守るためにできること
女の子の母親が、「ジュディ、ジュディ!」と半狂乱になって名前を呼んでいる。
涙に頬を濡らしながら必死に手を伸ばす母親を、父親が厳しい表情で抱えていた。
その瞳は、責めるように私を見ている。
私たちが原因でジュディは巻き込まれてしまった。
憎しみにも似た感情を宿した視線が、私に注がれている。
それは父親だけではなく、成り行きを見守っている集まった人々からも感じられた。
それだけ――皆、ダルトワファミリーを恐れているのだろう。
「さぁ、選ばせてあげよう、ルシル! 選択は二つきりだ。エド、この哀れな少女の命を省みず、俺に剣を向けて愛した女を守るか。それとも――ルシル。君と引き換えに、少女を助けるのか!」
大仰な仕草で、良く通る声で、ヴィクターは言った。
それは先ほど劇場で見た、舞台役者のようだった。
「屑が……!」
シェザード様が吐き捨てるように言う。
私は――私は、これが、私のせいだと言うのなら。
選択肢は、ひとつきりしかない。
「――分かりました。私は、あなたと共に行きます。だからどうか、その子を離してください。誰にも、手を出さないで、酷いことをしないで」
一歩前に踏み出そうとした私を、シェザード様の手が庇った。
ヴィクターは嬉しそうに微笑む。
「ルシル、君は自分の命を軽んじる傾向にあるようだね。他者のために自らを悩みもせずに投げ捨てる。素晴らしく馬鹿馬鹿しい最低な自己犠牲だよ。君はあまりにも愚かだ。だからこそ、美しく感じるのだろうね」
「……っ、駄目だ、ルシル。お前は逃げろ、俺が……」
「聞きましたか、お集まりの皆さん! シェザード第一王子殿下は、己の愛する女を優先し、幼い少女を見捨てるそうです! それでこそ、国王になれない第一王子のあるべき姿! 民を顧みることなく、己を優先する――流石は、役立たずの第一王子だ!」
悲しそうに、苦しそうに、嘲笑するように、責めるように、ヴィクターは抑揚のある良く通る声で言った。
まるで――少女を誘拐しようとしている自分に、正義があるような言い方だった。
どう考えても、非があるのはヴィクターやダルトワファミリーだというのに。
それなのに、ヴィクターの言葉に扇動されるようにして、集まっている人々から大きなざわめきが起こった。
ざわめきの中に、聞くに堪えない罵倒が混じっている。
私の中に、全身の肌が粟立つような、今まで感じたことのない感情がわきおこる。
これは、怒り。
激しい、憤り。
私はシェザード様の腕を掴んだ。
「私は、大丈夫です。あの子を、助けてあげてください。民を守るのが、貴族の役割なのですから」
「ルシル――」
「お願いです。……私は」
私の命は――蛇足だ。
誰かを助けるために使うことができるのなら、そうするべきだろう。
違う。
これは、いいわけ。
(私は、――どこまでも、自分勝手だ)
私は私の罪から逃れるために、自己犠牲を選んだ。
それでも、これ以上シェザード様を罵倒されるのは、許せない。
幼い命が危険に晒されることも、ダルトワファミリーの存在を知りながら何もしない国の有様も、シェザード様の話を聞こうとしない国王陛下も、王妃様も、全部、許せない。
「私が欲しいというのなら、どうぞお連れください。それであなたの気が済むのなら。けれど――シェザード殿下や、フラストリア公爵家を敵に回したこと、後悔することになるでしょう。誰が善良で、誰が邪悪か、――女神様は見ています」
私はしっかり顔を上げて、なるだけはっきりと言った。
人々のざわめきが、しんと静まる。
私の腕を掴むシェザード様の手をそっと握って、離した。
シェザード様の手は、震えていた。
「私は、大丈夫です」
もう一度、繰り返す。
大好きです。
愛しています。
最後に伝えたかったことはたくさんあったけれど、――どの言葉も、きっと、呪いになってしまう。
私は、いつも駄目ね。
なにをどうしても、シェザード様を傷つけてしまう。
それならいっそ――春を待たずに、消えてしまえば……。
誰かの命を救うためにもう一度生かされたのだと、思うことができれば――後悔はしなくてすむ。
怖くはない。
だって――どちらにしろ、私の命の灯火は、消えていっているのだから。
「ルシル、……必ず、助ける」
「……ごめんなさい」
苦しげに囁かれた言葉に、涙が流れた。
ごめんなさい。
傷つけてしまって、苦しめてしまって。
私はヴィクターの元へと真っ直ぐに進んだ。
ヴィクターは私の手を掴んで思い切り引っ張った。
よろける私を、ヴィクターの周囲に控えている男たちが荷物のように抱え上げる。
「約束だ、離してやれ」
ヴィクターに命じられて、少女が男の拘束から離される。
少女は泣きじゃくりながら母親の元へ走り、母親がその体をしっかり抱きしめた。
シェザード様が剣を抜いたのは、それと同時だった。
一息に、私の元まで駆ける。
けれど――今まで動こうとしなかった兵士たちが、シェザード様の前にまるで幾重にも敷かれた塀のように立ち塞がった。
剣が合わさる音がする。私を呼ぶ、シェザード様の声。それから、フラストリア家の従者の声。
「残念だったね、警備兵は皆買収してある。どいつもこいつも、金に弱い。エド、権力などは塵だ。この世は金が一番強いんだよ、思い知っただろう!」
シェザード様が兵士の囲いを抜けようとしている。
圧倒的な強さで、買収された兵士たちを切り伏せていく。
けれど――ヴィクターと男たちは、私を連れて悠々と歩き、路地の向こう側に用意してあった馬車に私を強引に押し込めた。
ヴィクターと私を乗せた馬車が、夜の街を走る。
せめてと、暴れようとした私の口に、布があてられた。
甘い香りを感じたのは一瞬で、視界が黒くなり――意識がふつりと途切れた。




