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ルシルの覚悟



 どこに向かっているのかしら。

 黙ったまま歩いていくシェザード様に話しかけることのできないまま、賑わう大通りから少し外れた静かな通りへと入っていく。

 白壁に囲まれた細い通りだ。窓辺には花が飾られていて、先程の路地のような薄暗さはない。

 石畳に足音だけが響く。


 シェザード様が足を止めたのは、他の家よりも一回り大きい建物の前だった。


「本当は……、西居住地区の貴族用の宿泊所にいく予定だったが、あまり目立ちたくない。ここなら、然程怪しまれないだろう。お前を連れて行けるような場所ではないことは確かだが、我慢してくれ」


「は、はい……」


 宿泊所、とは、泊まるところ。

 私たちが入ろうとしている建物の扉の側面には、木製の看板が貼られている。

 そこには、一泊五千ルピアと書かれている。

 休憩は、一時間につき五百ルピア。


 お金について私はあまり詳しくないけれど、私たち貴族のドレスを一着作るのにかかる値段が五十万から百万ルピアだと考えると、とても安価なのだろう。


 シェザード様は躊躇いもせずに中に入っていく。

 一緒の部屋に、泊まるのかしら。

 さっきまでは悲しい気持ちだったのに、今は緊張するやら戸惑うやらで、頭がぐちゃぐちゃだ。


 受付のお店の方と少しだけ話して、シェザード様はお部屋の鍵を受け取った。

 まだ外は明るいので、こんな時間に泊まりにくる人は少ないのか、案外清潔で整っているエントランスには私たちの他には誰もいなかった。


 階段を上がり、二階の角の部屋へと入る。

 ベッドが二つと小さなテーブルがあるだけの簡素な室内に入ると、シェザード様は内側から鍵をしめて、テーブルの上へと鍵をおいた。


「寝るだけが目的の、安宿だ。掃除はされているだろうから、汚れてはいないだろうが……」


「エド……、シェザード様がたまに泊まると言っていた場所ですか?」


「あぁ。ルシル、エドのままで良い。座る場所はベッドぐらいしかないが、嫌なら椅子を借りてくる」


「大丈夫です。……あの、……私、エドがいつも使っている場所に一緒にくることができて、嬉しいです」


 シェザード様の気遣いを感じて、私はいそいそとベッドに座った。

 鉄枠の上にマットを置いて、シーツを被せただけのようなベッドは少し硬い。


 色々あって、気づかないうちに疲れていたみたいだ。

 体が沈むような感覚に、ほっと息をはいた。

 シェザード様も隣のベッドに座るのかなと思っていたのに、そうではなくて、ごく自然に私の隣に座った。


 距離が近い。

 二人でベッドに座っているという状況に、勘違いしてはいけないと幾度自分に言い聞かせても、体が勝手に緊張してしまう。


 シェザード様は私の髪に、そっと触れた。


「……すまない、ルシル。……怖い思いをさせた」


 一緒に歩いていた時のシェザード様は、怒っているように見えたのだけれど、今はーー苦しそう。

 乱れてしまった髪を治すように、髪を指でといてくださる。

 触れる指先の感触が心地良くて、愛しくて、なんだか泣きそうになってしまう。


「綺麗な髪も、服も、汚れてしまった。俺のせいだな」


「……違います、私が、私が……、迷惑をかけてしまって。エドは私を助けてくださいました。感謝、しています」


「怖かっただろう。何故、あのような無茶なことをしたんだ。誰かに助けを求めるべきだった」


「でも、……街の人たちは、気づいていたのに、見て見ないふりをしているように見えて……、私しか、いないと思ったのです。何もできませんでしたけれど……」


「もう危険なことはしないでくれ。いや……、お前から離れた俺も、よくなかった。ルシル、……間に合って、よかった」


 髪をといていた手が頬に触れる。

 それからそっと引き寄せられて、抱きしめられた。

 耳に響く鼓動の音に、私とは全く違う硬く逞しい体の感触に、私は顔が沸騰しそうなぐらいに赤くなっているのを感じた。


「え、エド……っ、あの、……私、怪我もなくて、大丈夫でしたので……」


「嫌な思いもさせてしまった。……すまない。あの場では、ああするのが最善だと考えていた。お前の気持ちを、考えなかった。……駄目だな、俺は」


「……だ、駄目なことは、ありません。……エドは私を助けてくれたじゃないですか。私は、それだけで十分で……」


 背中や頭に、大きな手が触れている。

 緊張して、どうしても声が小さくなってしまう。


「説明は、言い訳に聞こえるだろうが……、エレイン・ローリアという先程助けた女は、厄介でな。金持ちの娘らしく傲慢なところのある女だ。一度仕事で護衛をした。それ以来、妙に俺のことを知りたがる。……お前のことも、恋人や、商人の娘など言ったら、詳しく調べあげるだろう。だから先に家に送り届けて、穏便に別れるつもりだった」


 シェザード様はそう言って、私の肩に額をあてた。

 銀色の少し硬そうに見える髪が、顔に当たる。

 硬そうに見えていたけれど、触れると案外柔らかい。


「お前が……、ルシル・フラストリアだと知られたら、……それを吹聴されて、ヴィクターに知られたらと思うと。……お前の身が、危険にさらされるのを避けたかった。だが、……やはり、言い訳に聞こえるな。お前を傷つけた。……俺は、お前を傷つけてばかりだ」


「エド……、私、私が傷ついたと思って、エドは私に優しくしてくれているのだとしたら、役得というものです。それなら、私などいくら傷ついても大丈夫です」


 私はシェザード様の髪を撫でた。

 一度撫でてみたいと思っていた。

 手のひらに触れる美しい銀の髪は、ふわりとして柔らかかった。


 遠く、街の喧騒が響いている。

 こうして二人きりで王都の宿泊所にいることは、けして褒められた行為ではない。

 お父様やお母様に知られたら、多分、怒られるわよね。

 一度目の私なら、びくびく怯えて、逃げていた。


(王都の祭りに、シェザード様と一緒に行こうとさえ、思わなかっただろうし……)


 一歩踏み出すだけで、こんなに、変わるものなのかしら。

 街は熱気にあふれて賑やかで、変化のない箱庭と、嘘にまみれた貴族社会で生きてきた私にとって、その風景はとても鮮やかにうつる。


 エドとしてのシェザード様は、いつもよりも少しだけ肩の力が抜けていて――また新しく、恋をしそうになる。

 いけないのに――頭では、分かっているのに、感情は思うようにならない。


 エレインさんとシェザード様が話をしている時に感じた胸の痛みも。

 本当なら、そんなもの感じてはいけないのに。

 シェザード様に大切な人がいるのは良いことだと思っているはずなのに。


(嘘だわ。……だって、私、嫉妬をしていたもの……)


 抱きしめられて、その温もりを肌で感じると恥ずかしいけれど、こんなにも、嬉しい。

 先程の恐ろしさが、そして、痛みが、嘘のように消えていく。


「ルシル、……俺の不注意で、ヴィクターがお前を知ってしまった。しばらく、街に出るのはやめた方が良い」


 私の肩に額をつけたまま、シェザード様が密やかな声で言う。


「怖い人たちなのですね。どうして……、兵士の方々は、取り締まらないのですか?」


「ヴィクターは、ダルトワファミリーの幹部だ。ダルトワファミリーというのは、表向きには金貸し業や土地や建物の売買をしている組織だが、裏では花街や裏稼業を牛耳っている。王国中に息のかかった者たちがいると言われている。迂闊につつくと、どんなことが起こるか分からない。……例えば、ファミリーの一員を捕縛した翌日、その兵士の家が燃やされていたり、娘が攫われたり」


「酷い。国王陛下は、知っているのですか?」


「父上とは、まともに会話をしたことがない。だから、良く分からない。……不甲斐ないな、すまない」


「そんなこと……! ごめんなさい、エド。私、……私も、エドのことを考えず、傷つけてしまいました。ごめんなさい」


「いや、良いんだ。……俺と家族が不仲なことを、ルシルは知っているだろう。ルシルに限らず、皆知っていることだ。今更どう思われようが、気にはならない」


「……エド。……私、……エドは、凄いと思います。だって、街で身分を隠して生活をして、そんな詳しいことまで調べたのですよね? 街のひとたちの声を、きちんと聞いているということです。それは、エドにしかできません」


 本当は――私が、ずっと一緒にいると言いたかった。

 けれどとても、言うことができない。

 私は、ひどい嘘つきだ。

 罪悪感が、喉を詰まらせた。詰まらせた喉から無理やり、明るい声を出すと、その声は随分と軽薄で空虚に聞こえた。


「だが、……知っていたからといって、何ができるわけでもない。俺は、兵を動かせない。アルタイルなら、どうとでもできるだろうが」


「エド……、私やエレインさんを助けて下さったのは、アルタイル様ではなくてエドです! 私は、エドに助けて頂いたのです。だから……」


「……ルシル」


 視界がぐらりと揺れた。

 気づけば、私は天井を見上げていた。

 ベッドに倒れた私を覗き込むようにして、シェザード様が私の上に跨るようにしている。

 私は目を見開いて、それから、ベッドのシーツを掴んだ。

 美しい紫色の瞳が、じっと私を見ている。

 骨の浮き出た首や、服の合間から見える鎖骨が目に入り、なんだか見てはいけないものを見てしまったような気がして、私はぎゅっと目を閉じた。

 衣擦れの音と共に、首筋に柔らかく暖かいものが当たるのを感じた。


「エド……、私、……大丈夫、です……。だって、私は、婚約者、なので……」


 一年後、シェザード様が学園を卒業をされたら、私達は正式に結婚する予定だ。

 私の残された刻限の、終わり。

 その夢は、叶わないのだけれど。


 貴族女性の務めとは、子供を成すこと。

 だから、そういった教育はきちんと受けている。

 本来は婚礼の儀式をあげて、初夜を迎えるのが普通なのだけれど、――でも、私は。

 

 シェザード様がそうしたいというのなら、大丈夫。

 怖いけれど、大丈夫。


「ルシル……」


 首筋に触れた唇は、すぐに離れた。

 その代わり、覆いかぶさるようにしてぎゅっと抱きしめられる。


「……俺はずっと、お前を信用していなかった。……本当に、駄目だな、俺は」


 耳元で呟かれた言葉は、とても、苦しそうだった。




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