八話 魔王リスドォルの焦り
舗装されていない道、背の低い草が茂る野原。
先へ進むと澄んだ小川があり、沢山の小さな生物が動き回っている。
言葉にすればただそれだけだが、城に引きこもっていた私には、皮膚に当たる風も、草のざわめきも、水が流れる音も、すべてが新鮮に映った。
「少し私の話もするとしよう」
「ぜひ!」
離していたユタカの手を取る。
川沿いの散歩は涼しくて気持ちが良いのに、ユタカの手は熱をずっと持ち続けている。
顔も赤いが大丈夫だろうか。
「熱があるんじゃないか」
「いや、これは違うんで! 大丈夫ですから!」
本人が言うならそれ以上は追求しないでおく。
何を話せばいいか少し悩んだが、二回目のデートにつなげたいと言ってたユタカのためにも、次に行きたい場所に関する話題が必要だろう。
「魔物は皆、食事はすべて生のままで食べることは知っているな?」
「ええ、ビックリしましたよ。料理人がいるのに、料理された物が出てこなくて」
「魔界での料理人は、美しく盛りつける職人のことを言うからな」
魔物は、動物と同じように獲物をそのままかじり散らす。
私のような人型の魔物は口が小さいため、食べやすいように肉を切り分けたりはするが、味を気にしたりしない。
人が特殊なのだ。
食べる時間よりも調理の時間に何倍も何十倍もかけるなんて理解不能だ。
「肉や野菜、果物は普段から食べているし、火を通す程度ならすぐにでもできそうだが、もっと工程の多い『菓子』という物が食べてみたいのだ」
菓子は、過去にどこかに派遣された魔物から聞いたことがあるだけで、実はどういう食べ物かあまりわかっていない。
複雑な作りのものが多いとか、粉からできたと思えない見た目になるとか、種類が豊富で飽きないとか、噂ではどうしても想像できなかった。
一人では探す気にはなれなかったが、デートという形でなら、楽しめる気がした。
「お菓子……故郷には溢れてましたけど……そういえばこの世界ではまだ見てないですね。俺が見過ごしてるだけかもしれないですけど」
「庶民には広まっていない可能性もある」
「フランセーズが知ってるかもしれないですね」
元王子という上流階級にいた存在は便利だ。
最も菓子に近い男やもしれぬ。
だが、情報収集はまだ先でいい。
「それは最後の答え合わせで良かろう」
「答え合わせ?」
「そうだ。ユタカも私もわからない物なら、町で菓子と思われる物を片っ端から試してみればいい。間違ったり、知らぬ発見があったり、そういう時間がデートというものなのだろう?」
無駄に思えるような行動に意味を持たせることが大切なのだと、ユタカの話で認識した。
一人では面倒だとか、無意味だと感じるようなことが、真逆の印象になる。
そういう変化を感じられたらデートなのだと思う。
「その通りです! 買い食いデートですね!」
「既に名前があるのか」
「お散歩デートも、お家デートもありますよ」
外に出なくてもデートになるのか。
確かに家で遊ぶことはあるからおかしくはないか。
次は、買い食いデートに決まり、市場のある場所へ向かう事が決まった。
物々交換が基本の魔物には売買は珍しい行為なので、その点も楽しみだ。
距離の問題で日帰りできるのかもわからないので、フランセーズにも話してから出発予定を決めることにした。
「デートに関してほとんどをユタカに任せてしまったから、何か礼をせねばな」
「いえ、そんな、俺がやりたくてやってるんで!」
「そうか、では口付けはやめておこう」
「え……え!?」
ユタカが固まり、今にも泣きそうになっている。
やめるんですか、と震える声で呟いた。
「口と口を付けるくらい試してもよいかと思ったが、それは人にとっては大きな意味を持つのだな?」
「そうですよ……だから、あまりからかわないでください」
からかう気持ちはゼロではなかったが、したいのならすればいいとも思っている。
「では、からかった詫びだ。してもよいぞ」
ニヤリとしてユタカを見下ろす。
ヒュッと息を飲んだユタカの手に力が入り、ソワソワと落ち着かない。
好きになって貰ってからがいいという気持ちと、やれるならやっておけという気持ちがせめぎ合っているとわかる、大きな独り言が聞こえてくるのが面白い。
そんなユタカを微笑ましく眺めていると、突然頭上が暗くなった。
「魔王様!」
ユタカが瞬時に握っていた手を離し、黒の鎧を纏い、影に闇の魔剣を投げつける。
相変わらず剣を普通に使わない男だ。
影の正体は、頭上で膨れ上がった大きな火の玉だった。
剣が直撃すると上空で爆発した。
火の粉が散って草に燃え移るのは困るので、私は川に手を入れ、水の力を借りる。
私の魔力に呼応した水が飛び跳ね、その勢いは増していき、雨のように一帯を水しぶきが降り注ぐ。
これで火事の心配はないだろう。
「神に、勇者の炎で城を燃やせば魔王は倒せるって言われたのに、外にいるんじゃなぁ」
頭をガシガシとかきながらこちらに向かって来る男は、全身に炎を纏い、平然としている。
仕事が早いな、神。
確かにうまくいけば、ユタカから隠れて城と共に焼け死ねたかもしれない。
だが、私も神もタイミングが悪いようだ。
「せっかくキスできそうだったのに……」
ユタカの目から血の涙が溢れ出さんばかりの気迫がこもっている。
そんなにか?
そんなにしたかったのか。
「火の玉野郎……ぜってー殺す」
「おい、待て、お前の方が魔王みたいだぞ!」
勇者三号、逃げろ。
ほとぼりが冷めてから出直すんだ。