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私の命の使い方


 劇場の外には、松明が焚かれている。

 夕闇がすぐそこまで迫ってきていて、広い通りに何本も横に走っている路地の奥は真っ暗で何も見えないぐらいだ。

 劇場の周囲だけが、賑やかで明るい。

 迎えの馬車が何台も劇場前の広場に停まっていて、帰りを急ぐ人々で賑わっている。

 あと少しで夕暮れだ。

 日が暮れてしまえば、街の中でさえ安全だとは言えない。


 私はシェザード様に手を引かれて、馬車へ向かった。

 叫び出したくなるような焦りと閉塞感と、どうしようもないやるせなさに、心が、体が、ばらばらになりそうだった。


(何をしているのかしら、私……)


 シェザード様が好き。

 私も、演劇の中の夫を愛し続けた女性のように、シェザード様が、好き。

 けれど、あれが私の姿だとしたら、なんて――酷い。


 シェザード様は、変わった。

 笑顔が増えたし、優しさも思いやりも見せてくださるようになった。

 もちろんそれは、もともとシェザード様が持っていたものなのだろう。

 心が壊れそうになるような環境の中でも失われなかった、シェザード様の強さだ。


(私は……、まるで変わっていない)


 一歩前に踏み出したと思ったら、二歩後ろに下がっている。

 未来を悲観し、罪悪感に首を絞められて身動きが取れず、何も、できない。


(どうしたら良いの?)


 死にたくない。(約束は、変えられない)


 シェザード様とずっと一緒にいたい。(それは、できない)


 シェザード様に幸せになってほしい。(私を、私をずっと、愛していて欲しい)


 あぁ、これは、本音。

 私の、本音。

 私はシェザード様を愛している。それだけで良かったはずなのに、それでは足りないのと、泣きじゃくっている。

 幼い子供と同じだ。


 認めてしまえば、少し、楽になった。

 私は、結局ただの人間でしかない。悲しみも、嫉妬も、怒りも、見ないふりをしたところで私の心には存在している。

 聖女のようにはなれない。


 せめてーー罪を、償いたい。

 残り少ない私の命を、誰かのために使えたら、少しは――この苦しさから、逃れることができるのかもしれない。


「……ルシル、急ぐぞ」


「どうしたのです?」


 シェザード様が、私の腕を強く引っ張った。

 シェザード様の視線の先を私は追いかける。

 人混みの中に、身なりの良い方々に混じって、どうにもあまり素行の良くなさそうな男性たちの姿がちらほらある。

 それはかつて、王都の街の路地裏で邂逅した男性たちに、似ているような気がした。


「あの方達は……」


「――人混みに紛れて、悪事を働くものがいる。関わらない方が良い」


「でも」


「ルシル」


 厳しい声で、シェザード様が言う。

 私はちらちらと、宵闇に紛れるようにして人混みに視線を送っている男性たちを見る。

 そして――見てしまった。


 その方達の一人が、身なりの良い幼い女の子を抱えているところを。

 遠く、母親と思しき方が、女の子の名前を呼んでいる。


「シェザード様……!」


「ルシル、兵士が動かない。……つまりは、そういうことだ」


「……っ」


 ダルトワファミリーには、誰も手が出せない。

 いつかシェザード様が話してくれたことを思い出す。

 女の子は、泣きじゃくっている。

 皆、見ないふりをしている。


 まるで、あの時と、同じ。

 路地裏で見た光景と。


 動物は、一頭でも多くが助かるために、群れをなすという。

 弱いものが先に肉食獣に狙われる。

 けれど、それは自然の摂理だ。だから、仕方ない。


 でも――私たちは、人間だわ。


 目の前で幼い命が奪われようとしているのに、見ないふりなんてできない。


「シェザード様、ごめんなさい……!」


 こういう時は、思わぬ力が出るようだ。

 もしかしたら――私は、自棄になっていたかもしれない。

 己の正義感に酔っていたのかもしれない。

 自己嫌悪と、罪悪感から逃れるために、人助けという正義に縋った。

 無力な自分を知りながら。


「その子を、離しなさい! 私はルシル・フラストリア! フラストリア公爵家の長女です、私の言うことを聞きなさい!」


 シェザード様の手を振り解いた私は、女の子を連れ去ろうとしている男に向かって大声をあげていた。

 私を中心に、人混みが分かれる。

 いつの間にか人数を増やしていた男たちは、愉快そうな表情で私を見た。

 それは――今まさに獲物を狩ろうとしている、肉食獣のそれだった。


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