだと言っていた。
「目が覚めている状態が長ければ長いほど、身の内に残ったエデンの成分がルシルを苦しめるでしょうから」と言う。
いつ目覚めるかは分からないから、なるだけ側に居るようにした。
人の世話などしたことはない。
最初の数日は何をして良いのか分からず、ただ体を清めて、衣服を着替えさせた。
そのうちエアリー公爵家から何人か人がやってきた。
病室に残る病人たちをどこかに運び、見舞金という名目で、多額の生活資金をレグルスと俺に渡し、掃除や洗濯といった生活の手伝いをしてくれるメイドたちを残していった。
そこでやっと、何をすれば良いのか、何をするべきなのかを教わることができた。
力の入らないルシルの体を、盥に湯を張って、布で拭いて清める。
意識のあるときは抱き上げて浴槽に湯を張り、湯にその体を沈めた。髪を洗い、体を洗う。ルシルはずっとぼんやりしていたが、ふと気づいたように恥ずかしそうに、そして申し訳なさそうに頬を染めた。
くたりと力を失った裸体はそれでも美しく、ぞくりとした支配欲のようなものをふと感じた。
浅ましいなと自嘲し、なるだけ見ないようにした。
目覚めているときは、粥の上澄みだけを食べさせる。
固形物は吐いてしまう。
泣きながら「ごめんなさい」と恥じ入るルシルが健気で、愛しい。
夜は、その体を抱きしめて眠った。
こんな時なのに。
幸せだった。
その体を抱きしめることができる。触れることができる。
ルシルはあたたかく、柔らかくて、毎日体も髪も清めているからだろう、良い香りがした。
全て――俺の物だ。
誰にも渡さない。
俺がルシルに向けている愛情とは、綺麗な感情じゃない。
仄暗く、どす黒く、泥々とした――粘着質な物。
押さえつけて閉じ込めなければ、それはきっと俺もルシルも飲み込んで――壊してしまうような物。
「ぇど……、エド、どこ……?」
今もルシルは深く眠りについている。
秋風が、カーテンを揺らす。
夏が終わり、涼しくなってきている。
目を閉じたまま、ルシルは俺を呼んだ。
「ここにいる。大丈夫だ」
俺はルシルの手を握り、言った。
薄らと開かれた薄桃色の瞳が、俺を見上げる。
きっとその瞳には何もうつしていない。
どこか別の世界を見ているようだった。
「……私、……ずっと、一緒に、いたい。……たく、ない」
「……一緒に居る。ずっと、側に」
今なんと言っただろうか。
唇が微かに動いている。
――死にたく、ない?
「きっと良くなる。元通りに戻る。ルシル、心配しなくても良い」
今の状態が不安なのだろう。
宥めるようにそう伝えると、ルシルは首を振った。
そうじゃない、違う、と、小さな声で呟く。
「春に……、私……」
「春に?」
「私は……、嘘つき、だから」
ルシルは、泣きながら「ごめんなさい」と繰り返した。
俺はルシルの手を両手で握り、祈るように額をあてる。
「……大丈夫だ、ルシル。俺が、守る。何があっても」
ずっと感じていた違和感の正体に、ようやく気づいたような気がした。
ルシルは何かを抱えている。
それが何かは分からなかったが、――春に、何かが起こるのだろう。
それを、ルシルは酷く恐れている。
まだ全てを理解できたわけじゃないが、――俺はルシルの側にいる。
何があっても、守る。
それができないときは。
俺も、共に――
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