9.彼らの棲む街
黄金色に透き通るまで煮込まれた櫛切りの
たまねぎが鍋でコトコト煮こまれている。
その周りには脂が多すぎず少なすぎず
身は固すぎず、解れすぎずと均整のとれた
牛バラ肉。たまねぎと肉の甘みが調和し
甘辛い醤油と鰹出汁の香りに溶けていく。
「お母さん、ごはん炊けたよー」
「はいはい、じゃあよそおうね」
白米をどんぶりにふんわりとよそうと
その上から豪快に煮込んだ具を乗せる。
使うのは普通のおたまでなく穴空きおたま。
これを使うと煮汁がいい塩梅にご飯にかかる。
真ん中には温泉卵をぽっかりと乗せ。
さらに脇にはたっぷりの紅ショウガ。
「私、紅ショウガ食べられない……」
というお子様な鈴葉には沢庵を。
「いっただっきまーす」
「おばさんのごはんは最高だね!」
火鷹の母、凪子は食べ盛りの若者らに
てきぱきと給仕を。付け合せの味噌汁や
麦茶をよそっている。
凪子も里の忍であるが、年齢を考慮して
前線からは退いており、今は漢方を煎じたり
薬膳を教えたりと豊富な知識を惜しみ無く
振るう毎日を過ごしている。
そんな彼女の作る料理は滋養にも良く
味も良いと里の者達に評判であった。
案の定、恭矢と鈴葉は立て続けにおかわりを。
既に満腹になった火鷹はそんな二人を横目に
縁側のある畳部屋でひとり、Tシャツ短パン
というリラックスしきった格好で情報誌を
片手にくつろいでいた。
「またあの辺に新しいファッションビルが
出来たのかぁ。知らないお店ばっかりだ」
その情報誌の指す場所は音月邸がある地。
市街地の中心でもあるその場所の名は
『辰之宮』と呼ばれる一帯であった。
火鷹達、はぐれ忍の住むこの『葉暮』も
行政上は市である辰之宮市の端に
あたる。だが世間の言う『辰之宮』は
あくまでもビルの立ち並ぶ中心地域のみを
指すらしい。つまり葉暮は忍の世界だけに
留まらず、ここでも『はぐれ』な訳だ。
そして辰之宮では昔から音月家が持つビルや
土地が多く、何か都市開発があるとすれば
大抵は彼らが何らかの事業に関わっている。
だがそんな『大地主』達を毛嫌いする人も
少なからずおり、先の選挙で選ばれた新市長は
音月家と仲の悪い人だと火鷹は耳にしていた。
市長は音月家の持つ権力を目の敵にするかの
ように、その周囲に対抗する複合施設や
ファッションビルを建てたりと中々に忙しく
街を整備しているらしい。
「これも新市長の計画なんだろうか。
前は落ち着いた街並みだったのに。
都心部はどこも人が多そうだなぁ……」
(都心部に行く用事があるとき面倒だなあ。
人混みって苦手だから)
などと火鷹がぼんやり思っていると
「ほだ姉、明日僕のバイト先に来てよ?
鳴花さんが呼んでたから。
新メニュー味見してほしいって」
「はいはい。だけど鳴花さんのお店の
隣、新しいビルが立ったみたいね。
人混みやばそう」
鳴花さんのカフェ、とは。
鳴花、という上忍である女性忍が辰之宮で
営むカフェの名であり、はぐれ忍の仕事の
窓口をも担っている場所であった。
ちなみに忍仕事だけでは収入に困っている
恭矢は週に何度かそこでウェイターとして
働いており、カフェのある辰之宮近辺の
様子をよく知っている。
「人混みはそうでもないよ。
忍の体技を使えばささっと……
あ、でもほだ姉謹慎中だもんね」
気後れして忍仕事がうまく行かない筈の
恭矢のどの口がささっと、とか言うのかと
火鷹はまじまじと眺めながら
「そうなの、謹慎中だから私、体技とか
術とか控えなきゃなのよね。
こういう場合、街まで行く手段は何?
ささっと恭矢がおぶってくれるとか?」
まずい話の流れを感じたのか、恭矢は
牛丼をささっとかき込むと手を合わせ
「ごちそうさまでした!!」
と締めくくるのであった。
「恭ちゃん、いつでも食べにおいでー」
「はい! じゃあほだ姉、また明日!」
「あいあい」
恭矢が帰った後のんびり牛丼を食べ終えた
鈴葉は、邪魔者がいなくなったとばかりに
畳の上で寝そべりながらころころと転がり
火鷹の横にくっついた。
「ねーほだ姉、後で鍛練に付き合ってよ。
大手裏剣が狙った以上に敵をひきわりに
しちゃって大変なの」
「ほいほい」
(練習を見る位はいいよね)
「ねーほだ姉、私もいつかほだ姉みたいに
着物を着て戦いたいなあ。今はまだ、
絶対すぐにボロボロにするからって
ちゃんとした衣装作ってもらえないの」
「可愛いし動きやすそうじゃん、そのワンピ」
鈴葉は自前のノースリーブワンピースの
裾をちょんと引っ張り、そうかなぁと首を
傾げながら、次に火鷹の脱ぎ捨てた羽織を
手に取って眼前に広げてみる。
「やっぱちゃんと忍者っぽいのがいいなあ。
こーいう刺繍が入ったものがいい」
「鷹の刺繍がいいの?」
「ううん! 薔薇とかドクロとか!」
「……ネットでお得なのあるかもよ?」
それを聞くなり鈴葉はさっそく帰路に着くと
同時に、叔父である雷蔵お気に入りの通販
サイト、それも雷蔵のアカウントページに
潜入しに行ったらしい。鈴葉曰く、買い物
かごに入れておいたら買ってくれるはず、
と言っていたが。
(鈴葉ってば雷蔵さんのパスワードが
よく分かったな。雷蔵さんも、これは
諌めるべきか褒めるべきか迷うだろね)
と、すっかり他人事な火鷹は再び情報誌を。
ページは求人広告へと移っており、ぼんやり
眺めるうちに火鷹はあることを考えていた。
(音月家の屋敷、もう別の忍仲間が潜入して
るのかな? 秘密は既に判ったのかな?)
そこへ後片付けを終えた凪子が声をかける。
「ねえ火鷹。あんたの失敗、鳴花さんも
心配していたわよ。あんたもカフェの
バイト出来るように頼んでおこうか?」
だが火鷹は口を尖らせ
「いいっ。
しばらく考えるから」
と母の心配を突っぱねる。
(忍仕事で稼いだ分はあるし、何より
多分カフェの仕事は私、向いてない。
笑顔振りまくとか苦手だし)
と笑顔の前に食器を割りまくる心配が
抜けている火鷹であった。
「それから、恭ちゃんや鈴ちゃんの
仕事を勝手に手伝わないの!」
(バレてる……)
そうこうするうちに火鷹はいつの間にか
畳の上で昼寝に入ってしまったようだ。
そんな凪子は火鷹にタオルケットを
掛けよだれを拭き拭き。心配そうに
髪の毛を撫でてやった。
そして火鷹の脱いだ羽織を丁寧に
衣紋掛けに掛けると、鷹の刺繍部分に
向かい念入りに手を合わす。
「鷹の守護神様。
どうかどうか、お願いします。
火鷹にいい風が巡ってきますように」
その頃、音月家の跡取り、晃は本来の姿
である高校生としての生活を送っていた。
青空の下、グラウンドでわいわいと
体育の授業に取り組む生徒達。
その中で一際人目をひいているのが
半袖ハーフパンツ姿の晃であった。
周りでは幾人かの女子生徒が輪を作り
何やら嬉しそうに晃の方をチラ見し
話に花を咲かせている。
「この高校の良いところは、女子も男子も
体操服が一緒っていうところよねー!」
「うん! ああ、音月くんが。音月くんが
紛れもなく女子に見える。体操服最高!」
制服のズボン姿ならまだ男子としての
扱いを受ける乙女顔な晃であったが
男女ともに差異のない体操服姿となると
途端に周囲の目線や声色が変わるのを晃は
ひしひしと感じ、また苦手としていた。
「半ズボン最高! 足もすごく綺麗よねえ」
「女の私より可愛いなんて、羨ましい」
晃のことを遠巻きに見てきゃあきゃあ
言う女子だけなら、まだ対処できる。
やっかいなのは、晃と同じ男子の方だ。
「あぶない! 晃!」
ボールが晃めがけて飛んできたらしい。
晃が振り向いた刹那に聞こえたのは
バシッとボールを手で弾く音。
体格の良い同じクラスの男子がその身を
挺して受け止め、守ってくれたのだ。
「晃、大丈夫か?
ぼーっとしてたんじゃないだろうな?」
「う、うん。大丈夫。ありがとう……」
「……いいってことよ……」
同級生の男子は恥ずかしげに目を
逸らし頬を掻いたかと思うと
「ごらぁ! 晃に向かってボール
蹴飛ばしてんじゃねえ!
この顔を何だと思ってる!?
誰の物だと思ってる!?」
と叫びながら男子は晃の肩を抱き
拳を振り上げ抗議し始めた。
(き、君こそ一体……、僕を何だと
思ってるんだろう……!?
ま、まあ、どうでもいいや……。
けど近すぎるよこの距離感……!)
晃は本来、辰之宮で生まれ育った訳
ではない。音月家の家系であることは
事実だが、ここより遠く離れた都会に
上京した一家の出である。
その為、跡取りとなるにあたって現当主
蒼馬の元へと単身引っ越し、また高校も
三年次から転校してきたのだ。
本来、人との関わりなどどうでもいいと
思っている晃であるが、転校してきて
半年と経っていない今ですら話しかけたり
構ってくれるクラスメイトが既にいた。
だがそれは晃自身の持つ個性や力で得たもの
では決してないと、晃は理解していた。
「もー! 貴方はすぐ晃、晃って!
その熱い目線、晃君が困ってるでしょ!
はいはい、女子も解散よ?」
甲高く良く通る声。ハーフアップにした
長い黒髪に凛々しい目つき。毅然とした
態度の女子生徒が横から現れ、晃に
接近し過ぎな男子生徒をぐいと引き離す。
「晃君、大丈夫?
困ったことがあれば私に言ってね!」
と晃に爽やかな笑顔を向けた。
正義感の強いこの女子生徒の名は天城 琴。
晃のクラスメイトであり剣道部主将でもあり
辰之宮高校の生徒会長でもあった。