伝えられない言葉
私は辛抱強く片手をシェザード様に差し出し続けた。
内心戦々恐々としているけれど、頑張るのよルシル、と自分を鼓舞し続ける。
手を繋ぎたいという我儘ぐらい、婚約者なのだから許されるはず。
それに婚約は王家からの打診だったのだから、シェザード様がどう思おうと、私に落ち度はない。
一年間限定だけれど、しつこくシェザード様に絡み続ける私にせいぜい辟易とすると良い。
さぁ、手を取りなさい、シェザード様!
という眼差しで、シェザード様を真っ直ぐに見つめる。
アメジストに似た紫色の瞳が私を見返している。
不機嫌そうにひそめられた眉根と細められた瞳は、不機嫌なようにも困惑しているようにも見えた。
「……突然、どういうつもりだルシル。……やはり、フラストリア公爵からの命令なのか。それとも……、アルタイルに何か入れ知恵でもされたのか。どちらにしろ、不愉快だ」
視線を逸らさないように、シェザード様の顔を見つめることに集中していた私から、先にシェザード様は目を背けた。
それから、苛立ったようにそう言った。
――また、アルタイル様だわ。
この短い会話の中で、アルタイル様の名前が何度出たのかしら。
シェザード様がどうしてもアルタイル様を意識してしまうことは仕方ないのだろうけれど、それにしても――気にし過ぎじゃないかしら。
「シェザード様、今はアルタイル様は関係ありません。お父様のことも関係ありません。私とシェザード様のことを話しているのですよ」
怖くない、大丈夫、怖くない。
どのみち一年後にはお別れが来てしまう。
私とシェザード様は結婚することができないし、未来なんてない。
だから、嫌われたってかまわない。
怖かったのは、――嫌われてしまうこと。嫌われているのだと、思い知ってしまうこと。
だから私はいつも怯えて、好きだったのに何もできなくて、後悔ばかりが残ってしまった。
シェザード様に対して自分の意見を言えたことなんて、一度もなかった。
――今は、違う。
「……私は、シェザード様と仲良くなりたいのです。なんたって、婚約者なのですから。大人たちが決めたことですけれど、……私とシェザード様には、縁があったのです」
「縁、か」
「はい。ご縁を頂いたのですから、……少しでも、婚約者らしく扱って欲しいのです。さしあたっては、私を入学式の式典会場まで連れて行ってください。手を繋ぐことを忘れないでくださいね」
「……嫌だと言ったら」
「シェザード様が連れて行ってくださらないのなら、私もここで過ごします。シェザード様の隣にいます。だって、婚約者ですから」
「婚約者婚約者と、うるさい女だな、ルシル。今までのお前は、俺の顔を見るたびに怯え、隠れ、つないだ手を哀れなほどに震わせていただろう。……王位の無い王子との婚約など、嫌で仕方ないという態度だった」
私は目を見開いた。
シェザード様の口調は、どこか拗ねてるように感じられた。
馬鹿だわ、私。
シェザード様は、婚約が決まってから――晩餐会やパーティで、私のエスコートを必ずしてくださった。
途中でふらりといなくなってしまうことばかりだったから、嫌がられているとばかり思っていたのだけれど。
――私の態度に、問題があっただけじゃない。
私には妹が一人しかいない。同年代の男性の知り合いも乏しく、触れ合うことも皆無に等しかった。
だから、――シェザード様に手を取って頂くと、緊張してしまって。
顔もうまく見ることができず、体は硬くなり、表情もこわばっていただろう。
言葉だって出てこないし、シェザード様が好きだと思うほどに緊張は高まり、同時に不機嫌そうなその眼差しが怖かった。
にっこり微笑みかけることなど、できなかった。
――今は、違う。
前回の反省を生かすチャンスが、来たのだわ。
「シェザード様! シェザード様があまりにも光り輝きすぎていて、恐れ多くて震えてしまっていたのです!
嫌だなんてとんでもない、それは誤解というものです。もう震えませんし、怯えません。私はシェザード様の婚約者ですので、嫌がられても嫌われても、シェザード様の傍に居ます。だって私は、シェザード様が……っ」
――好きだと、言って良いのかしら。
私は、いなくなってしまうのに?
好きだと伝えたら、シェザード様を傷つけることにならないのかしら。
ネフティス様が「残酷だ」と言った意味が、ようやく分かったような気がした。
「――シェザード様が、今日も元気に生きていてくださって嬉しいので……!」
私の選んだ言葉に、シェザード様は訝し気な顔をしながら、深々と溜息をついた。