再びの兄弟喧嘩
二人で並んで歩いてきた道を、シェザード様に抱えられて私は学園へと戻った。
寮の私の部屋へと行くのかと思っていたのだけれど、女子寮を通り過ぎてシェザード様は男子寮へと向かっているようだった。
何を話して良いのか分からなくて静かにしていた私だけれど、流石に慌てた。
女性が男子寮に入るなど、それこそ眉をひそめられるような行動である。
婚約関係にあるとはいえ、男性たちの居住空間に入るだなんて――あり得ないことだわ。
悪評もたつだろう。人目につくような場所で逢瀬を行い、大胆とか、奔放とか言われている方々もいるけれど、それを通り過ぎた行動だ。
「え、えど……っ」
「学園の敷地に戻った。シェザードで良い」
名前を呼んだ私に、シェザード様は落ち着いた声音で言った。
私は慌てているのに、冷静そのものだ。
私のことなど、そもそも女性として意識していないのかもしれないわ。
シェザード様とダイアナさんの親しさを考えれば、シェザード様は以前から『エド』として、街で行動しているようだし。
もしかしたら――馴染の、町娘さんなどが、いるのかもしれない。
つきりと、胸が痛んだ。
(違うわ、ルシル。シェザード様に私以外に大切な女性がいるということは、良いことだわ)
胸の痛みを誤魔化すようにして、私は考える。
シェザード様の苦しみを救うのは、多分、――愛だろう。
シェザード様を愛している女性がいるということは、歓迎すべきであって忌避することではない。
「シェザード様、私、ここからは一人で大丈夫です。寮を通り過ぎてしまいましたけど……」
「足を見る。言っただろう。俺の部屋には、包帯や傷薬がある」
「私、大丈夫です。少し痛むだけで、歩けますし」
「足を見るまでは信用できない」
シェザード様は私の言葉などには聞く耳を持たない様子だった。
男子寮の入り口から、私を抱き上げたまま堂々と中に入って行く。
私はいたたまれない気持ちで目を閉じて俯いていた。ざわめく喧騒と、シェザード様から逃げるようにして避けていく男子生徒の方々の姿を、まともに見ることができなかった。
「兄上! ……どういうつもりですか、ルシルをこんなところに連れてくるなんて」
階段を上がる途中で、騒ぎを聞きつけたのか、それとも誰かからの報告を受けたのか、アルタイル様の厳しい声がした。
恐る恐る目を開くと、アルタイル様が怒っていると言うよりも困惑しているような顔でシェザード様の正面に立っていた。
アルタイル様はシェザード様よりも頭半分ぐらい背が低いけれど、階段の上にいるため今は目線の高さが同じぐらいだ。
色合いは似ているけれど、――顔立ちは、あまり似ていない。
アルタイル様は上質な毛並みをした猫のような印象のある方だけれど、シェザード様は雪山に佇む銀色の狼のようだ。
目つきも体格も、まるで違う。
「いくら婚約者とはいえ、あまり褒められた行動ではありません。兄上は良いかもしれませんが、ルシルの立場を考えてください」
「評判など、どうでも良いだろう。ルシルが俺の婚約者だということが、それで変わるわけではない」
「軽々しく考えるべきではありません。ルシルはフラストリア公爵家の長女であり、品行方正で大人しく穏やかな人柄が評価されて兄上の婚約者に選ばれたのですよ。悪評が流れれば、婚約者を変えろと言う意見が出る可能性はあります」
「誰がそれを決める? 父や母か。俺に関心など無い癖に、そのようなことは気にするのだな。くだらない」
「兄上……!」
アルタイル様の声音に厳しさが増した。
顔を合わせるたびに、喧嘩になってしまう。
――それも、いつも、私のことで。
「アルタイル様、違うのです。私、怪我をしていて、シェザード様は傷を見てくださるつもりなのです。だから」
「怪我を? しかし、ルシル。治療室に運ぶとか、他に良い方法がいくらでもあるでしょう。怪我をしたのなら、治療師に見てもらうべきなのでは。それよりも、兄上が共にいたのでしょう? ルシルに怪我をさせたのですか?」
「お前は本当にうるさいな、アルタイル。まるで母上と話しているようで、頭が痛い。お前には関係のないことだ」
シェザード様はアルタイル様の横をすり抜けて階段を上がり、足早に自室へと進んでいく。
私はそれ以上何も言えなかった。
アルタイル様が額に手を置いて深く溜息をついているのが見えた。




