約束を守るシェザード様
何度か「約束ですよ」と繰り返す私をじっと見ていたシェザード様は、私の手を離すと「またな」と短く言ってどこかへ行ってしまった。
アルタイル様はそんなシェザード様の背中を、驚いたように見つめていた。
「ルシル……、僕はてっきり、ルシルと兄上はあまり良い関係ではないと思っていました。余計なことをしてしまいましたね」
すまなそうに、アルタイル様が言う。
私は首を振った。
「そんなことはありません。シェザード様の婚約者に選ばれてから、アルタイル様には良くして頂きました。私のことを心配してくれていたのですよね」
「そうですね。僕は兄上の性格を、良く知っていますから。……兄上の代りになるだけルシルの傍に居ようと思っていました。……けれど、先程兄上に言われたように、少々出過ぎた行いだったのかもしれません」
アルタイル様が生真面目な表情で言った。
一度目の時も、今回もだけれど、アルタイル様はいつだって優しい。
王に選ばれたことを威張る様子もなく、皆に平等に優しい方だ。
だから余計、シェザード様の評判が落ちてしまっていたのだけれど。
本当は上級生であるシェザード様も入学式に参列しなければいけない。
けれどそんな気はないようで、また図書館にでも居眠りをしに行ったのか、いなくなってしまった。
行事に積極的ではないし、授業もともすれば出席しないことがある。
教師からも生徒からも、シェザード様ではなくアルタイル様に王位継承権があるのは当然のことと、影では言われていた。
「いままでありがとうございました、アルタイル様。私、アルタイル様に甘えてばかりいましたね。私はシェザード様と仲良くなりたいのです。だから、自分の力で頑張ってみます」
「分かりました。兄上があんな様子なのは、僕のせいでもあります。だから、困ったことがあればいつでも言ってくださいね。さぁ、ルシル、行きましょうか。入学式が始まってしまいますよ」
アルタイル様は穏やかに言った。
舞踏会や晩餐会で私の元からすぐに離れてしまうシェザード様の代りに、私のエスコートをしてくれていたアルタイル様は、大抵の場合私の手を引いて歩くために、手を差し伸べてくれる。
けれど、今日はそれをしなかった。
アルタイル様の手に縋ってばかりいた私ではなくなることが、きっとできたからだろう。
その事実に、勇気づけられるとともに、何故かしら少し安堵していた。
入学式の会場には、既に生徒たちが並んでいた。
上級生の案内で、並んでいる椅子に私とアルタイル様、他の生徒たちも座った。
学園長の挨拶のあと、上級生からの言葉。
その後、アルタイル様が新入生代表として舞台上に上がり、堂々とした立ち振る舞いでお言葉を下さる。
(本当は、シェザード様もあの舞台に立てる方なのに……)
アルタイル様の姿は、国民の前に立つ王の姿だ。
けれど、けしてシェザード様がアルタイル様より劣っているというわけではないと、私は思う。
私の知っているシェザード様は、授業にはあまり姿を見せないし、普段どこにいるのかも分からない時もあった。
そのせいで悪い噂が絶えなかった。けれどその成績は優秀で、剣術や体術、馬術にも優れていた。
シェザード様を侮った騎士団長の息子の骨を簡単に手折ってしまうぐらいに、強い方だった。
結局そうした優秀さも、日頃の素行と態度のせいで、全て裏目に出ていたのだけれど。
(来年の卒業式の式典で、シェザード様にあの場所に立っていただきたい)
来年の卒業式の日が、私に残された命の蝋燭が消える日だ。
だから、――シェザード様の立派な姿を見ることが私にできるのか、分からないけれど。
けれど、シェザード様の未来のために、皆の前に立つと言うことは良いことだろうと思う。
そのためには、素行と態度を改めて頂かないと。
アルタイル様の言葉も来賓の方々の挨拶も聞き流しながら、私はそんなことを考えていた。
入学式が終わり、私は友人や知り合いとの挨拶もそこそこに、一目散に会場を出た。
小走りで図書館に向かおうとして、入り口を出てすぐのところで腕を掴まれた。
入り口横の壁に寄りかかるようにして、シェザード様が立っていた。
まさかいるとは思わず、私は吃驚してシェザード様を見上げる。
制服を着替えたようだ。
シェザード様は今、黒地に前ボタンの並んだ簡素な服を着ている。
服装の飾り気のなさが、余計に危うさのある美貌を引き立てているように見えた。
立っているだけでも絵になる姿だ。
長身なこともあるし、筋肉質なこともあるのだろう。
「シェザード様、どうしてここに……?」
「どうしてもなにも、お前が言ったんだろう。約束だと」
「は、はい……!」
「行くぞ、ルシル」
短く言って、シェザード様は私の手を引いて歩き出した。
私達の姿を見た他の生徒の方々が、心配そうな視線を私に向けていた。
私とシェザード様があまりうまく行っていないことは周知の事実なので仕方ない。
その認識が案外早く変わりそうな気がして、私は口元を綻ばせた。
「学園から出て、半刻ほど歩けばある程度の店がある王都の中心街に出る。買い物をすると言っていたな」
にやにやと締まりのない私の顔を見下ろして、シェザード様が言った。
「私との約束を、覚えていてくださったのですね!」
「ああも必死に言われてはな。……お前はアルタイルを守ろうとしたのだろう。残念だったな、ルシル」
シェザード様の歩調が早い。
やや引きずられるように歩きながら、私は今度は違う理由で吃驚した。
雲行きがあやしい。
まさか、そんな受け取り方をしているだなんて。
言葉というのは、難しいわね。
「予想がはずれたか? 適当なことを言って、誤魔化して逃げ帰るつもりが、待ち伏せをされて、街に連れて行かれるとはな。哀れなことだ」
シェザード様の口元が、皮肉気に歪んだ。
少し仲良くなれた気がしたのに、最初からやり直しになってしまったみたいだ。
どうしてそう思うのかしら。
それだけ、シェザード様にとってのアルタイル様の存在への悪感情が、根深いということなのかしら。
それにしても、と、私は内心首を傾げた。
私の態度のどこが悪かったのだろう。
全力でシェザード様に愛情を示したつもりなのに。
ーーもしかして。
「シェザード様、私があわてて式典会場から出てきたのは、逃げようとしたからではありませんよ……!」
早足で歩いているせいで息が切れる。
それでもなんとか、私は声を張り上げた。
「図書館に行こうとしていたんです、シェザード様を探しに」
「なんとでも言える。俺はお前を信用していない」
「お出かけ、できて嬉しいです。約束、守ってくださって嬉しいです」
「ひとは、変わらない。……怯えながら、嬉しいと言われても、不愉快なだけだ」
ひとは変わらない。
そうかもしれない。
けれど、私は違う。だって、私は覚悟を決めているのだから。
シェザード様の言葉は、どこか苦し気だった。
信じて欲しいと思うと同時に、苦い罪悪感が胸に滲む。
私はけして伝えることができない嘘を、シェザード様につき続けなければいけない。
「怯えているように見えるのは、緊張しているからです。だって、初デートなんですよ。シェザード様は、私に似合う服を選んでくださいね」
「どうせ、歩くこともできずに、帰りたいと泣き出すだろう。正直に言え、ルシル。誰の差し金だ? 帰るなら、今だ」
「私の言葉も行動も、私だけのものです。私も着替えますから、寮に寄ってください」
「やはり、逃げるのだろう」
私は海よりも優しく広い心で、シェザード様に微笑んだ。
「逃げませんよ。信じられないなら、一緒に部屋まで来てください。シェザード様は婚約者なので、大丈夫です」
さすがに、それはできないと思ったらしい。
シェザード様は小さく息をついて、「入り口で待っている」と言って歩調を少し緩めてくださった。