序章
柔らかい陽光が学園の裏庭に降り注いでいる。
白い東屋を囲むように赤や紫、白のアネモネが咲き乱れ、撫でるようにそっとふいている風にゆらゆらと揺れていた。
小さな白い花を咲かせている沈丁花の良い香りが鼻腔を擽る。
けれどそれ以上に、錆びた鉄のような匂いがする。
――体が熱い。
私はレンガが敷き詰められた地面へと仰向けで倒れて、空を見上げている。
春の空は晴れ渡り、雲一つない。ちらちらと陽光が網膜の上で光り、妖精が飛んでいるかのように見えた。
息苦しさを感じる。呼吸がうまくできない。ひゅひゅうと耳障りな音が呼吸のたびに喉から上がる。
大きく口をあけて空気を目いっぱい吸い込もうとするけれどうまくできない。
陸に打ち上げられた魚のように喘いでも、息苦しさは増すばかりだった。
「――、ルシル……!」
何度も名前を呼ぶ声がする。
ルシル。それは私の名前。
滅多に呼んでくれたことなんてなかったのに、何度も、何度も――深い慟哭と共に、私の名前をシェザード様が呼んでいる。
赤く染まった手が私の頬に触れる。
生ぬるい涙が顔に落ちる。美しい紫色の瞳から、涙があふれている。
「……シェザード、なんてことを」
震える声で、アルタイル様が言った。
「死ぬな、ルシル……、すまない、俺は、……っ」
シェザード様は私の体を抱きしめる。
呼吸ができない。意識が遠のく。
私はシェザード様を抱きかえしたかったけれど、体を動かすことはできそうになかった。
深い後悔が胸を支配する。
私が――私が、もっと、しっかりしていれば、もっと、シェザード様と話をしていれば、こんなことにはならなかったのに。
シェザード様はどうなってしまうのだろう。
できればもう一度、やり直したい。
――私はどうなっても良い。
シェザード様を救いたい。
傍に居たのに、何もできなかった。
こんなことになるまで何もできず、何もしようとせずに、ただ見ていただけだった。
――好きだったのに。ずっと、好きだったのに。
ぷつん、と意識が途切れた。
痛みも苦しさもすべて消えた。まるでランプの明りを消したように唐突にあたりが暗闇に包まれる。
何も感じない、見えない世界で、シェザード様の私を呼ぶ声が最後まで響き続けていた。
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