シェザード様との約束
シェザード様はむっつりと押し黙ったまま、差し出し続けている私の手を睨むように見つめていた。
けれど私がひかないことを察したのか、諦めたように立ち上がる。
そのまま私の傍らを通り過ぎて歩いていこうとするので、私は慌ててその腕をがしっと掴んだ。
ぶら下がるぐらいに必死に両手で捕まる私は、さながら暴れ馬にしがみつく騎士のようだった。
制服に包まれたシェザード様の腕は太くて、逞しい。
こんなにしっかり触れたのははじめてだ。
嬉しいのだか、悲しいのだか、良く分からない。
「――何をしている、ルシル」
「シェザード様が逃げないように捕まえています!」
私は内心の怯えに気づかれないように、大きな声ではきはきと答えた。
本当はちょっと怖い。
もう怖いものなどないと自分に言い聞かせてはいるのだけれど、持って生まれた性格というのはなかなか変えられないみたいだ。
大抵の貴族令嬢がそうであるように、男性の方に意見をしたり、強く出たりすることには慣れない。
女性は奥ゆかしくあれ、従順であれと、教育されてきたこともあるし、一度目の私がそうであったように、元々あまりものをはっきりと話すことができる性格はしていなかった。
編み物をしたり、花をいけたり、ゆっくりと庭を歩いたり。
そういうことが好きな、ごく普通の――普通だと、自分では思っていたのだけれど、そんな女だった。
だから、シェザード様に追いすがったりして怒られるのではないかと、正直なところびくびくしていた。
「……逃げたりはしない。案内をすれば良いのだろう。しがみついたまま歩くのか? 俺はそれでも構わないが」
シェザード様の口元が、皮肉気味に吊り上がった。
けれどそこからは悪意は感じなくて、どちらかというと私をからかっているような雰囲気さえ滲んでいて――私は、自分の顔が一気に熱を帯びるのが分かる。
どうしよう。
――好きだと、伝えられなくて、言葉を選んだのに。
(これでは、態度でそうだと伝えているようなものだわ……)
私はなるだけ表情を引き締めた。
それからシェザード様の腕から離れると、少しだけ距離を取る。
シェザード様は私を振り返り、手を差し伸べた。
大きな手が、長い指先が、触れて良いのだとでもいうように私の目の前に差し出されている。
シェザード様はアメジストの瞳で私を見つめていた。
何を考えているのか良く分からない表情をしているけれど、少なくとも苛立っているようには見えなかった。
――受け入れて、貰った。
それだけで、幸せで、嬉しくて、――どうしてもっと早く私はこうしていなかったのかしらと、苦い後悔が胸に滲んだ。
「案内、よろしくお願いします」
私はその手に自分の手を重ねる。
後悔しても、もう遅い。
私は一度死んでしまった。
その事実が、覆るわけじゃない。
それなら、私ができることをしなければ。シェザード様が少しでも、幸せな人生を歩むことができるように。
私はもうその希望を抱くことができない。
(何のために、もう一度やり直しているの、ルシル。後悔するためでも、恋をやり直すためでもないわよ)
私は自分にそう言い聞かせると、シェザード様を見上げて精一杯の笑顔を浮かべた。
シェザード様は、どこか戸惑ったような眼差しで私を見返す。
そして私から強引に視線を逸らすと、私の手を引いて図書館の出口へと歩き出した。
図書館から出ると、新入生の入学を祝福するように、透き通るような青空が広がっていた。
「……ルシル。……迎えに行かず、すまなかったな」
シェザード様が私の手を引いて、私と歩調を合わせて歩きながら、小さな声で呟いた。
私は唖然とした顔でシェザード様を見上げたあと、口元をだらしなく緩めた。
「それでは、明日からはきちんと迎えに来てください。婚約者ですので」
「……また、それか」
「約束をしましょう、シェザード様。用事のある日以外は、私を迎えに来ること。それと、昼食は一緒にとること。それから、週末にはお出かけをしましょう。祝春のお祭りに、一緒に行きたいと思っていたのです」
「多いな」
「はい。今まで疎遠だった二年間をとりかえすのですよ」
シェザード様がぽつぽつ返事を返してくれるのが嬉しくて、私はにこにこ笑った。
シェザード様はどこか眩しそうに、私を見て目を細めた。