災いか救いか
ヴィクターの診察は、その後もしばらく続いていた。
先程のーー痛みをとる薬を渡す場合もあれば、他の診断をして、私もみたことのある滋養にきく薬を渡す場合もある。
けれど大多数の人々が、体の痛みを訴えて、先程の薬を貰って帰っていった。
壁際に立ちすくんでいる私のことを尋ねられると、ヴィクターは「新しい世話人だよ。そのうち、俺のお嫁さんになってくれるかもしれないけれど」と冗談混じりに紹介していた。
私はヴィクターを信じて通っている患者様たちの手前、ヴィクターを睨みつけるわけにもいかずに、曖昧に笑って誤魔化した。
(ここでは、ヴィクターは、ヴィクトル先生。親身で、優しそうに見えるけれど……)
医師のように振る舞うヴィクターを見ていると、勘違いをしそうになる。
けれど、ヴィクターは奥の病室にいる方々のことを、『塵屑』と言った。
シェザード様を嘲り、エレインさんを攫おうとしたり、女の子を人質に取るようなーー最低な男だ。
それなのにーーこうして人々を騙して、慕われている。
(酷い男……、人を騙すことを、なんとも思っていないのね)
それでも、ここに訪れる方々は、ヴィクターに先程の女性のように、お礼を言って帰っていく。
余命いくばくもなく、苦痛を耐えるしかない方々が、痛みが嘘のように消え失せた、と。
家族や愛する人と、穏やかな時間をーー最後に送ることができるのだと。
(シェザード様に、会いたい)
私はーー愚かだ。
どこまでも、愚かだわ。
自分一人だけが不幸だと思って、悲しみに打ちひしがれて、シェザード様を傷つけるのが怖くて、離れようとさえ、思った。
私の命は蛇足だからと、もうーー消えてしまっても良いとさえ、思っていた。
『最後まで、愛していたことを、精一杯伝えたい』
先程の女性は、そう言っていた。
残された時間を、娘さんのために懸命に使おうとしていた。
きっとあの方の娘さんは、あの女性がいなくなってもーー強く生きていけるだろう。
悲しみは深いかもしれないけれど、愛された記憶があれば、きっと。
ーーそれなのに、私は。
もっと、伝えたい。
好きだと。愛していると。私にとって、シェザード様は、ただ一人のーー愛する人だと。
「面白いよね、ルシル。同じ薬がーー人を救うこともあれば、破滅させることもあるのだから」
いつの間にか、患者様の来訪が途切れていたらしい。
ヴィクターに話しかけられて、私は伏せていた顔を上げた。
私がここに連れてこられたのは夜だった。
今は、昼下がりだろうか。
もう、夕方に近い。
空腹と、喉の渇きを感じる。こんなときなのに、体というものは正直にできているらしい。
「奥の廃人たちを見ただろう? あれらに与えた薬と、痛みに苦しむ死を待つだけの者たちに与えている薬は同じものだ。少し、分量を間違えるだけで、あっという間に楽園の住人が出来上がる。エデン。楽園の名を冠した薬の効果は、伊達じゃないね」
「……偽物のくせに」
「偽物、ではないよ。偽名は使っているけれど、俺は医者だ。元々この診療所の持ち主の、レイル先生の教え子でね、レイル先生が死んだ後、俺がここを引き継いだ」
「どちらが、本当のあなたなの」
「どちらも本物の俺だね」
ヴィクターは、軽く首をかしげた。
それから、ベッドを指で示す。「座ったら、疲れるだろう」と言われたので、私は首を振った。
「強情だね、ルシル。ここで座ろうが、立っていようが、状況が変わるわけじゃない。それなら座ったほうが賢いと、俺は思うけれどね」
「……あなたのいうことを聞きたくない」
「別に構わないけれど」
「人を救うための薬なら、そのためだけに使うべきではないのですか。……どうして、残酷なことをするのです」
「薬は、ただの物だよ。そこに意思があるわけじゃない。そして俺たちはただそれを売っているだけだ。どう使うのかは、買った者の自由。廃人になるような連中は、薬のもたらす幸福と、快楽に溺れてーー楽園の住人になることを選んだだけだ。元々、エデンはーーただの痛み止めだったんだよ」
「……痛み止め」
「あぁ。そう。元は、隣国のーーグリーディアの騎士団が、使っていた痛み止めだ。兵士は、戦争で怪我を負うからね。手や足を失う場合もある。骨を折る場合も、内臓を潰される場合もある。どうにもならない痛みを和らげるために作り出された、シュトロワの葉から抽出された薬物。葉を乾燥させたものを炙る場合もあれば、炙った後に出た成分を集めて、固めて丸薬にする場合もある」
「それが、どうして……」
「俺の父は、病気なんだ」
ヴィクターは、ポツリと言った。
それは今までのヴィクターの軽薄な口ぶりとは違う、どこか感情が欠落したような声音だった。




