7.鷹の伝説
火鷹の家には代々伝わる昔話がある。
幼い頃火鷹は、夜寝る前にその話を
母親に聞かせてもらうのが好きだった。
「母さん、あの話して? 鷹の話」
「いいわよ。昔々――」
「すぴーーっ」
「……」
昔々、濃霧が立ち込める山に
随分と獰猛な暴れ鷹がいたらしい。
その姿は大きく、美しく悠然と。
だが気性は荒く激しく風のよう。
どの鷹よりも高く、疾く飛び。
だが本当の意味での鷹ではなく。
鷹は人間の言葉が理解できた。
だけど鷹は、人間ではなかった。
鷹はとても淋しがりであった。
誰も遊んでくれぬと、その鬱憤を晴らす
かのように麓の村を飛び回っては作物を
荒し家屋を破壊し威張っていた。
そんなある日、村を訪ねた忍が鷹退治に
名乗りを上げた。その忍もまた誰よりも
早く高く飛ぶように駆ける者であり、
彼もまた誰もこの疾さについてこれぬと
淋しさを抱えていた。そして鷹を追う
うちにその疾さに驚き、嬉しくなった。
そして鷹退治をするつもりがいつのまにか
飛んだり駆けたり互いに楽しくなり、時を
忘れて一緒に宙を舞った。
鷹は言った。
忍も応えた。
「一緒に遊ぼう。ずっとずっとこの先も」
「ああ、いいよ」
忍には旅の連れがいた。
彼は編み笠を深く被り決して素顔を
人前でさらさない青年だった。
そして彼は不思議な力を持っていた。
旅で出会う物の怪を手から現れる不思議な
筆で札に封印することが出来たのだ。
この時も暴れ鷹の噂を聞きつけ村に寄り
最終的には鷹を弱らせ彼の力で封印する
算段であったのだが、鷹はすっかり
おとなしくなり、もう悪さはしないと
約束したので封印はしないことにした。
だが、忍達が村から礼を受け去ろうと
したとき、鷹が村の出口に凛々しくも
しかし何とも寂しげに立っていた。
「私をお前達と一緒に連れて行ってほしい」
鷹の純粋すぎる瞳に、青年と忍は戸惑った。
「君と一緒にいたいが、君はこの山に
縛られているんだ。連れて行けないよ」
「すぐにまた遊びに来るから」
青年と忍がそう鷹を諭すと鷹は涙を零し
「それなら私を札に封印してほしい。
それなら君達と一緒にいられるだろう?」
傘を深く被ったままの青年は黙った。
札への封印は凶暴で粗悪な物の怪を強制的に
封じ込める術であったのだ。忍が優しく
「君はもう悪い物の怪じゃないだろう」
と諭すも鷹はぶんぶんと首を横に振り
ここに居たらまた暴れ鷹になると嘆いた。
「……じゃあ、こうしよう。
君はこの忍の守護獣となるんだ。
そうすればこの山からも離れられるし
僕達とずっと一緒にいられるから」
青年はそう言って手を構えた。
いつもならばその手から、物の怪を
封印する為の筆がどこからともなく光を
帯びて現れる。だがこのとき現れたのは
一本な銀色な針だった。青年はその針を
手に取ると忍が着ている羽織の背に
するりと刺した。これには忍も慌てた。
「ちょ、背中に針刺さないで!?」
「大丈夫、痛くないから」
と青年はにっこりと笑う。
すると鷹の妖力がまるで糸の様にするすると
その身から抜けはじめ、最期には色鮮やかな
鷹の刺繍が出来上がったという。
それ以来、鷹は羽織を通じて忍と走り、飛び。
そして闘い続けたと伝えられている。
――――彼女が纏う忍装束は時代劇などでよく
見るそれとは少し違う。たすきを掛けた
枯草色の羽織の裾は短く、帯もない。腰には
丈夫そうな革製のベルトが巻かれている。
足には黒く動きやすそうな膝上丈のスパッツ。
走りやすそうなゴム底のショートブーツ。
長い髪を赤いリボンで結い上げ、額と口元には
赤色で揃えた額当てと布のマスク。
凛凛しい姿を一際彩るのは何と言っても
羽織の背にある大きな鷹の刺繍であった。
火鷹は久々に身に着けた自前の忍び装束に
半心うきうきと。里の任務をほっぽり出した
ことなど何もなかったようにあっけらかんと。
颯爽と風を切り建物の屋根を駆けていた。
そんな手に構えられた棒手裏剣の刃が
陽の光に反射する。直後カキンッ! と
耳につんざく衝撃音。
「ひ、ひいっ!
もう追ってくるな!
勘弁してくれ!」
街中の裏道で恰幅の良い男が悲鳴を上げ、
ぺたりと地面にへばりこんだ。仕立ての良い
上等なスーツに身を包み、その身なりに
似つかわしくない情けなく甲高い声を上げて
いる。男は怯えていたのだ。姿の見えない、
だが確実に自分を追ってくる追跡者に。
目くらましの術を使っていることもあり
男から火鷹の姿が見えることはない。
火鷹はそんな男の様子に一切気にかけず
情けもかけず。布で覆い隠した顔から覗く
真っ直ぐな火鷹の瞳はそんな男をただただ
冷酷に見据えていた。
「あのデータは、どこから手に入れた?」
火鷹は男とも女とも判別つかない声を
固い地面に響かせ、男を問いただす。
「俺は何も知らない!
気付いたら俺のデスクにあったんだ!
多分、他の奴の机を間違えたんだろう!」
と、冷や汗を垂らしながら男は苦笑いする。
この期に及んで……、と火鷹は舌打ちをし
ドガッ! という粉砕音とともに
ナイフを男が座り込む地面に投げつけた。
「ひっ!?」
ナイフには広範囲に血痕が染みている。
それを目にするだけで、ナイフの持ち手が
残虐であることを想像させるには十分で
あった。案の定、男からはすっかり
血の気が引いていた。
(このナイフ、音月家からすっかり
拝借してきたやつなんだけど)
と頭をポリポリしつつ
(でもこの手って結構効果あるのよね)
と火鷹はマスクの下でにんまりした。
案の定、我を忘れたかのようにぺらぺらと
洗いざらい話し始めるスーツの男。
それを火鷹はボイスレコーダーにきっちりと
おさめ、とある案件の裏切り者を炙り出す
ことに成功したのであった。
(ふうん? でもこの人物、依頼主よりも
大物の手先なんじゃ? ま、それ以上は
知ったこっちゃなし、と)
「……もう行っていい」
と火鷹が言うと男は奇声を上げ地面を
這いながらその場から退散した。
案件は案件。忍は忍。
里に回ってきた依頼案件ひとつひとつに
深入りしていたらキリがない。
よって思う所あっても、依頼を全うした
以上付き合いはそこで終了だ。
(それ以上にこの案件、私のじゃないし)
ましてや今は火鷹は誰かに仕えているわけ
でもないのだし。理想の主が見つかるまで
それは勘弁だ、と火鷹はさらりと身を翻し
ナイフや手裏剣を回収しに行った。
音月家から持ち帰ったナイフを見つめる火鷹。
そこには侵入者であった忍の血が残っている。
(あの忍、どこの忍なんだろう?
同じ里ではないことは確かだけど)
同じ里の者は匂いや雰囲気で判る。
利益が相反しないようにと雷蔵の様な上忍が
それぞれの仕事を調整したりしているものの
里から独立してフリーになったり、どこかに
専属で仕えている忍がライバル社にいた、
なんてことはたまにあるのだが。
(私も里から独立出来る日が
いつかまた来るのかしら)
ずきりと脇腹が痛む。
火鷹が一度は里から独立し、特定の主人に
仕えていたときに受けた傷であった。
(彼は、私にとってまさに思い描いた
ようなご主人様だった。力があって
付いていきたいと思わせてくれた)
忍には大きく分けて二種類の仕事の仕方が
ある。まず一つ目は里に寄越された依頼や
里での業務を上忍より分けてもらう方法。
もう一つは忍個人で里を出て自由に契約を
交わすか、決まった主に仕えるか。
(私の何がいけなかったんだろう?
どうして追い出されたんだろう?)
一度決まった主に仕えても、短期間で
契約が切れて里に戻ることはよくある。
あるのだが決して聞こえの良い物ではなく
火鷹はそれを未だに引きずっていた。
火鷹は感情を隠すようにマスクを深く目元
まで引き上げる。と、そのとき宙から一枚の
黒い羽がヒラリと、その後に続くように
黒い塊がバサリと、一羽のカラスが優雅に
舞い降りてきた。