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残された真実


 療養所に戻ったレグルス先生とフランセスに、王都への帰還を告げた。

 フランセスは「式典があるのをすっかり忘れておりましたわ」と今までの彼女らしからぬことを言っていた。

 レグルス先生が一緒に帰ってくれないのなら、自分も王都には帰らない。学園には行かないと言い張っているのを、先生は苦笑交じりに聞いていた。

 シェザード様は先生に後で少し話があると言って、私と共に部屋へと戻った。


 ジゼルが食事を用意してくれていた。

 食欲はなかったけれど――食べないと、体が弱ってしまう。

 保存食として冬の間も手に入りやすい馬鈴薯を薄く切って重ねて焼いて、チーズをかけたものを半分ほどなんとか胃の中におさめた。

 吐き気こそなかったけれど、胸が詰まるようだった。

 食事を終えた頃にエアリー家からの使者が訪れた。

 いつでも出立できる準備ができているとのこと。

 空見の予測によれば、しばらくは晴れの日が続いて吹雪かないだろうということを伝えてくれた。

 シェザード様は出立を明朝に、と決めた。

 私のことが心配だと、ジゼルも一緒に来てくれることになった。

 明朝迎えに来ると言って、使者の方は帰って行った。


 服や、肌に、血の匂いがこびりついているような気がした。

 湯浴みをして着替えると、少し良くなった。

 ジゼルが丁寧に私の髪を洗ってくれた。

 ジゼルは心配そうにしていたけれど、何があったのかは聞かなかった。

 私もどこまで話すべきか分からなかったので、何も言わなかった。

 言えない言葉が、切々と雪のように降り積もっていく。

 隠し事ばかり増えていくのに、それでも私を見限らずに、側に居ようとしてくれるジゼルの優しさが、有り難かった。


 冬の空気は、夏よりも澄んでいるように思える。

 昼過ぎにはどんよりと曇っていたけれど、夜空には満天の星空が瞬いている。

 私は窓辺で星を見ていた。

 今日シェザード様に買って頂いた首飾りは、雪の結晶のようにも、星のようにも見える。

 宝石の名前は、月長石。

 海の首飾りはなくしてしまったけれど、胸元にある月の雫がきっと――私を、それから、シェザード様を守ってくださる。

 月や星は、女神様の姿を思い出させた。

 ヴィクターは女神などいないと言っていた。

 けれど。

 女神様は、見ていてくれるのだと思う。

 善いことも、悪しきことも。全て。

 長い夢の狭間で、女神様に会ったような気が――


「ルシル……、寒いだろう。此方に」


「はい……」


 レグルス先生と話をして、ついでに湯浴みをすませると言っていたシェザード様が、部屋に戻ってきた。

 ベッドの上に座って私に手を伸ばすので、私はシェザード様の横に座る。

 シェザード様は私の体を軽々と持ち上げて、ご自分の膝の上に乗せた。

 向かい合う形になる。シェザード様の腕が、私の腰に回されている。

 診療所には案外部屋が沢山あって、一つの部屋をジゼルが片付けてベッドを運び込んでもらい寝室にしている。

 ヴィクターに乱暴された場所とは違う部屋だ。

 

 シェザード様とこうして側にいることは当たり前のようになってきているけれど、慣れるというのは難しい。

 いつも恥ずかしくて、同時に嬉しくて、それから、とても安心する。


「レグルスと話してきた。レグルスはエデンの治療に対する理解が深い。エアリー公爵領には病気で苦しむ者がいるだろうが、王都ではもっと、多い。出回っていたエデンの量が違う。だから、王都に戻らないかと提案をしてきた」


「レグルス先生は、なんとおっしゃっていましたか?」


「考えておく、と。アルタイルに協力してもらい、診療所を作りたいと考えている。エデンもそうだが……、それ以外にも、レグルスの治療が必要な者が多く居るだろう」


「シェザード様とアルタイル様がいてくだされば、カダールは良い国になります、きっと」


「ありがとう、ルシル。……その立場にいるべきかどうか、分からないが」


 シェザード様はぽつりと言った。


「……薄々は、気づいていた。ヴィクターの言葉を聞いて、疑念が確信に変わり始めている。ルシル、俺は両親に尋ねようと思っている。俺の出自について」


「シェザード様……、ヴィクターは嘘つきだと」


「あぁ。だが、あの言葉は嘘だとは思えない。偽りだと断ずるには、……どうにも、母の態度が、な」


「王妃様の……」


 シェザード様はどこか遠くを見つめるような目で、静かに頷いた。

 それから、逡巡するように押し黙った。

 私の体を抱く腕に力が入る。

 きつく抱きしめられて、私はシェザード様の肩口に頬を寄せた。


「……ルシル、春に死ぬとは、どういうことか聞いても良いのか」


 覚悟は、していた。

 恐らく問われるだろうと。

 もう、隠していたくない。

 全て、伝えてしまいたい。

 唇を開いたけれど、それはやはり声にはならなかった。


「……シェザード様、私」


「ヴィクターの話を、信じたわけじゃない。あれは俺を憎んでいただろう。だから、惑わせたかっただけ。そう思うのが賢明だろう」


 低く、少し掠れた密やかな声が、触れ合う皮膚を通して伝わってくる。

 その言葉に含まれた身を切るような切ない感情が、私の心臓を荊の茎が巻き付いたようにぎりりと締め上げた。


「嘘だと、思いたい。……どうか、答えて欲しい。ルシル、……病気なのか?」


「病気では、ありません……」


 ネフティス様との制約では、女神様と会ったこと、私が繰り返していること、そして、死んでしまうことは話せない。

 けれど、答えられる質問もある。

 きちんと否定できたことに安堵した。


「それなら、どうして。お前の命を脅かす何かがあるのか?」


「……私は、……私は」


「春に死ぬというのは、本当なのか?」


 シェザード様は私から体を離して、私の顔を真っ直ぐに見つめながら言った。

 私はひどく青ざめていただろう。

 喉が言葉に詰まり、呼吸さえ苦しい。

 喉の奥に鉛を詰められたように重苦しく、伝えられないもどかしさに涙が溜まり、頬を流れ落ちた。


 ――もう、嘘をつきたくない。


 私に残された時間は、あと数ヶ月。

 残酷なことをしているのは分かっている。でも、後悔はしたくない。

 自分勝手でも我儘でも、精一杯愛していると伝えて、愛し合って、最後を迎えたい。


「……ルシル。困らせて悪かった。もう、この話は終わりにしよう」


 シェザード様は私の頬に流れる涙を、指先で拭ってくださる。

 それから私を安心させるように、微笑んだ。

 切なげな笑みに、胸が痛くなる。

 今までわからなかったその表情の意味が、理解できた気がした。

 シェザード様は――

 きっと、知っていたのだろう。

 私が何かを隠していたこと。

 それが、私の運命に関することだと。


「……私、……ごめんなさい、私は……」


 自分の言葉で、伝えたい。

 それでも私は、シェザード様を愛していること。傷つけると分かっていたのに、そうせずにはいられなかったことを。

 私がいなくなった世界でも、シェザード様はきっと大丈夫だと、いうことを。

 幸せになって欲しい。

 本当はずっと一緒にいたいけれど、でも。


「私は、シェザード様を愛しています。今までも、これからもずっと。シェザード様だけを、愛しています。それだけは……、信じて、どうか……」


 この言葉は、呪いになるのかもしれない。

 シェザード様を縛るものになるのかもしれない。

 それでも、私には他に言えることは何もなかった。


「ルシル。あぁ、俺もルシルを愛している。尋ねたのが間違いだった。辛い思いをさせた」


 私は首を振った。

 シェザード様はもう一度強く私を抱きしめた。

 逞しい胸に頬を当てる。

 鼓動の音が伝わってくる。まるで、全て許されたように安心することができた。


「俺はルシルを信じている。疑う理由などは無い。大丈夫だ、ルシル。お前に何が起こるとしても、俺が必ず、お前を救う」


 シェザード様ははっきりとした声音で言った。

 その声を聞いていると、なんだか――本当に、大丈夫のような気がしてしまう。

 春が過ぎて、夏が過ぎて、もう一度冬になっても、ずっと一緒にいられるような気がしてきてしまう。


「お前が俺を救ってくれたように。ルシルのためなら俺は、どんなことでもする」


「シェザード様……」


「愛している、ルシル。言葉では足りないくらいに」


「私も……」


 私の言葉はそこで途切れた。

 深く長い口付けに、新しい涙がはらりと溢れ落ちた。




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