混濁
さほど広くない部屋には、セミダブルサイズのベッドがひとつと、頭の横に飾り棚がひとつおかれている。
物の少ない無機質な部屋に置かれた白いベッドは、まるで病室にも似ていた。
窓の外には夕闇が広がっている。
部屋は薄暗い。もう、夜が近いのだろう。
僅かに差し込む光に照らされたヴィクターの金の髪が艶やかに煌めいている。
「空腹な胃に流し込むと、かなり効くだろう?」
「……っ、は」
頭が揺れる。
私は唇を噛んで、なんとか体を起こした。
ヴィクターを睨み付ける。ヴィクターは、口元に軽く手を当てて、愉快そうに笑っている。
「さぁ、話そうか、ルシル。隠していることを、全て」
「私は、何も知りません……っ」
「その強情さが、いつまで持つかな」
ヴィクターはベッドの脇の飾り棚の上に置かれている、蓋付きの硝子の入れ物の中から、小さな丸薬をひとつ指先で摘まんで取り出した。
それから徐に私の頬を掴むと、開かれた唇の中に丸薬をねじ込む。
喉の奥まで指が入ってくる。
薬を押し込まれて、強い吐き気を感じた。
「ぅ、え……、ぁ……、っ」
喉頭が、上下する。
飲み込んでしまった。
ヴィクターの指み噛みつこうとしたけれど、顎から頬にかけてを強く掴まれているせいでそれもままならない。
解放された私は、しばらく咳き込んでいた。
喉から胃に、異物が落ちていくのがわかる。
ヒュ、と呼吸のたびに音がする。
なだめるように、ヴィクターの手のひらが私の背中を撫でた。
「大丈夫? 可哀想に」
「……っ、最低、……っ」
「何とでも言えば良いよ。そのうち、君は従順になる。それまでの無駄な抵抗だと思うと、可愛い物だね」
「最低、最低……、あなたなんて、大嫌い、です……!」
「人を罵倒したことがないんだろうね、ルシル。まるで小鳥が囀っているようだ」
「触らないで……っ」
私は身をよじってヴィクターから逃げた。
その程度しかできないことが悔しい。
唐突に、全身の血液が沸騰するような、皮膚の下を何かが這い回っているような、奇妙な感覚が体に訪れる。
(気持ち悪い……)
目眩がする。
ベッドの上で、私は自分の体を抱きしめるようにして体をまるめた。
呼吸が勝手に早まっていく。
苦しくて、喉に手を当てる。
手のひらに、硬い感触がある。
シェザード様に買って頂いた、首飾りだ。
海を凝縮したような色合いの、宝石のような硝子が手に触れている。
(シェザード様……)
私はそれを、握りしめた。
「それは、大切な物? 尊い身分の君がつけているにしては、随分安物だと思ったけれど。シェザード第一王子殿下ではなくて、エドから貰ったものだろうね、きっと」
「嫌……!」
ヴィクターの大きな手が、長い指が、無理矢理私の手を開かせた。
首飾りを無造作に引っ張り上げられて、まるで宙づりになるようにして首が浮く。
苦しい。痛い。
「触らないで、やめて……」
「俺がもっと良い物をプレゼントしてあげるよ。君には、そうだね……、こんな硝子ではなくて、黒真珠とかはどうかな。今度、一緒に買いに行こうか」
「嫌……、いやぁ……!」
ぶちっと、紐がちぎれる。
私の首から首飾りが奪われて、床に投げ捨てられた。
ヴィクターは私の両腕を掴むと、ベッドに押さえつける。
私の上に馬乗りになったヴィクターが、私を見下ろしている。
整った顔立ちに、嗜虐的な笑みが浮かんでいた。
景色が、ぐらぐらと揺れる。
瞳に涙の膜がはって、視界をさらに歪ませた。
「そろそろ、言ったらどうかな。酷いことはしたくないんだよ、ルシル。まずは、エドのことから尋ねようか。隠していることを、教えてくれる? エドは、シェザード殿下には、誰の血が流れている?」
「知らない……、知りません……、シェザード様は、ガリウス王家の方です……」
何を言っているの、ヴィクターは。
どうして、そんな風に思うの?
目眩はするのに、現実の形がぐにゃりと形をかえて、まるで窓に落ちた雨粒のようなのに、頭の中は妙にはっきりとしている。
冴え冴えとした思考回路が、私の記憶を呼び起こした。
まるで、私ではない別の誰かが、言葉を話しているようだ。
私は黙っていることを選択しているのに、言葉は唇から溢れる。
「国王陛下は……、シェザード様がグリーディアのことについて、触れると、随分お怒りになったよう、で……、アルタイル様は、奇妙だと言っていました……」
「そう。良い子だね、ルシル。教えてくれてありがとう。なるほどね」
ヴィクターは何かに納得したように、満足げな表情を浮かべた。
「良いことを聞いた。エドのことはもう、分かったから良いよ。……さて、ルシル。君は何を隠している? どうして、死を恐れる? 俺に殺されると思っている?」
「違います、私は――」
「じゃあ、何? 病を隠している?」
「病……、病、……治らない、病……」
女神の名前を、呟こうとした。
喉の奥で息が詰まり、声が出ない。
「じゃあ、質問を変えようか。ルシル、君はいつ、死ぬ?」
「春に、なったら……」
それは、約束だから。
声が出ないけれど、唇だけが、動いた。
「約束……?」
ヴィクターの眉が、訝しげに寄せられる。
「自制心が強いね、君は。もう少し、心を楽にしてあげるよ」
ヴィクターは私の上から退いた。
それから、もうひとつぶ丸薬を取り出すと、私の口の中にねじ込んだ。




