第三話 それこそが純潔の証です!
無実の罪で処刑されそうになった私フォリナ・モナドを、ノンナ=ルイナと名乗る吸血鬼の少女が救った。
代償に負った契約は、聖剣の乙女として吸血鬼達の内紛に介入する事。
まずは王都の大聖堂にある聖剣を抜いて、自らの資質を試さなければならない。
◇◆◇
準備を終えた私達は、三日後に王都に舞い戻った。
私は昼間を劇場で過ごすと、夕方になって特製の喪服に着替え、黒いベールを被って大聖堂の中に入る。
顔の見えない女性の参拝者に、入り口で警護する衛士の緊張が高まったが詰問はされなかった。
まだ前王カルハグの服喪期間中であり、喪服では無い女性が参拝する事自体が不敬に当たる。
衛士隊と言えど、処刑場から脱走した聖剣の乙女一人のために慣習を無理矢理曲げられない。
「流石に警備が厳しい」
私は小さく独り言ちると、聖堂内を見渡す。
正面の壇上に聖剣の入った櫃がある。聖剣がどの様に収納されているかは分からない。聖櫃に収められる以前の記録では聖剣は空中に浮いていたらしい。
私は位置取りに思案する。
聖剣を抜くためには、一気に聖櫃まで辿り着けた方が良い。
だが、あまり前列だと怪しまれてしまう。
「フォリナ嬢、聞こえるか」
コイトのくぐもった声が聞こえてくる。魔法では無くコウモリ化した吸血鬼の特殊能力で、特定の狭い領域だけに声を出す事が出来るのだと言う。
吸血鬼達三名は前夜コウモリに変身して、聖堂ドームの中に隠れている。
何処だろうか? 私はドームの暗がりに目をこらした。
「見るでは無い。フォリナ・モナド」
ノンナ=ルイナに怒られた。
「フォリナ嬢、こちらの位置が分かったのなら、見える範囲で座ってくれ。陽動の準備が出来たら合図する」
コイトは簡単に言うが、手際良く済ますには、私自身だけで聖櫃に辿り着けた方が良い。
左側二段目のベンチ列の、真ん中に位置を定めた。
右腿に差した短剣を鳴らさないよう注意深く座る。
列の真ん中は怪しまれにくいが、通行に支障があるように思える。
実はベンチの背もたれを走って通路に出る事が出来る。冒険者の真似事をしていた頃に実証済みだ。
「はぁ、緊張してきたわね」
伯爵の眠たそうな声には緊張感の欠片も無い。この日中ずっと聖堂の暗がりにぶら下がっていたのだ。足は痛くならないのだろうか?
眠いと言えば私も眠い。昨晩吸血鬼の隠れ里から王都まで馬に乗って来た。喪服のドレスを汚さないように横乗りだったので腰も痛い。
「フォリナ・モナド、日没だ」
ノンナ=ルイナが知らせる。
日中動く事の出来ない吸血鬼の制約は、中々邪魔である。
その時、右側一段目に座った喪服の女性集団が一斉に席を立った。
私は慌てて、上からだけ見えるように両手で×マークを作る。
遠目かつ体格から推測しただけだが、彼女達はおそらく私のサロンの常連だった者達だ。処刑に対する抗議のつもりなのだと思う。有り難い話だ。
緊張した衛士達が数十人も出てきて、もみ合いになる。
そして衛士の手が喪服の女性一人に触れ、悲鳴が上がった。
良い機会だろう。聖堂内を恐怖で支配するために、私も悲鳴を上げる。
女性の参拝者を中心に、上手い具合に動揺が感染していった。
「おい、おい、不味い。日を改めるか」
コイトが狼狽える。
その時、喪服の女性達は衛士達から逃げ出し、面食らった衛士達も遅れてそれを追った。
私はベンチの上に飛び乗り、背もたれを踏んで通路まで走る。
「行くよ、ノンナ=ルイナ嬢、コイト」
伯爵の指揮の元、吸血鬼達も変身を解きながら飛び降りた。
「予定に無いよ」
コイトはぼやく。
「フォリナ・モナド、流石だ」
ノンナ=ルイナはコウモリとしての速度が速く、直ぐに私に追いついた。
「しまった。こっちは陽動だ。戻れ戻れ」
状況に気が付いた衛士隊長が、隊員の衛士を必死に呼び戻す。
追いつかれないように私達は必死に聖壇上に走った。
「コイト、私達で兵隊を押さえるよ。ノンナ=ルイナ嬢とフォリナ嬢は聖剣の方を頼む」
伯爵は足を止めると、コイトと二人で衛士達に襲いかかる。
「フォリナ・モナド、聖櫃は私が壊そう。聖剣を抜くのだ」
「分かりました」
いよいよ聖壇上に登ると、伯爵による陽動を抜けた一人の衛士が向かって来た。
私は喪服に作り付けられたスリットから短剣を抜くと、衛士に投げつける。
短剣は衛士の胸を貫き、聖壇を血で染めた。
『衝撃槌』
ノンナ=ルイナはウォーハンマーに衝撃の魔法を掛けると、聖櫃に叩きつける。
聖櫃は木っ端微塵に粉砕された。
しかしそれだけでは済まなかった。ノンナ=ルイナの魔法に倍加するように、衝撃波が反射され、私を除くすべての人を引き倒し、構造物を粉々にし、聖堂を半壊させた。
それからしばらくは静寂だった。
聖櫃の中から聖剣が顕現した。そうとしか表現出来ない。光の粒子が凝集して両手剣の形を形成したのだ。
初めて見た聖剣は、伝承通り宙に浮いている。
聖堂に開いた穴を通して月光が聖剣を照らし、透明の刀身がそれを乱反射して煌めく。
私は誘われるように、聖剣の柄に手を掛ける。
聖剣に拒絶されるかもしれないという懸念は既に忘れており、確信を越えて、聖剣の乙女の義務感だけが心を支配していた。
「そう、皆利己的なのね」
流れ込んでくる聖剣の記憶に私は細く微笑む。
私は説教台の残骸に乗って、両手で聖剣を掲げる。
「フォリナ・モナド、ここに聖剣の乙女として即位します」
誰が見ている訳でも無いが、古式に従い剣の女王の地位を周知した。
それが終わると、聖剣を空中で消して神の領域に収める。
説教台から降りると、契約相手の吸血鬼の無事を確認した。
「ノンナ=ルイナ、大丈夫ですか? 無事で居てくれないと、契約の意味が無くなってしまいます」
私は聖櫃の瓦礫の中からノンナ=ルイナを救い出す。
「やり遂げてくれたな、フォリナ・モナド。聖剣の乙女よ」
口では偉そうな事を言う小さな吸血鬼だが、体躯相応に弱りもする。私は見た目通り軽い彼女を背負った。
「伯爵閣下、コイト」
私は仲間の居場所を探して声を上げる。
伯爵とコイトは、逃げ出していない最後の衛士に止めを差し終わったところだ。
私はノンナ=ルイナを背に、二人の元に駆けつける。
「酷い目に遭った。まだ片耳が聞こえない」
コイトはしきりに頭を振りながら、剣から血を振り落としていた。
「よくやったね、フォリナ嬢。ノンナ=ルイナ嬢はのびちゃったのかい」
伯爵は私を褒めた後、意識の無いノンナ=ルイナの額に手を当てる。
「おそらく、聖剣の力を直接浴びたからです」
私は推測を述べて、力を無くしたノンナ=ルイナを背負い直した。
「コイト、ノンナ=ルイナ嬢を背負ってやりな。フォリナ嬢には聖剣の出番があるかもしれない」
伯爵の指示で、私はノンナ=ルイナをコイトに預ける。
「さあ、ここから逃げるよ」
伯爵は抜き身の剣を握り直すと、内側からはじけ飛んだ聖堂の正門扉の方向に先導した。
聖堂を出るとあちこちで火災が発生しているのが見える。
「不味く無いか? いつも使っている裏トンネルが使えない」
コイトが顎で示す方向を見ると、城壁際の下層民の居住区画が燃えていた。
「いえ、私達を逃がす気が無いようです。城門を突破するしか無いでしょう」
私が指差した先、王都の城門は閉まっている。これほど早い時間に城門が閉まる事は無いし、平時なら火事が起きれば城門は解放される。私達を逃がさないために、誰かがあえて閉めたのだ。
「そうだ、フォリナ・モナド、聖剣の力を示せ」
いつの間にか起きていたノンナ=ルイナが弱々しく煽る。
「おいおい、お嬢様達、言うだけなら簡単だけど……」
「城門を突破しましょう。聖剣なら可能なのよね」
コイトは怖じ気づくが、伯爵は私を見て聞いた。
私は伯爵に頷く。伯爵が指摘する通り、聖剣ならば容易に城門を砕く事が出来る。それは流れ込んで来た記憶から知った事だ。
その時、私を呼ぶ声が大声で響き渡る。
「フォリナ、居るのだろう。貴様は我が母だけでは無く、私をも愚弄するのか」
現王レマが、怒りを振り撒いていた。
何処から叫んでいるのだろうか。
「フォリナ嬢、返事しないで、罠よ」
伯爵が私の喪服を引っ張って聖堂の破片に隠れさせた。
「やつは、城門楼に居る」
コイトが吸血鬼の目と耳を使って、レマ王の居場所を見付ける。
「私は貴様が憎い。母があれほど求めた労いと栄誉を横から来て掠め取っていったのだからな。下賤な身分の生まれのくせに、貴様は王家の栄光を担った。母の慟哭の分、許しはしない」
レマ王の叫びはなおも続いた。
「フォリナ、聖剣を抜いたのだな。おかげで貴様は処女と証明された。処女の妾など居るものか。貴様は王統最大の恥を暴いたのだ」
私は我慢出来ず立ち上がる。
「レマ王陛下。私の主人は女性ながら王として即位せざるを得なかったカルハグ王陛下です。恥などではありません。私が処女のままなのは当然。それこそが純潔の証です!」
私は前王カルハグへの侮辱に憤って、反論した。
コイトは慌てて私を物陰に引きずろうとし、伯爵に止められる。
「じゃあやつは誰の子供なんだよ」
コイトの疑問はもっとも、レマ王は正室の子だが父親は分からない。
王統はカルハグ王で終わったのだ。
「女同士が純潔だと、穢らわしい」
レマ王はなおも私とカルハグ王を嘲笑う。
「神が認めた純潔です。さあ、聖剣の乙女、剣の女王が命じます。レマ王陛下、門を開けなさい」
私は、聖剣を召喚して神意を誇示した。
月夜にあって月より一段と光輝く聖剣に、城門に詰めた衛士達からも驚嘆の声が上がる。
「あの売女を射ろ」
レマ王は衛士達に射撃を命じた。
「聖剣よ、城門を砕きなさい」
私は聖剣に命じると城門に向かって一振りする。
聖剣は城門を周りの城壁ごと砕いた。建物は跡形も無くなり、地面は大きく抉れた。
混乱する衛士達の中を通って、私達は王都から脱出した。
王都から脱出して数十分歩いても、まだ城壁の残骸が地面に降り注いでいる。
「とんでもない力よね。確かに夕闇の王笏に匹敵するかもしれないわ」
暗闇を彷徨いながらも、伯爵の興奮は冷めやらない様だ。
「あんなの他にもあるんですか」
コウモリに変身して上空を飛んでいるコイトが、地上に声を届ける。
聖剣が引き起こした二度の大音響のせいで馬が逃げ出し、私達は探し出すのに苦労していた。
コイトはそのために飛んでいる。
代わりに私がノンナ=ルイナを背負っていた。
「フォリナ・モナド。背負われていると首筋へ牙を立てる誘惑に駆られる」
「ノンナ=ルイナ、夕闇の王と対決するのが本番でしょう」
私が彼女の〈食事〉になると、おそらく聖剣の乙女の資格を失ってしまう。
「いつかそなたの血が飲みたい」
「口説くのは、ちゃんと歩けるようになってからにしてください」
私はノンナ=ルイナからの誘いをはぐらかした。
PV多ければ、もしくは私の気分次第で続くかも知れません。
取りあえずパイロット版なので、これで完結です。