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自白剤


 ヴィクターは少しだけ食べたパンが乗った皿をどけて、テーブルの上に肘をついて両手を組んだ。

 黒縁の眼鏡の奥にある冷たいアイスブルーの瞳が、私を興味深そうに見つめている。

 エデンという薬を、私も飲んでしまった。

 そう自覚した途端に、まるで殴られたような衝撃に頭がぐらりと揺れた。

 視界が、グルグル回っているみたいだ。

 体がどこにあるのかわからない。ふわふわとして落ちつかず、私は両手で自分を抱きしめるようにして俯いた。


「アダモス・ダルトワを助けることはできない。廃棄置き場の塵の体を何人も調べ尽くして分かった事だけれど、父の病気は体の内部を侵食する。痛みを訴え出す頃には病巣が大きく育ちすぎていて、切除することもできない」


 ヴィクターの視線が、白い皿の上で細切れになったパンに向けられる。

 それから、小さくため息をついた。


「けれどね、ルシル。父に生きていて欲しいと思っていたのは、俺だけらしいんだよ。父の体調が悪化すると、すぐに跡目争いが始まった。うんざりするよね。皆、父に救われたはずなのに」


「あなたが、……跡を継ぐのですか」


 私の口から勝手に言葉が紡がれる。

 聞きたくないし、知りたくもないのに、体が操られているみたいだ。


「俺がファミリーの一員だったのは、父がいたからだ。いなくなってしまえば、もう興味もない。ただ、苛立ちは、するよ。自分のことしか考えていない幹部の連中たちにも、それからーー孤児だと偽っていた、エドにも」


「シェザード様には、それは必要なことでした。それこそ、あなたには関係がない」


「貧民街の孤児がどうやって生きているのか、知らないだろう、ルシル。エドも、ね。シェザード殿下が城でどれほど不遇な扱いを受けていようが、その暮らしは孤児とは比べ物にならないほど豊かなものだろう。それなのにーー馬鹿にしていると、思わない?」


「思いません。シェザード様は、辛い思いも、苦労も、努力も、沢山されています。あなたのように、人を傷つけたりはしない。優しくて、強い方です」


「よほど、エドが好きなんだね、ルシル。それでこそ、連れてきた甲斐があるというものだよ」


 ヴィクターは笑みを浮かべる。

 それは、深い井戸の底を連想させる、仄暗いものだった。

 ヴィクターは立ち上がる。私の背後まで来ると、私の両肩に後ろから手を置いた。

 大きくてかさついた手の平の感触に、全身の皮膚が粟立つのを感じる。


「父が、苦しみ動けなくなり、廃棄部屋にいる連中のような無様を晒すところは見たくない。だから俺は、優しい最後を与えてきた。王都にあるファミリーの屋敷のベッドの上で、今頃は事切れているだろうね。エドはその場所に君を助けに行くかもしれないけれど、そこにいるのは死んだ父だけだ。愉快だね」


「大切なお父様を、あなたはーー」


「殺してきたよ。そのほうが、幸せだと思ってね。父は役立たずを一番嫌う。今の父が一番役立たずだ。きっと喜んでいる」


「ひどい……」


「父のことも、ファミリーのことも、もう良い。ルシル、君は俺に現れてくれた天使だ。君のおかげで、全てに片がつく」


「どういうことです?」


 ヴィクターは私の首に両腕を回して、背後から抱きしめるようにすると、耳元に唇を近づけた。

 振り払いたかったけれど、体にまるで力が入らない。

 どの程度飲まされたのかはわからない。でも、脱力感と、酩酊感にも似た全てをさらけ出して泣きじゃくりたくなるような衝動が、体を支配している。


「シェザード殿下と、フラストリア公爵は、ファミリーを潰してくれる筈だ。王都にある本拠地では、もうすでに戦争が起こっているのではないかな。そこには君も俺もいないけれど、俺にとってもうファミリーは邪魔だから、それで良い」


 囁くような言葉が、鼓膜を揺らした。


「ここは、見つからない。もし見つかったとしても、エドが君を助けに来る頃には、君はもうエドを忘れている。素敵な悲劇だよね。これは、孤児だと身分を偽った罰だよ」


「あなたは……、シェザード様が憎いのですね」


「そうだね。それとーー君にも、興味がある。ルシル、知っていることを教えてくれるかな。シェザードが何者なのか。あれの出自は、この国ではないのではないかな」


「何を言っているの……?」


「それから、君のことも。……馬車の中で気絶した君は、何度もうわ言を繰り返していた。ごめんなさい。それから、死にたくない、と」


「そんなこと、私は……」


「言っていたよ。言葉にはならなかったけれど、唇が動いていた。君は病気なのか、それとも何か、隠しているのか」


 私は弱々しく首を振った。

 どちらの質問にも答えることができない。

 シェザード様の出自のことなんて、私は知らない。シェザード様ご自身も、知らないことだろう。

 私のことは、女神との約束がある。

 ヴィクターは私を抱きしめる腕に力を込めた。

 まるで首を絞められているような、苦しさを感じる。


「答えてくれないのなら、もう少し楽しもうか、ルシル。エドがここに来るまでは、まだ時間があるだろうしね」


 ヴィクターは私の体から手を離すと、腕を引っ張って強引に椅子から立たせた。

 それから、ダイニングの奥にある寝室のベッドに、私の体を投げ捨てるようにして押し倒した。




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