春の花火
ぽつぽつと、シェザード様が幼少期について語ってくださるのを聞きながら、軽い夕食を取った。
最上階の部屋はベッドしかなかった階下とは違い、ベッドルームとリビングが分かれていて、浴室もついていた。
私は入浴を済ませて、着替えている。
シェザード様が「手伝った方が良いのか」と真剣に悩んでいる様子で聞いてくださったので、大丈夫だと断った。
入浴も着替えも、一人でできる。
ジゼルに手伝って貰っていたのは、もう少し幼い頃。
着替えに関してはドレスは大変なので手伝って貰うけれど、寝衣のような簡単な衣服なら問題なく着替えることができる。
宿泊所の方が準備をしてくれていた衣服は、白にレースの縁取りのあるゆったりとした寝衣だ。
袖を通すと、ふわりとしていて良い香りがした。
入浴を済ませて部屋に戻ると、食事が準備されていたというわけである。
リビングルームのバルコニーに通じる大きな窓は開いてあって、涼しい風が吹き込んでいる。
テーブルの上には、紅茶と、お米を魚介とトマトと共に煮込んだリゾット。
それから、小さなパンがいくつか置いてある。
オイルランプの炎が揺れて、部屋に陰影を作り出していた。
もうすっかり暗くなってしまった空には、星が瞬いている。
今日はお祭りということもあり、火が焚かれていて明るいせいか、星はいつもよりも数が少ないように見えた。
「――どうして、国王陛下と王妃様は、シェザード様に冷たい態度をとるのでしょうか……」
四人掛け用のテーブルセットにシェザード様と向かい合って座っている私は、スプーンでリゾットをすくった後に手を止めた。
シェザード様の幼少期の思い出は、寂しさと苦痛にあふれている。
ひとつひとつの記憶を辿るように淡々と話すシェザード様の声からは、憤りも悲しみも感じられず、落ち着いていた。
けれど、話を聞いていると、まるで肌を切り裂かれているような痛みを感じた。
「……分からない。……何故なのかと、尋ねる機会も失ってしまった。尋ねたところで、答えを得ることはできないだろう。――俺の何かが、気に入らないのだろうが、……それは、物心ついたころからずっとそうだった」
「幼い子供を嫌う親はいない。……私は、そう思っていました」
「王都の貧民街に行けば、子供が邪魔だと捨てたり、金のために売ったり……、そういった大人も、少なからずいる。俺よりも不幸な子供たちを見ることは慰めよりも、憎しみや怒りに変わった。……思えば、俺はずっと、誰かに対して怒りを感じていた。――ルシル、お前には長らく、怖い思いをさせてしまったな」
「い、いえ……、私、……私は」
(それでもシェザード様が、好きだった。辛そうで苦しそうで、誰に何を言われても真っすぐ立っていて、――どこか遠くの世界を見ているようなシェザード様が、好きだった)
「シェザード様、……国王陛下に、理由を聞きましょう。私、一緒に……」
「いや、もう良い。俺は、一年後にはシェザード・フラストリアとなる。元々、国王になりたいというわけではなかった。そういった欲望があるというよりは――、アルタイルに負け、全てを奪われたような気がして、悔しかっただけだ。……ルシル、俺はお前と共に在る。お前がいるのなら、……父も母も、アルタイルのことも、気に病まずに生きていくことができる気がする」
「……っ、私、は……」
いつになく、穏やかな表情でシェザード様が言う。
――なんて、返せば良いの?
(私は、シェザード様が好き。ずっと、一緒にいたい)
そんなこと、言えない。
「……シェザード様が、心穏やかに過ごせるのなら、それが一番です」
「あぁ。心配事はひとつ増えたが。……ルシル、野蛮だと言われた剣技は、お前を守るためにあるのだと思えば、無駄ではない。必ず、俺がお前を守る。もう傷つけないと誓う。……だから気を付けてくれ、ルシル。お前が考えているよりも、世界は、もっと薄汚い」
守ると言ってくださった。
シェザード様は私をもう疑っていない。
それに、――大切にしようと、してくださっている。
それが幸せだと思う程に、罪悪感が足元からぞわりと這い上がってくるようだ。
言葉に詰まる私を、シェザード様は――路地裏での男たちとの邂逅に、怯えているのだと思ってくれているらしい。
安心させるように、そっと髪を撫でてくださる。
「……ルシル、そろそろ、花火があがる。見るか?」
「はい……!」
私は気持ちを切り替えるように、大きく返事をして、微笑んだ。
白い手すりのついた、十分に広いバルコニーに出る。
背の高い建物の最上階では、他の建物の屋根を眼下に見下ろすことができた。
暗い空に、天灯が蛍火のように舞い上がっていく。
「――綺麗」
やがて、夜空を彩る大輪の花火があがった。
王国の空を覆うようにして弾けて光る炎の花は、赤や黄色や、青色に輝いてはちらちらと消えていく。
声をかき消すような大きな音が、肌を震わせる。
空を食い入るように見つめている私の腰に、シェザード様の手が回った。
背後から抱きしめられて、私は驚いて身を竦ませる。
少しだけ、――私の、嘘を、忘れさせて欲しい。
舞い上がる天灯に、輝いては消えていく儚くも艶やかな花火に、私は願った。
「……ルシル」
低く少し掠れた声に、名前を呼ばれる。
背後から覆いかぶさるようにして、唇が一瞬触れた。
そっと触れるだけで離れていったそれに、私はおろおろと狼狽えた。
そんな私の様子を、シェザード様が優しい眼差しで見つめている。
抱き寄せる力が強くなる。
私は深く深呼吸をすると、体の力を抜いた。
恥ずかしいけれど、嬉しくて、――今日のことは、最後までずっと覚えて居ようと思った。




