観劇への誘い
月日は瞬く間に過ぎていく。
シェザード様は日中はお父様に公爵家の仕事を教えて貰ったり、趣味の狩りや釣りに連れて行かれたり、カイザルさんと手合わせをしたりして過ごしていた。
私はカイザルさんと手合わせをするシェザード様をクラリスと一緒に眺めたり、中庭で刺繍をしたり、お散歩をしたりして過ごした。
夜になると、シェザード様と二人きりになり――抱きしめられて、一緒に眠る。
穏やかで満ち足りた日々。
一度目の私が――もしかしたら、得られたかもしれない、日々。
ふとした瞬間、私は女神との約束を忘れそうになる。
そんなときに決まって、あのときと同じ夢を繰り返し見た。
私が失われた後の夢だ。
それはまるで呪いのようで、私の忘却と怠惰な安寧を許してくれなかった。
「ルシル、たまにはお出かけをしていらっしゃいな。劇場で、最近評判になっている演目が上演されるそうよ。人気の劇団がしばらく滞在してくれるのですって」
お母様が観劇用の券を数枚、渡してくださったのは八月の終わり。
あと数日で、夏期休暇も終わる。
秋が来る。
秋が来て、冬が来て、春が――
「ありがとうございます。お母様は、ご一緒しないのですか?」
私は券を受け取って、尋ねた。
「デートは二人きりで出かけるものでしょう? それに恋愛が題材の演目は、フォードが退屈だと言って隣で欠伸をするのが腹が立つから、最近では行かないようにしているの。一等席を、貸し切っておいたから、ゆっくりしていらっしゃい。遅くなるのなら、街の別邸に泊まってきても良いわよ」
「シェザード様、恋愛のお話、好きでしょうか……」
「シェザードさんはルシルを大切にしてくれているようだから、どんな演目でも付き合ってくれるわよ」
お母様に励まされて、私はシェザード様を観劇へと誘うことにした。
そこでふと、私の成すべきことを思い出す。
私は――そうね。
クラリスも、誘うべきよね。
最低な、奸計だ。
人の心を操ろうとするなんて、私は――
「……クラリス、お母様から演劇の券をもらったの。良かったら、一緒にどう?」
心が、ばらばらに壊れそうで、頭がじんじんと痛んだ。
私は、分かっていなかった。
やり直すということが、自分が行おうとしていることが、どんな意味を持っているのかを。
誰も彼も、裏切っている私は、罪人でしかない。
それでも、それでも。
心の中で、そんな言いわけを繰り返す。
自室で書き物をしているクラリスの元を訪れると、クラリスは日記帳とおぼしきノートをぱたんと閉じて、困ったように笑った。
「お姉様、お姉様は……、私を良く誘ってくれますし、私はお姉様が大好きだからとっても嬉しいですけれど、デートならお二人で行った方が良いのではないでしょうか? 勿論私も仲良くさせて頂くのは嬉しいですけれど……、でも、あまり妹ばかりを優先しては、お兄様が悲しみますよ」
「そう、……そうよね。……私、シェザード様とクラリスや皆が、仲良くなるのは良いことだと思って……、その、家族、なのだし……」
「それは勿論そうだと思いますけれど」
「せっかくだから、一緒に行かないかしらと」
「お姉様……」
クラリスはますます困った顔をした。
私は、引き下がるべきだったのだと気づいた。
けれど、もう遅い。
「お姉様は無理をしているでしょう? 何か、隠しているのですか? お姉様の態度や顔を見ていれば、分かります。きっと、お兄様も気づいていますよ。……私は自分の立場を分かっています。お姉様の代替え品としての、立場を。でも、それはあくまでも名目上のことだと思っていたのですけれど、お姉様は違うのですか?」
「――っ、違うのよ、クラリス」
「お姉様は、嘘が下手です。無理して笑うとき、眉尻が下がるでしょう? それぐらいのこと、私は知っています。妹ですから」
「……違うの」
私は首を振った。
本当に私は、いつも、うまくできないのね。
「お姉様、きちんと話をしてください。私にはお姉様とお兄様は良い関係に見えますけれど、本当は、……本当は、アルタイル様が好きなんですか? だから、お兄様を騙しているのですか? お兄様と私を近づけて、……アルタイル様と」
「それは違うわ。アルタイル様は、関係がないの」
「じゃあ、何故?」
「……私は、ただ、本当に……、皆で仲良くしたいと、思って」
言葉が喉の奥で詰まる。
なんとか絞り出した声は、かすれて震えていた。
「私にも話せないことですか?」
「なんでもないのよ」
話してしまいたい。
私は――死んでしまう。
いなくなってしまうと、話してしまいたい。
けれど、それを言おうとすると、何も言葉が出てこない。
「ごめんなさい」
呼吸さえ苦しくなるようで、私は首を振って、クラリスの部屋から出た。
クラリスが私を呼ぶ声がしたけれど、追ってはこなかった。
私は、馬鹿だ。
クラリスは私よりもずっと聡明で、優しい。
私が何かをしなくても夢の中のように、きっと、クラリスとシェザード様は家族になってくれるだろう。
私の存在だけが、邪魔。
どうせいなくなるのなら、それが今でも、一年後でも同じではないかしら。
そんな鬱屈した気持ちに支配されながら、私は自室へと戻った。