一度目の罪
フランセスも、アルタイル様も――それから、街で会ったエレインさんも。
皆色々な感情を、抱いている。
一度目の私は、気づかなかった。
私は盲目で、自分勝手で、それでもずっと、シェザード様に恋い焦がれていた。
だから、せめて卒業式の後にお祝いが言いたかった。
シェザード様が卒業されたら、私は正式にシェザード様の妻となる。
嬉しかった。
シェザード様には嫌われていると思っていたけれど、それでも、婚姻という縛りでシェザード様とずっと一緒にいることができるのが、妻にして頂けるのが、嬉しかった。
『卒業式の後、学園の裏庭で待っています』
直接話すのは気が引けたから、手紙を書いて、ジゼルにシェザード様の元へと届けて貰った。
裏庭でシェザード様を待つ私の元に、先に現れたのは何故かアルタイル様だった。
◆◆◆◆
柔らかい陽光が学園の裏庭に降り注いでいる。
白い東屋を囲むように赤や紫、白のアネモネが咲き乱れ、撫でるようにそっとふいている風にゆらゆらと揺れていた。
小さな白い花を咲かせている沈丁花の良い香りが鼻腔を擽っている。
「ルシル、――本当に、良いのですか?」
私は、東屋のベンチに座ってシェザード様の訪れを待っていた。
同じ学園に通って、この一年。
私とシェザード様の間には未だ深い溝がある。
シェザード様はいつも何かに怒っていらっしゃるようだった。
それは私に対してかもしれない。
フラストリア公爵家に婿入りをしなくていけないことを、ご不快に思っているのかもしれない。
尋ねたかったけれど、できなかった。
――私が、お嫌いですか。
そんなこと、聞けない。
学園での私は孤独だった。
親しい友人は隣国に留学してしまい、同級生の女性たちからは嫌われていた。
それでも、アルタイル様が私を守るようにしてくれたから、私はなんとか学園生活を送ることができていた。
私は同じ年のアルタイル様を、家族のように思っている。
シェザード様の弟君なのだから、それはあながち間違いではないだろう。
王太子殿下に対して随分と気安い感情だと思うけれど、アルタイル様は小柄で中性的な見た目をしているから、男性というよりは女性の友人、というような気兼ねのなさを感じていた。
シェザード様との婚礼の日は、すでに決まっていた。
卒業式の後、私は春休み中フラストリア公爵家に帰る。
シェザード様とは、一緒に暮らすことになる。
不安だったけれど、嬉しかった。
今はあまり良い関係ではないけれど――時間が解決してくれる。
一緒に暮らすようになれば、正式に夫婦になれば、きっと私のことを――少しで良いから、好意を持ってくださることもあるはず。
そう、思っていた。
「ルシル。兄上と、このまま結婚して――あなたは、それで、良いのですか」
何の質問なのかよく分からなくて首を傾げた私に、アルタイル様はもう一度確認するように言った。
「良い、です。……私たちは、婚約者ですから」
「それは王家が決めたことです。ルシル、兄上と結婚したら、あなたは不幸になるのでは?」
「どうしてそう思うのですか……?」
「兄上はあなたを嫌っています。……フラストリア公爵家に婿入りさせられることを、恨んでいるのでしょう。だから、……僕は、ルシルが心配です」
「でも、私は……」
「今からでも遅くはありません。僕が父と母にかけあいます」
「掛け合う?」
「あなたと、兄上の婚約を、解消しましょう」
アルタイル様ははっきりとそう言った。
私は驚いてしまい、何も言うことができなかった。
そして――
「アルタイル……!」
裏庭に――シェザード様の、怒りに満ちた声が響いた。
◆◆◆◆
一度目の記憶を反芻して、私は深く息をついた。
記憶とは妙なもので――、楽しかったことや嬉しかったことは次第に薄れていってしまう。
その反面、苦しんだことや悩んだこと、辛かったことは――なんども反芻するせいか、その鮮明さを次第に増していくみたいだ。
まだ、はっきりと思い出せる。
シェザード様は憎しみのこもった声で、アルタイル様を呼んだ。
学園内では本来帯剣は許されていない。
服の下に隠し持っていたのだろう。
それは剣と言うよりも、長めのナイフのように見えた。
白刃がきらめく。
私は咄嗟に、アルタイル様を庇った。
そして――
「……あのとき」
シェザード様は、とても驚いた顔をしていた。
私がアルタイル様を庇うとは思っていなかったのかもしれない。
私も、あんな風に自分の体が動くなんて思っていなかった。
そうしなければという感情が、体を勝手に動かした。
間違いではなかったと思う。
間違えたとしたら、――それまでの私。私の態度と、行動が、全て間違いだった。
一度目の私のことも、アルタイル様が好意を持ってくれていたとしたら――シェザード様は、それに気づいていただろう。
私は――路地裏でシェザード様に甘えるエレインさんと同じことを、ずっと、していた。
「……私は、酷いわね」
フランセスの憤りの理由も、私が嫌われた理由も、よく分かる。
最低だわ、私。
「ルシル、大丈夫か?」
こちらに駆けてくる足音と共に、シェザード様の声がする。
未だに壁により掛かったままだった私の前に、壁に手をついてシェザード様がのぞき込むように立った。
片手が、私の腰に回っている。
そっと抱き寄せられて、私は胸が締め付けられるのを感じた。




