第一話 誰でも良いから助けて!
挿絵入れました。
ノンナ=ルイナという名前の少女は――吸血鬼と本人は自己紹介したが、その一族が持つと言われる怪力や特異な魔法は使わずに――私を拘束する枷をノコギリで地道に切っている。
「喜べ、左足の枷を切り取ったぞ」
ノンナ=ルイナが大仰な言い方で勝ち誇ると、枷は磔刑台から落ちて、重たい鋲が地面に食い込んだ。
彼女のノコギリ捌きは見事である。糸鋸の刃を巧みに曲げ、鋲の隙間に差し込んでは次々と鋲頭を切っていく。それでいて刃を折る事も無い。
四つの枷が壊され、遂に私は自由の身となった。
私の名前はフォリナ・モナド。一九歳の乙女で、前王カルハグ唯一の妾である。
数ヶ月前、主人たる前王が崩御し現王レマが即位したが、今になって私は磔刑に処せられる事になった。
罪状は姦通罪だが、身に覚えは無い。
ノンナ=ルイナは磔刑台から飛び降りると、かろうじて生きている数名の衛士と若干の野次馬の前で何やら宣言をし始める。
真夜中なので、増援の足も遅く見学者も少ない。
「私ノンナ=ルイナは、そなたの助けを求める声に応じた。この事実を認めよ、乙女フォリナ」
磔刑台から降りようとして思案している私を、彼女は指差す。
吸血鬼というのは少女でも偉そうな言い方なのだろうか。
「吸血鬼様、確かに助けを求めました。ですが、私は未亡人です」
些細な事だが吸血鬼にとっては重要な事だ。勘違いがあっては申し訳ない。私は磔刑台の足置きに座って答える。
ここからは飛び降りるしか無い様だ。
「そいつは姦通の……」
言いかけた半死の衛士を、ノンナ=ルイナは重そうなウォーハンマーで殴った。
誇張されているが、あれが吸血鬼の膂力なのであろう。
「そなたは聖剣の乙女だ。助けた代償として、我々月夜の王国のために聖剣を使って貰う」
「聖剣の事なんて知りません」
私は素直に告白する。
聖剣とはこのカトリ王国に伝わる神授の剣の事だ。強い力を持つが、使い手が処女の中ら選ばれることもあって、ここ三百年は退蔵されたままだ。
「レマ王はカルハグ王の妾を処刑するほど、己が母の不遇に憤っているのか? さもあらん。だが、レマ王にとってはそなたが乙女である事の方が余程不都合なのだ。聖剣はそれを証明する」
ノンナ=ルイナは不遜に笑う。
なるほど、彼女は王国の最高秘密であるカルハグ王の素性を知っているのだ。だから私が妾であり、かつ処女でもある理由も知っている。
「吸血鬼様は、私が処女である事を確信なさっている」
私はおずおずと彼女に探りを入れた。
「これは父よりの言づてだ。男として生きざるを得なかったカルハグ王が、唯一愛した女よ。短かっただろうが、幸せは得ただろう」
ノンナ=ルイナの返答からはより詳しい情報源の存在が感じられた。
彼女の父親とは一体何者だろう。
「長く続くとは思っていなかったけれども……」
「そうか。父とカルハグ王との約束だ。カルハグ王は我が国への助力を果たせなかった。だからフォリナ、本来の約束通りそなたが聖剣の乙女としての役割を果たせ」
「主人が果たせなかった約束とまで言われるのですね。そこまで言うのであれば、聖剣で自分を試しましょう」
吸血鬼が同盟者であるのは気になるが、カルハグ王が関係している事ならば私の問題である。
聖剣の事は本当に知らないが、気がかりもあった。
崩御直前、カルハグ王から私への遺書が奪われている。添付されていた鍵は、精緻な教会様式の細工が施されていた。
もしかするとあれは聖剣が収められている聖櫃の鍵だったのかも知れない。当の本人である私だけが知らなかった事になる。
私は、思い切って磔刑台の足置きから飛び降りた。身体が地面に転がり、白いドレスに土が付く。足は挫かなかったが、あちこち傷だらけになった。
ノンナ=ルイナは走り寄ると、私を助け起こす。
その際に、口の中に牙らしき何かが光って見えた。少女ではあるが吸血鬼には違いない。
彼女は、裾が長い緋色の上着に、黒い乗馬ズボンを身に着けている。刺繍には唐草では無く茨が模様として用いられていて、いかにも吸血鬼らしい。
私は決して背が高くないが、それでも彼女との身長差はかなりある。
その小さな体格にも関わらず無骨なウォーハンマーが得物だ。
「では、私と契約を結んで貰おう」
ノンナ=ルイナはそう言うと、腰の筒から契約が書かれた羊皮紙を取り出す。
詳しくは読まなかったが、契約の主体は私と吸血鬼ノンナ=ルイナ・レニウ・イルギウムになっている。
「誰でも良いから助けてと泣き叫んだ以上、選択の余地は無いのですが」
私は膝の擦り傷から血を採ると羊皮紙に血判を押した。別に魔法の契約書という訳でも無い。
「ふむ、物わかりの良い」
「血は吸わなくて良いのですか」
私は焦げ茶色の髪を指で梳いて、首筋をノンナ=ルイナに見せつけた。
「聖剣の乙女を吸血鬼の〈食事〉には出来ないであろう。惜しい話だ」
ノンナ=ルイナは親指の爪を噛んで悔しそうにする。
「それでは、私を拘束する物はあくまで、契約書だけです」
私は商業契約並みの頼りない方法に疑問を呈した。
「たかが契約書と侮るな」
ノンナ=ルイナは、契約書に書かれている違約時の対応を指差す。いわゆる死の制裁だ。
「もちろん、契約は守ります」
「当然だ。さて行こうか」
ノンナ=ルイナはウォーハンマーを両手で担ぐと、私を先導する。
私は、死んだ衛士の剣を拝借した。
「剣と魔法の心得があると聞く」
ノンナ=ルイナの言う事は間違っていない。前王によって事実は伏せられたが私は冒険者の真似事をしていた事がある。
冒険者というのは、魔物に満ちた世界で人々が生き抜くために、個人レベルで魔物退治の依頼を引き受ける傭兵の事だ。王都付近では魔物は掃討されているが、田舎ではまだ需要は多い。
私は裕福な商人の家に生まれ、魔物退治で生計を立てていた訳では無いのであくまで真似事だ。
私は剣を抜いて、数回試し振りをする。前王と毎日行っていた鍛練を思い出して悲しくなった。
その時ようやく、私が磔にされていた刑場に、増援の衛士が到着する。
『超加速の衝撃波』
私は機先を制して補助魔法を唱えた。
手から発した衝撃波が、増援の衛士達を打つ。
前王カルハグが生きていた時なら、大事な衛士達なのだが、私を磔にすると言うのなら話は別だ。
前王の妾が発した予想外の魔法に、増援は隊列を崩す。
ノンナ=ルイナはその隙に彼らの間近に走り込むと、ウォーハンマーを振り回した。
「見事な魔法だ。ますます聖剣の乙女に相応しい」
ノンナ=ルイナは無駄口を叩きながら衛士の足元に入り、体重移動を併用してウォーハンマーの槌頭をその腹部にたたき込む。
衛士が血を吐く寸前に離脱すると、彼女はウォーハンマーを大きく振りかぶって、別の衛士をねじ伏せた。
『霜剣』
私は、剣に氷の力を付与する魔法を唱える。
刀身が金属光沢を失い白くなると、冷たい霧を纏った。
「罪人が魔法を唱えただと! 再増援だ、誰か」
増援の隊長が再度増援を呼ぼうとするので、私は彼を排除する事にした。
ノンナ=ルイナが作った混乱を使い、敵の真ん中を突っ切って隊長の目前に立つ。
「罪人フォリナ・モナドなのか! 貴様何者だ」
目の前に現れた本人に、増援の隊長は驚きの声を上げる。
「フォリナ・モナドです。お見知り置きください」
これでも前王カルハグの妾だ。衛士に貴様呼ばわりはされたく無い。私は挨拶もそこそこに、霜剣で斬り込む。
隊長は剣を横に振るって、私の霜剣を払った。
彼の顔が苦悶に変容する。一瞬の打ち合いだが、霜剣は相手の剣を持てないほどに冷却する。
――人を傷付けるのは何年ぶりだろう。
私は弾かれた霜剣を手首の回転で操ると、往路で隊長の左手首、復路で右手首を切り落とした。
氷の力が剣から身体に及び、隊長の左右の手は凍り付く。
「隊長! 今助けます」
隊長を慕っているのか、殊勝な衛士が後ろから飛びかかって来た。
――人を殺すのも久しぶり。
私は剣を逆手に持って後ろに突き立てる。
それは間合いに入り過ぎた不慣れな衛士の胸を突き、一瞬の悲鳴の後に彼を絶命させた。
凍結した彼の身体は、持った剣そのままに倒れて、私のドレスを切り裂く。
思い出した、人を傷付けるのも殺めるのも四年ぶりだ。
魔物に与する人間も居るので、冒険者は魔物と同じぐらい人間と戦っている。
そう吸血鬼と契約した私も同じ事だ。
「聖剣の乙女、無事か」
私の事を心配してノンナ=ルイナが声を掛ける。
彼女は既に衛士を二人倒していたが、ウォーハンマーの鈍器側しか使っていないので返り血を浴びていない。
「吸血鬼様、この隊長さんはどうします?」
私はノンナ=ルイナに隊長を尋問するかどうか聞いた。
「捕虜は不要」
彼女の回答は簡潔である。
「おい、止めろ……」
私は命乞いを最後まで聞かずに、隊長に止めを差した。
「聖剣の乙女、そちらに二名ほど向かった」
ノンナ=ルイナが私に警告する。
「まかせてください」
位置取りを有利にするために、私は走り出した。
『氷結の塵』
私は衛士一人の進路に、罠になるように魔法を唱える。
宙に白くゆらめく球が出現し、避けきれなかった衛士はそれに突っ込むと悲鳴を上げて倒れた。全身に白い粉が降りかかっているだけに見えるが、それは服の上から身体を凍らせるほどの極低温の結晶である。
「貴様魔物の変わり身か」
残った一人の衛士が私の技量に驚いて、素っ頓狂な事を言い出す。
「失礼な。魔物を倒さないと、生き残れ無かっただけです」
武器だけで魔物を倒すのは難しい事なので、程度の差はあれ冒険者は皆が魔法を使う。集団戦に特化して魔法を捨てた衛士達には分かるまい。
衛士が無闇に振り回す剣を弾き飛ばすと、私は霜剣を彼の胸に突き立てる。
戦闘が終わると、私達は増援の衛士八名を全滅させていた。
その他にノンナ=ルイナが倒した刑場の衛士六名の死体が転がっている。
「久しぶりなのに、戦いに身体が反応するのが生まれという物でしょうか」
私はため息をつくと、切り裂かれて邪魔になったドレスの裾を千切った。
「吸血鬼様、これからどうなさるのです」
私は新しい契約相手に、今後の方針を聞く。
「契約による対等な共謀者であるので、ノンナ=ルイナと呼ぶが良い、聖剣の乙女」
「ノンナ=ルイナ、わかりました。では同様に、聖剣の乙女では無くフォリナと呼んでください」
「聖剣の乙女である事は変わらない。しかし承知した、フォリナ・モナド」
なるほど、これでお互いの立ち位置を確認出来たが、肝心の行く末を聞いていない。
「このままだと、いずれ衛士達に追い込まれます」
「大聖堂より聖剣を回収したいが、日を改めよう。太陽が昇ってしまう」
ノンナ=ルイナは残念そうに月を仰ぐ。
私は霜剣の魔法を解除すると、破り取ったドレスで剣から血と水滴を拭った。
ドレスを着ているので仕方なく、剣は手に持つ。
離宮に愛剣が置きっぱなしなのは残念だが仕方が無い。
「吸血鬼が聖剣を求める理由は何なのですか?」
私はノンナ=ルイナに尋ねた。
聖剣は闇に仇為す神器だ。吸血鬼は闇に属する存在であり、相容れる物では無い。
「夕闇の王を誅するがため」
ノンナ=ルイナは私を裏道に案内しながら、事情を話す。
吸血鬼達が繰り広げる内紛の事は聞いた事がある。
人間同様、かの魔物にも派閥があり領土争いを繰り広げている。
「私は巻き込まれるのですね。ノンナ=ルイナは何故、私の主人、前王カルハグ陛下の秘密を知っているのですか?」
前王カルハグは、お忍びで冒険中に私を見出して王城に連れ帰った。さらに正式な妾にすると言うので、王室は大騒ぎになった。現在の王であるレマ王子との対立もその時に生まれた物だ。
「聖剣の乙女を見い出すために、父はカルハグ王と同盟を結んだ。いざ発見した所で、カルハグ王は聖剣の乙女に別の意味を見出した」
「私が妾になった事ですか」
「そうだ。カルハグ王は自ら我々の問題に介入する事で、聖剣の乙女を妾にする代償としようとした。しかし父は寿命が残り少ないカルハグ王の戯れを許した」
「私だけが知らなかったのですね」
月を仰ぎ見ると、深く溜息を付く。たった三年間の妾生活、前王カルハグの病気を知ってはいたが未練が残る。
裏道を抜けた先は、小さなトンネルになっていた。
「呆れた、城壁に穴が開いている」
私は腰を屈めたぐらいの高さの狭いトンネルに苦笑する。
「良くある事であろう」
ノンナ=ルイナは門番に金貨一枚を渡す。
狭いトンネルを抜けると城外だった。
城壁の抜け穴からしばらく歩くと、馬を数頭連れた男女が駆け足で近付いて来る。
「中々良い手際だったわ、ノンナ=ルイナ嬢」
彼女を褒めた妖艶な女性は、牙が生えていた。
「なるほど、カルハグ王の秘蔵っ子という訳だ。綺麗だし、強いし、すごいな」
高身長の男性の乗り手が、馬上から私を観察する。
彼は一旦馬から下りると、別の一頭の馬具を私向けに調整した。
「聖剣の乙女、ドレスで馬に乗るのはきついだろうが、我慢してくれ。乗れる事は乗れるのだろう?」
彼は手綱を調整すると、私に乗るように促す。
「ええ、ありがとう」
私は鐙に左足を乗せると、右足を反対側に跳ね上げ、普通の乗り方で騎乗した。妾時代にはドレスで上品に乗る横乗りも習ったが、あれで戦う訳にはいかない。
ノンナ=ルイナは背が足りないのか、そのままでは鐙に足が届かず、一旦馬にしがみ付いてからよじ登る。
「夜明けまで時間が無い。隠れ里まで急ぐわ」
妖艶な女性がリーダーだろうか。彼女は主導すると、私達は北に向かって王都を去った。
フィードバックが無い状況で、かなり苦闘しています。
なんなりと意見をお寄せ頂ければ幸いです。