ギルフォード・スレイブ
ヴィクターの亡骸が、鉄格子の向こう側に横たわっている。
床にできた血溜まりから、私の足元までまるで赤い川のように真っ赤な鮮血が流れてくる。
私の体をシェザード様が抱き寄せて、大きな両手で私の両目を塞いだ。
「ナイフなど、どうして……、一体誰が渡したのだ……!」
看守長の厳しい怒声が響く。
「牢は開かなくて良い。もう、事切れています。どのみち、引き取り手もいないでしょう。遺体は規則に則り、丁重に弔ってあげなさい」
エアリー公爵の冷静な声が聞こえる。
「殿下、ルシルさんを連れてこちらへ。こんなことになるとは……」
「ルシル、ここを離れるまで、目を閉じていろ」
シェザード様が密やかな声音で言って、私を抱き上げた。
私はシェザード様の首に縋り付くようにして、顔を伏せる。
ーー人の死を、こんなに間近で見たのは、初めてだ。
わからない。
悲しい、辛い、苦しい。
そのどれも、違う。
どう受け止めて良いのか、何を感じて良いのか分からない。
ただ、息が詰まって、体の震えが止まらない。
ヴィクターの最後に残した言葉が、頭の中に鳴り響いている。
シェザード様は私をしっかりと抱きしめるようにして、抱き上げて運んでくださった。
気づけば私は応接間へと戻っていた。
牢獄の冷えた空気が体にまとわりついているようだ。指先まで、冷たい。
エアリー公爵の計らいで、私に薄手の毛布がかけられる。
シェザード様は私にかけられた毛布で私を包むようにした。冬場に木から蔓下がっている蓑虫のようになった私を、シェザード様が落ち着かせるようにだろう、抱きしめて背中をさすってくださった。
「……申し訳ないことをしました。ナイフが、ヴィクター自身に向かったことが不幸中の幸いでした。万が一殿下やルシルさんに向けられていたらと思うと、あぁ、本当に良かった……」
「エアリー公爵。ヴィクターにエデンを売ったのは、グリーディアのドラグーン騎士団の団長だとヴィクターは言っていた」
「まさか……、誉れ高きドラグーン騎士団の騎士団長が、そのような恐ろしいことをしているとは、考えられません。何かの間違いなのでは?」
シェザード様の声音は、落ち着いていた。
騎士団長ーーギルフォード・スレイブという方の顔が、シェザード様に似ている。
そんなことを言われたのだから、その心中はきっと穏やかではないだろう。
それから、ーー私のことも。
「エアリー公爵は、ギルフォードという男のことを知っているのか?」
「いえ。ドラグーン騎士団は王家の直属部隊ですし、同盟国とはいえグリーディアに個人的に赴くということはありません。私よりも、殿下の方がご存知なのでは?」
「俺は名ばかりの王子だからな。グリーディアとの会談の場に連れて行かれたことはない。アルタイルなら、もしくは……、いや、どうだろうな。俺の知る限りでは、父や母がグリーディアに出向いたという記憶はない。……ギルフォードという名前さえ、知らなかったぐらいだ。その名は有名なのか」
「同盟国の騎士団長の名前まで知っている者は少ないでしょう。我が国の騎士団長であるハウゼン卿か、もしくは王妃様に尋ねるのが一番早いでしょうか」
「ヴィクターの話が信用できるかどうかは分からないが、その名まで口に出していたとなると、捨て置けないだろう。母上には、俺が尋ねよう。アルタイルにも協力をして貰う。このままというわけにもいかない。ヴィクターが誰かに話している可能性も捨てきれない。だとしたら、再び、エデンが出回る可能性はあるだろうからな」
「感謝します、殿下。王都に戻られるのなら、馬を準備しましょう。雪道ですから、天候を見ながら王都に向かうとなると、三、四日はかかるでしょうか。護衛兵をつけます」
「あぁ。そうしてくれ。ルシルは、診療所で待っていてくれるか」
私ははっとして、顔を上げた。
シェザード様は、ヴィクターの言っていたことについて、触れなかった。
ギルフォードに似ている、ということ。
王妃様に、尋ねるつもりなのだろうか。
それはシェザード様にとって、辛い真実になるのではないのかしら。
「私も、私も一緒に行きます。足手纏いになること、わかっています。でも、私……」
「……ルシル。泣きそうな顔をしないでくれ。あぁ、分かった。一緒に行こう。数日休んで、準備を整えたら出立しよう」
「はい……!」
シェザード様が辛い時、できるのなら私はそばにいてさしあげたい。
それに。
このまま離れ離れになってしまったら、もう二度と会えないような予感がした。