隠し事は良くない
椅子に座って待っていると、ダイアナさんが紫色の花模様のあるワンピースを何着か持ってきてくれた。
私は靴下に染みた血の染みを見られないように慌てて靴を履き、居住まいをただした。
「持ってきたわ、ルシル。どれが良いかしら。柄が大きなものと、小さなもの。あと、スカートが長めのものと短めの物があって、腰をリボンで止めるタイプもあるし、見てちょうだい」
「ありがとうございます、どれも素敵です」
ダイアナさんが数着のワンピースを壁に打ち付けてある洋服掛けにかける。
こういったお店で買い物をするのは初めてだ。
どの服も派手さはないけれど、仕立て屋さんの作ってくれたドレスばかりを見てきた私にとっては、新鮮に映った。
「そう? 良かった。ルシルは、上質な服ばかりを見ているから目が肥えているでしょう? ここにあるのは誰にでも買えるようなものばかりだもの。もっと良いものをエドが買えるようになるまで、我慢してやってね」
「そんな……、我慢だなんて。こうして一緒にお買い物をしてくれるだけで、有難いと思っています」
「謙虚ね。もっと我儘になって良いのよ?」
「我儘、ですか」
「そう。例えば、宝石をねだるとか、靴をねだるとか。ルシルはそういうタイプじゃなさそうね。それで、好みのデザインはあった? 袖を通してみましょう」
「ええと……、あの、膝下ぐらいの長さの、薄い藍色に小さい花柄の……」
「あれね! 私も似合いそうだなと思っていたわ。ルシルは、大きな花柄よりも小さな花柄の方が似合いそうね。どちらかというと、華やかというよりは淑やかな魅力があるもの。……ん? もしかして今の、悪口に聞こえてしまった? そういうつもりじゃないんだけど」
「そんな風に聞こえていないので大丈夫です。淑やかと言われるのは嬉しいです」
今の貴族女性は、華やかさよりも淑やかさが美徳とされている。
あまり華やか過ぎる女性は家を乱すと言われているからだ。
女性の役割は良く家を守ること。子供を産むこともその中の一つだ。
派手好きな女性というのは、例えば――ひと時の遊び相手としては良いのだけれど、案外敬遠されるものである。
これは別に私の経験からこう思っているわけではなくて、昔からそう私や妹はそのように教育されてきたので、そう思っている。
とはいえ別に、華やかな女性に対して忌避感があるというわけではない。
個人的には、化粧も衣服も派手な女性は、生き生きとしていてとても良いと思っている。
正直、うらやましくさえあった。
私には多分、できない。
「さぁ、着てみましょうか」
ダイアナさんに促されて私は立ち上がった。
てきぱきと私の服を脱がせて、私の良いと言ったワンピースを着せてくれる。
採寸したわけではないのに、ぴったりだった。
薄い藍色の生地はさらりとしていて通気性が良く涼しい。
袖は肘の下ぐらいまでで、腰を紐で絞めてリボンで結ぶ作りになっている。
小さな紫色の花が生地全体に散っていて、控えめな花畑のようだった。
「あら、良いわね。とても良いわ」
「ありがとうございます。これにします」
「他の服は着なくて良いの?」
「あまり、エドを待たせると悪いので」
「女を待つのも男の役割の一つよ」
ダイアナさんは笑いながら言って、私の服を再び脱がせてくれた。
私は着てきた服に袖を通し、シェザード様の元へと戻ろうとした。
一歩足を踏み出す。一度休んでしまったせいか、ずきりと足裏が痛んだ。
頭にのてっぺんにまで突き抜けるような痛みに、軽くよろめく。
「大丈夫? ……ちょっと、見せてみなさい」
「なんでもないです、外に出るのが慣れなくて、すこし疲れてしまって」
「病弱だとか言っていたわよね。エドに無理やり連れまわされたんじゃないの? 足が痛いの?」
「大丈夫です……!」
慌てて私はダイアナさんから離れた。
シェザード様に知られたくない。
こんな情けないところを知られたら――また、嫌われてしまう。
「ちょっと、エド!」
ダイアナさんは強引に私の腕を掴むと、試着室を出た。
それからシェザード様の偽名を大声で呼んだ。
ダイアナさんに大きな声で呼ばれて、シェザード様が私たちの方へと小走りでやってくる。
「どうした、何かあったか」
やや焦ったような声音で尋ねられる。
私が何でもないと言う前に、ダイアナさんの怒った声が店の中に響いた。
「エド、どれだけルシルを歩かせたの? 病弱であまり外に出たことがないのでしょう? あなたに合わせて無理をしているわ。足が痛いのよ」
「足が?」
「ええ。やせ我慢しているわ。気持ちは分かるけど、そうして我慢ばかりしていると良いことがないわよ、ルシル。この子はあなたに隠しておくつもりだったの。でも、放っておけないわ」
「ルシル。何故言わなかった」
シェザード様の瞳が責めるように私を見る。
私はうつむくことしかできなかった。
自分から街に行きたいと言っておいて、不調を訴えることなんてしたくなかった。
一緒に歩くのは、楽しかった。話をするのも楽しかった。だから、足が痛いことぐらい我慢していたかった。
「そんなこと、聞かなくても理由は分かるでしょう? ルシルのやせ我慢に気づかなかったエドにも問題があるわ。大切な恋人なんでしょう? 洋服は選び終わったわ。買い物が終わったら、家まで帰るために、乗合い馬車を使いなさい」
「……あぁ。分かった。ルシル、座っていろ」
「……あの、お金……、私、持ってきていて」
「俺が払う。そう言っていただろう?」
私はシェザード様に服を買ってもらいたいとは言っていない。
私が欲しいものを買ってもらうなんて申し訳ない。
自分でお金を払って買い物をしたことはないけれど、ジゼルに頼んでお金をいくらか財布に入れてもらい、肩掛けの小さな鞄に入れて持ってきていた。
シェザード様にややきつい口調で言われて、私は黙る。
私の傍までダイアナさんが試着室の中にあった椅子を持ってきてくれて、座るようにと促した。
シェザード様が会計をすませて商品を受け取っている間、私は所在なく痛む足をじっと見つめていた。
履き慣れた靴にしてきたのに。
どうしたら良かったのかしら。
お祭りの日も沢山歩く筈なのに、これでは――一緒に行くことを、断られてしまうかもしれないわ。
私がこんな調子で、シェザード様の心根を変えることなんてできるのかしら。
「……ルシル。帰るぞ」
「は、はい……っ」
落ち込んでいると、いつの間にかシェザード様が私の前に立っていた。
短く言われて私は慌てて立ち上がろうとした。
私が立ち上がる前に、シェザード様は私の体を軽々と抱き上げた。
私の体を向かい合わせにするようにして前抱きに抱き上げたシェザード様は、片腕に洋服の入った紙袋をひっかけている。
まるで、抱きしめられているような姿勢だ。
不甲斐ない私を連れて帰るためなのはわかっているけれど、触れる体の硬さやあたたかさに、鼓動が早くなる。
「お祭りの日にうちで買った服を着てくれるのを、楽しみにしているわ。私も露店を出すから、寄ってちょうだい。それじゃあね、ルシル、エド。気を付けて帰りなさいな。また来てね」
ダイアナさんは私達を店の前まで送り出してくれた。
私はシェザード様の腕の中で小さくなりながら、なんとか会釈だけした。
来た道を、シェザード様が無言で戻っていく。
話しかけることができなくて、私も腕の中で静かに揺られていた。
なるだけ迷惑をかけないようにと、首に回した腕でしっかりとその背中につかまる。
触れ合う体から、鼓動が響く。
シェザード様の規則正しいそれとは違い、私の音はとても速い。
私の胸の鼓動の高まりを、知られてしまったら、どうしよう。
これでは好きだと、伝えているようなものだ。
顔を見られなくて良かった。きっと情けないほど赤く染まっている。
瞳が潤み、景色に水の膜が張った。
「あとで足を見せろ、ルシル」
「……足は……、その、……駄目です」
シェザード様に言われて、私は首を振った。
素足をみせるのは、一番はしたないこととされている。
王国では足首から下と、膝から上を見せるのは裸体を見せるのと同じだと思われている。
特に貴族女性の場合は、その拒否感が庶民の方々よりもずっと強い。
「傷を見るだけだ。それに俺たちは婚約者なのだろう? 足を見せても、問題はない筈だ」
「……はい」
婚約者という言葉を最初に人質に取ったのは私だ。
だからシェザード様に反論することができなくて、小さく頷いた。