座して待つのが女性の美徳だけれどそんなことは言ってられない
足を治療して頂いた私は、再びシェザード様に抱き上げられて女子寮まで戻った。
何度か断ったのだけれど、シェザード様は私を女子寮の私の部屋まで運び、ベッドに寝かせるとようやく納得してくれたのか、「無駄に動かずに休め」と言って帰っていった。
私たちの姿はかなりの数の生徒の方々に見られてしまった。
どう思われたのかしらと思うと不安だけれど――私は、開き直ることにした。
私の猶予は一年間だけだ。
シェザード様以外の誰かを気にしている時間は、私にはない。
そう思うと、心が強くなれるような気がした。
この先に死が待っていることを知っているから強く在れるというのも、妙な話なのだけれど。
シェザード様に抱きかかえられて戻ってきたことに驚いたジゼルに、私は事情を説明した。
ジゼルは「殿下は、不器用なだけで優しい方なのかもしれませんね。怪我をすることは良いとは思えませんけれど、災い転じてとも言いますし、良かったですね、ルシル様」と言って喜んでくれた。
翌朝体を清めるためにジゼルに包帯を外して貰った。
痛みはほとんどなく、傷もだいぶ綺麗になっているとジゼルは言っていた。
入浴をすませて、傷口をもう一度固定してもらう。
朝の支度と軽い食事をすませて寮を出ると、約束通りシェザード様が寮の前で腕を組んで壁に寄り掛かり待っていてくれた。
「シェザード様! おはようございます!」
約束を守ってくれたことが嬉しくて、私はシェザード様に駆け寄る。
人の目を気にしたりしない。恥じらう必要はない。
大きな声で挨拶をして、組まれた腕を引っ張った。
引っ張ることで解けた腕に、両手を絡ませる。
にこにこしながらシェザード様を見上げると、私の態度に慣れたのか、静かな眼差しが私を見返した。
「ルシル、痛みは?」
「もう痛くありません。この通り、元気です」
「そうか。だが、今日は休め」
「靴擦れができたぐらいで休みませんよ。授業は今日からです。一緒に昼食を食べる約束を忘れないでくださいね」
「あぁ……、そんなことを言っていたな」
私はシェザード様の腕をぐいぐい引っ張って、校舎への道を歩くように促した。
シェザード様は仕方なさそうに、私と共に校舎へと向かった。
一年生の教室に入りシェザード様とお別れすると、何人かの顔見知りの方々が私に近づいてきた。
口々に、大丈夫なのか、怖くないのか、シェザード様に脅されているのではないかと聞いてくるので、「婚約者ですので、大丈夫です」と答えておいた。
一部の方々は喜んでくれているようだったけれど、何人かの方々はそんな私に冷たい視線を送っていた。
その視線の理由は分かる。
一度目の私が、散々女性たちから向けられてきたものだ。
シェザード様の婚約者でありながら、アルタイル様に構っていただく私に、向けられていたもの。
――嫉妬、だわ。
でも、仕方ない。
今までの私の態度に原因があるのだから。
一度目の私はびくびくと怯えていたけれど、大丈夫。
シェザード様は私の婚約者で、私がシェザード様と親しくするのは当たり前のこと。誰にも文句を言わせたりしない。
私が強くなければ、シェザード様をこの先待ち受けている運命から、守ることができないのだから。
私は私に友好的な方々の近くの席に座った。
以前から友人関係だった方々も何人かいて、わざと聞こえるように話しているのだろう、耳に入ってくる私についての噂話に「あまり気にしない方が良いですよ」と言ってくれた。
アルタイル様も同じ教室に居たけれど、人気のある方なので女生徒や男子生徒に囲まれていた。
心配そうに私を時々見ている視線は感じたけれど、気付かないふりをした。
昼休憩の時間になると、私はシェザード様の教室へとすぐさま向かうことにした。
朝は約束を守ってくれたけれど、昼も同じように――とは限らない。
気を抜いていては、もしかしたら会えずじまいに終わってしまうかもしれない。
同級生ではないので、会える時間は限られている。
それに――教室に残っていたらアルタイル様に捕まってしまうかもしれない。
今回の私はアルタイル様に極力関わらないようにしなくては。
今のところは――ほかに、良い方法が思いつかない。
本当はシェザード様にアルタイル様と仲良くなって欲しいのだけれど――
「将を射んとする者はまず馬を射よ……とか、いうし……、違うかしら」
ともかくまずは、シェザード様と私の関係を良好にするのが先決だ。
私は内心緊張しながら、けれども意気揚々と三年生の教室へと向かった。
もう歩いても痛みは殆どない。
怪我が治ったら、もう少し鍛えなければいけないわね。そのうち、傭兵のふりをして仕事をしているシェザード様を追い掛け回すことがあるかもしれないのだし。
三年生の教室に行くのは、前回も今回もあわせた私の人生の中で初めてのことだ。
私はあまり突飛な行動をしないどちらかというと大人しい、保守的な性格をしていた。
だから、自分から婚約者の元に出向くなんて、考えられないことだった。
女性とは、男性から誘われるもの。
女性から声をかけるのは、はしたない。
そう思っていた。
待っていれば誰かが何とかしてくれる。そう、思っていた。
だから――アルタイル様を頼って、こんなことになったのだわ。
最初から、今の私のように動くことができていれば、何かが変わっていたかもしれないのに。
階段を上がり、廊下を歩きながらそんなことを考える。
フラストリア公爵家の長女であり、シェザード様の婚約者である私は貴族の中では身分はかなり高い。
すれ違う先輩たちが挨拶をしてくれるので、私も会釈をかえした。
何人かの方々が、シェザード様は教室にいると教えて下さった。「ルシル様のおかげか、今日は朝からきちんと出席していましたよ」と言われて、私は大変満足した。
良かった。素行をただせば、シェザード様に対する悪い噂の誤解も、きっととけるはずだ。
「シェザード様!」
三年生の教室の窓際の端に、シェザード様は座っていた
名前を呼んで駆け寄ろうとした私に視線を向けた後、がたりと椅子から立ち上がり大股で私の方へと真っすぐに歩いてくる。
私が駆け寄るよりも早く、シェザード様は私の目の前までやってくると、両手で私の肩を掴んだ。
「……どうしてここまで来た、ルシル」
にっこり微笑んで「来てくれたのか、ルシル」と言ってくれる――とまでは、思っていなかったけれど。
眉間に皺が寄り、明らかに怒っている顔でシェザード様は言った。
教室まで来るのは駄目だったのかしら。
なんというか――強引で、押しつけがましい感じがしてしまったかもしれない。
でも、怒られることを恐れている場合ではないわ。
私は頑張ると決めたのだから。
「一緒に食堂に行きましょう? そういう、約束です。だから、来ました」
「待っていれば良かっただろう」
「ひとりで待っているのは、心細かったのです。それなら、私が出向いたほうが良いかと思いまして」
「お前は……、怪我をしている。あまり、歩かない方が良い。階段をのぼったのか、ルシル。足は」
「もう大丈夫です。シェザード様のおかげで、すっかりなおりました」
「あとで見せろ」
「……は、はい」
昼休憩の時に傷を見るとは言われていたけれど、シェザード様は忘れていなかったようだ。
途端に元気いっぱいだった私の声音が、小さくなってしまう。
触れられた記憶と、羞恥心が思い出されて、目尻が赤く染まった。
シェザード様はそんな私を静かに見下ろしたあと、腕を差し出した。
「――捕まっていろ。抱き上げて運んでも良いが、お前は人目につくのは嫌だろう」
「あ、ありがとうございます……! シェザード様……、優しいです」
私はシェザード様の腕に自分のそれを絡めて、お礼を言った。
本当に――優しい。
私は――前回の私も、わかってはいた。
シェザード様は哀しくて、繊細で、優しさのある方だということぐらい。
だから、私はどれほど疎まれていると思っていても、シェザード様が好きだった。
いつか、そのうち――と。
そんなことを考えていた。
公爵家に婿入りしてくださって、ともに暮らすようになれば――夫婦として、少しづつでも良い関係になれる。
愛してくださる日が、くるのではないかと。
そんな淡い期待を、胸に抱き続けていた。
「……お前に傷をつけた。俺の責任だ。優しい男は、……怪我をさせたりしない」
「それでは、役得というものですね。怪我をしたから優しくしてくださるのなら、私など傷だらけになっても構いません」
「馬鹿なことを言うな」
流石に、怒られた。
これは怒られるかなと予想していたので、予想通り怒られたことが面白くて、私はくすくす笑った。




