傭兵エド
瞬く間に男たちが地面に倒れ伏した。
シェザード様は私の腕を掴んでいた男の手を掴み捻り上げる。シェザード様の方が細身に見えるのに、男の手は軽々と捻じれて、鈍い音を立てた。
喉の奥で呻き声が上がり、苦痛に顔を歪めながら男の体が私から離れる。
私は急いで先程逃がした女性が佇んでいる路地の入口の方に走ろうとして――足がもつれ、ぺたんと座り込んでしまった。
脚が震えている。腰に力が入らない。
私は大丈夫だと思っていたのに――体が、がたがた震えている。
(落ち着きなさい、私……っ)
自分に言い聞かせるけれど、体はいうことを聞いてくれなかった。
男たちが折り重なるようにして倒れる路地に、身なりの良い男が特に表情も変えずに立っている。
焦る様子も、怯える様子もない。
シェザード様は、その男に鞘に入ったままの剣を向けていた。
「どういうつもりかな、エド。俺たちに逆らっても、良いことはない。分かっているだろう?」
「ヴィクター、大人しく引くのなら、これ以上は何もしない」
シェザード様は、男と知り合いのようだ。
ヴィクターと呼ばれた男は、アイスブルーの冷たい瞳を細めて笑みを浮かべた。
金色の髪に、すらりとした長身。こんな場所で出会っていなかったら、人目を引くような整った容姿をしている。
けれど、その優し気な笑みも、ゆったりとした口調も、恐ろしいとしか思えなかった。
「俺も仕事でやっているから、大人しく引いても良いんだけど……、そのお嬢さん、ルシルと言うのかな。見ず知らずの他人のために自分を犠牲にするなんて、今時珍しい――心地良い自己犠牲だ。だから、欲しくなってしまったんだけど、どうかなぁ」
「……俺と剣を合わせて勝てる自信があるのなら、止めはしない」
シェザード様は鞘に入った剣を構える。
一歩踏み出した低い姿勢だ。
一度目の私は学園の模擬試合なので、シェザード様の剣技の見学をしたことはあるけれど、こうして本気で剣を振るっている姿を見るのははじめてだ。
模擬試合に参加するシェザード様はきっと本気ではなかったのだろう。
その動きは洗練されていて強かったけれど、今とは全く違う。
静かな殺気のようなものが、路地裏には満ちている。
ヴィクターが腰にさしている剣の柄を握る。
それは、一瞬だった。
金属がぶつかり合う音が響いたと思ったら、抜き身の剣が合わさっていた。
シェザード様は合わさった剣を、軽々と弾き飛ばす。
剣を弾かれた衝撃と共に体を浮かせたヴィクターは、くるりと空中で姿勢を変えて、軽々と地面に降りる。
半月状に笑みの形に歪んだ唇や瞳が、その仕草と相まって、まるで野良猫のように見えた。
「あぁ、……やっぱり強いね。エド、君は今まで目立たないようにしていたのだろうに、そんなに必死になって。それほど、その子が大切なのかなぁ。ダルトワファミリーに歯向かったこと、後悔しないと良いね」
ヴィクターは剣をしまうと、地面に倒れている男たちの腹を「起きろ」と言って、容赦なく蹴り始める。
それから、「また会おうね、ルシル」と私に微笑んだ後、よろよろと起き上がる男たちを連れて、路地の奥へと消えていった。
私は未だに腰を抜かして、ぺたんと座り込んでいた。
視線を落とすと、折角シェザード様に買っていただいたワンピースが、土で汚れていた。
情けなさと、安堵と、申し訳なさと、――いろいろな気持ちが一気に押し寄せてきて、喉が詰まるようだ。
「……エド……!」
私がシェザード様の名前を呼ぶより先に、男たちに襲われていた女性がシェザード様に駆け寄っていく。
シェザード様は剣を鞘におさめて、私の方を振り向いた。
そして、私の横を通り過ぎてシェザード様に抱きついた女性を、優しく受け止めた。
「……エレイン」
「助けてくれてありがとう、エド……! 怖かった……」
「無事で良かった。……何故、こんなところにいるんだ」
「エドに会いたくて、お祭りだから、もしかしたら街にいるんじゃないかと思って、こっそり家を抜け出してきたの。そうしたら、あいつらが……、私のあとをつけていたのよ、きっと」
「そんな無謀なことをするべきじゃない」
シェザード様は――何年も前から街で時折生活をしているから、知り合いが多いのだろう。
その女性、エレインさんとも、知り合いみたいだ。
二人の姿を見ていると、膨らんでいた気持ちが花が枯れるように急に萎れていくのを感じる。
――シェザード様は、エレインさんを助けに来たのよね。
「あの子が、助けてくれたの。エドの知り合いなの?」
「……あぁ、知り合いだ」
ダイアナさんには『恋人』だと言っていたけれど、エレインさんには『知り合い』だと、シェザード様は私のことを説明した。
助けに来てくれた時にルシル、と呼んでくれたけれど。
それはあくまで私が婚約者だからで。
(違うわ、ルシル。……シェザード様に大切なひとがいるのは、良いこと。忘れないで)
私はひとりで立ち上がった。
それからスカートの汚れを手で払う。
心に溜まった淀みのように、その汚れも手で払ったぐらいでは、落ちることはなかった。




