怪我と不機嫌
シェザード様の部屋は三階の一番奥。
扉を開き中に入ると、中には誰もいなかった。
従者の方がいるのかと思っていたのだけれど、私の部屋と大きさはほぼ同じなのに、物もなければ色もない、どことなく無機質な印象の部屋だった。
シェザード様は私を入り口から入ってすぐのリビングにある革張りのソファに座らせた。
リビングにはソファが一つと、低いテーブルが一つしかない。
私の部屋はジゼルが入寮一日目から花瓶に花をいけたり、テーブルに愛らしい花柄のテーブルクロスをかけたり、いそいそと私の好みに飾り付けてくれたのだけれど、シェザード様の部屋には何もない。
買い物してきた服の入った紙袋を、私の横に無造作に置く。
それから、私の足元に跪いた。
「……シェザード様、迷惑をかけてしまってごめんなさい。私のせいで、またアルタイル様と喧嘩になってしまって」
「アルタイルのことは良い。それよりも、足を」
シェザード様が私の靴に手を伸ばすので、私は慌てて両足をひっこめた。
足元に跪いてくださっていることが既に申し訳ないのに、靴を触らせるだなんてできない。
「自分で、脱ぎますので……っ」
「……これでも、多少は理解しているつもりだ。自ら靴を脱ぐというのは、自ら服を脱ぐと同義だろう。そのような残酷なことはしない。少し黙っていろ、ルシル」
「……で、でも」
「俺を怖がっていることは知っている。だが、今は我慢しろ」
「そういうわけではありません……! 私、シェザード様のことを怖いと思っていません」
「強がる必要はない」
シェザード様は淡々と言って、私の靴を両方とも丁寧に脱がせた。
靴に隠されていた足の踵からは血が滲み、白い靴下に赤い染みを作っている。
両足とも痛むので、両方同じような状態なのだろう。
シェザード様は眉根を寄せて、ゆっくりと靴下も脱がせてくれた。
それから私を睨みつけるようにして見上げた。
「ルシル。……何故、隠していた。俺がお前をどうせ歩けないと言って、嘲ったからか?」
「違います……!」
腕を組んで歩いていた時は、穏やかに会話ができていた気がするのに、シェザード様の機嫌は一気に急降下したようだった。
私が悪いのだけれど。
――駄目だわ、私。
前回もそうだった。
間が悪いのか、そもそも頭があまり良くないのか、良かれと思って行った行動が、全て裏目に出てしまうのだ。
そして結局――私は、アルタイル様を庇って、命を落とした。
あの時私は、シェザード様の卒業を祝うために、シェザード様を裏庭で待っていたのに。
――どうして、あんなことになってしまったのかしら。
「私、シェザード様と仲良くなりたくて……、婚約者として、親しくなりたかっただけなのです。強がっているわけでも、無理をしているわけでもないです。シェザード様と一緒に歩けて嬉しかったですし、お話ができて、楽しかった。だから……」
「俺は、……一緒にいて、お前を楽しませることができるような人間じゃない」
「楽しませてほしいなんて思っていません。シェザード様が隣にいてくださるだけで私は嬉しいのです。シェザード様はシェザード様のままで良いのです。私を楽しませる必要はありません、私は勝手に楽しくなりますので……!」
「ルシル……、すまない。今は、そのような話をしている場合ではなかったな。踵が切れている。足の裏も、腫れているようだ。気づかなかった俺の落ち度だ」
シェザード様は私の脹脛をそっと持ち上げて、傷の状態を確認した。
私は唇を噛んで、羞恥心に耐えていた。
見られるだけではなく、触れられてしまった。
恥ずかしい。心臓が口から出そうなほど、鼓動が早まっている。
顔中が熱い。呼吸がうまくできない。
「待っていろ。今、手当する」
シェザード様は短く言うと、立ち上がった。
私は羞恥に染まった顔をなるだけ見られないように、視線を逸らして俯いていた。
シェザード様は、薬箱と清潔な布と桶を持って戻ってきた。
桶には水が入っている。
それらを私の足元に置くと、再び床に膝をついた。
「少々冷たい。それに、染みるかもしれない。我慢していろ」
「はい……」
静かな口調で言って、私の足に触れる。
水桶の中に足がしずめられて、冷たさとじくりとした痛みに私は唇を噛んだ。
大きな手のひらが、丁寧に足を洗う。
足の指にシェザード様の手の平が触れ、骨の形がはっきりした長い指が絡まる。
剣を持っているからか、その皮膚は分厚く硬い。
「……っ」
恥ずかしい。
見せてはいけない場所なのに、見られて、触れられている。
ただの治療だとは分かっているのに、男性に足を見せることは禁忌だと長く教育されてきたからか、どうしても意識してしまう。
触れられている感触に、見られていると言う状況に、体温が勝手に上がっていく。
毎日体を洗っているから、汚れてはいないと思いたいけれど――いたたまれない。
「シェザード様、……あまり、触れては……、その、汚い、ですし」
「傷口を洗っている。黴菌が入り、炎症を起こすと厄介だからな。それに、汚くはない。お前の足は、美しい形をしている」
「あ、ありがとう、ございます……」
顔から火が出そうだ。
美しいと――はじめて、言われた。
足の形が美しい。
シェザード様が私を褒めてくれた。
嬉しい。
――喜んでいる場合ではないわ、私。
私も、私も、シェザード様を褒めないといけない。私はシェザード様を褒めるために存在するのであって、褒められるためにやり直しているわけではないのだから。
「シェザード様もいつも、とても、素敵です……」
「何だ、急に」
「い、いえ、あの……、治療師の方のように、随分とお詳しいのだなと思いまして。頼もしくて、素敵だな、と」
訝し気な視線に見上げられて、私は確かに唐突過ぎたことを反省した。
いつもとても素敵だというのは本心なのだけれど、間が悪すぎる。
「あぁ……、王都では、エドと名乗っている。孤児院出身だと偽り、傭兵のようなことを。……気晴らしで、そのような偽りの生活を送っていると、時折揉め事に巻き込まれて、怪我をすることがある」
シェザード様は両足とも丁寧に洗い、清潔な布で拭いた。
それから私の足を、布を敷いた床の上に降ろす。
「怪我をなさるのですか? そんな、危険なことが……」
「怪我と言っても、掠り傷程度だ。治療師に治療を頼むと、どこで何をしていたのかなど、うるさい。その上、アルタイルやら両親やらに報告が行き、素行が悪いと咎められる。面倒だから、自分で手当てをするようになった」
「……シェザード様、……なんて、立派なのでしょう……!」
投げやりな口調で話すシェザード様を、私は熱心に見つめた。
今だわ。今しかない。
これは、べた褒めのチャンスに違いない。
それに、凄いと思うのは本心だ。過剰かもしれないけれど、嘘は言っていない。
「人に頼らず、傷の手当てを学ぶだなんて、私にはできません。素晴らしい努力です」
「……必要があったから、そうしただけだ」
「必要があってもできないことの方が多いのですよ。それに、気晴らしで傭兵として街で暮らしているなんて。全ては、シェザード様の剣技の確かさと度胸があってのこと。凄いと思います」
シェザード様は深く嘆息した。
いつのまにか治療が終わったらしく、私の足首には包帯が巻かれていた。
「終わったぞ、ルシル。毎日洗って、当て布を交換する必要がある。……そういえば、毎日迎えにこいと言っていたな。ちょうど良い」
「え?」
「昼休憩は長い。食事の後に、傷を見る。お前の肌に傷をつけたのは、俺に責がある。治るまで、手当てをする」
「ま、毎日、足を見るのですか……?」
「そうだ」
「ジゼルに、侍女に頼みますので……!」
「傷が悪化するかもしれない。俺が見る」
「っ、……あ、ありがとうございます……」
私は困り果てながら、お礼を言った。
シェザード様の優しさだとしたら、受け入れなくては。
恥ずかしいけれど、我慢するのよ。
か細い声でお礼を言いう私を眺めて、シェザード様はどことなく皮肉気な笑みを浮かべた。
揶揄われているのか、本気なのか、よくわからなかった。