幼少期の記憶
◆◆◆
白く両手を回してもとても届かないぐらいに大きな柱が、何本も並んでいる。
その光景は、図書室で読んだ詳細な絵の並んだ動物の図鑑の、骨格の図を連想させるものだ。
だとしたら、この広大な城は一つの巨大な動物なのだろうか。
俺は動物の腹の中で、そうとは気づかずに変わらない毎日を過ごしているのだろうか。
だとしたら、なんて滑稽なのだろう。
王国で一番大きな動物は、大鷲である。
大鷲は神獣と呼ばれている。聖典に書かれた女神が連れている動物だからだ。
だが、それ以外にも海には鯨と呼ばれる巨大な魚がいるのだという。
それは温厚な生き物だが、人や荷物を多数乗せて運ぶ大きな商船よりもずっと大きいそうだ。
だとしたら、ーー鯨だろうか。
俺は鯨の腹の中で、答えの出ない悩みに頭を悩ませているのか。
鯨の腹の中にいる人々は、亡霊だ。
父も、母もーー俺も。
「……死んでいることにも気づかずに、食ったり寝たりしているとしたら、馬鹿馬鹿しいことだな」
柱の並んだ回廊を歩きながら呟いた。
俺の声に答えるものは、誰もいない。
父と母に、会いに行こうと思った。
俺は剣の師からの俺についての評価が書かれた証書を手にしている。
それには、『シェザード殿下は剣術の才能がある。齢十歳で初歩から中級までの指導はもう済み、更なる技術を磨くためにもう一人師をつけるべきだ』というようなことが書かれていた。
別にーー俺が、無理を言って書かせたわけじゃない。
師が証書の内容を国王陛下に見せると言うので、それでは俺が持っていくと、申し出た。
(もしかしたら、……褒めて貰えるかも、しれない。喜んで貰えるかもしれない)
少なからず、そんな期待をしていた。
回廊を抜けて、王の居室へと足を向ける。
父は日中は政務室で仕事をしているが、昼下がりになると城の奥にある居室に足を運び、母や弟と共に過ごす時間を作っている。
食事を三人で共にしている。
俺は、ーーたまに、共にすることもある。
だが、教師たちに命じて極力勉強や剣技や、馬術の時間を詰め込み、時間を作らないようにしていた。
家族と共にいると、俺は存在していないのではないかと、思う時がある。
両親は随分昔から、俺をいないものとして扱っている。
弟のアルタイルが俺に向ける哀れむような、気遣うような視線がーーより一層、俺を惨めな気持ちにさせた。
回廊を抜けてると、兵士が奥へと続く扉を開いた。
俺の自室のある場所だが、城に居て、心地良いと思ったことは一度もない。
大きな動物の腹の中にいるのだから、心地良くないのは当然だろう。
「……父上、お話があります」
中庭で、国王である父と隣国から嫁いできた母、俺の二つ年下の弟のアルタイルは、食後の時間を過ごしていた。
父に話しかけると、じろりと俺の姿を一瞥して、穏やかな表情を不機嫌なものへと変化させた。
遠目には優しく微笑んでいた母が、俺の顔を見ると、仮面を貼り付けたような無表情になった。
「本日、剣の師から、私についての評価を頂きました。ご報告をさせていただきたく、思います」
父の前では完璧な、王太子でなくてはいけない。
そう、俺は思っていた。
背筋を伸ばし、きちんとした言葉遣いではっきりと話すように、心掛ける。
少しでも、ーー認めてもらいたかった。
父は俺の持ってきた評価書に軽く目を通して、眉間に皺を寄せた。
「ーー武勇が優れていることは、野蛮だ。お前と話す言葉はない。下がれ」
「……やっぱりだわ、……嫌っ……、どうしてなの……」
父の冷たい言葉の後に、母の錯乱した声が響いた。
立ち上がり、頭を押さえる母を、アルタイルが気遣うように小さな体で支える。
まだ八歳に満たない弟は、母の様子に混乱しているようだった。
「……っ」
ーー剣術は、野蛮か。
そうなのかもしれない。
俺は父からつき返された紙切れをぐしゃりと握りしめて、礼をするとその場から下がった。
逃げるように舞い戻った回廊で、立ち並ぶ動物の骨を一本殴りつけた。
◆◆◆◆




