6.はぐれ忍の里
火鷹が音月家よりメイドの職務、そして
里から託された潜入捜査を放棄した翌日。
彼女は今、何を想い何処にいるのか――。
その行動はいとも単純であった。火鷹は
やや気まずい思いをしつつもあっけらかんと
生まれ育った忍びの里に戻っていたのだ。
その場所の名は葉暮町。切り立った谷に
囲まれた、田んぼの広がる長閑な地である。
ここでの町内会=忍集団。
ゴミ出し規則はやや厳しめ。
だが証拠隠滅、後始末の達人ばかりとあって
ごみの量は驚くほど少なく綺麗な町である。
町自体の景観は田畑一色、農産品の直売所や
地元のスーパー、小さな病院や薬局。
子どものの教育には忍教育をきっちりと。
中で働く者は皆、忍。隙あらば鍛練をと
誰かが分身の術を使い始めるとあちこちで
同じ人物が見受けられる場面もあった。
外からの客は、滅多に来ない。他県からの
玄関口である市街地からは数十キロ先
車で一時間弱、バスは一時間に一本。
火鷹がショッピングに行くならバスより
走った方がまだ速いのかもしれない。
そんな場所にその地はあった。
田んぼから少し歩いた場所にはちょっとした
観光地になりそうな心洗われる美しい清流や
登れば絶景を見渡せる名山もあるのだが
観光客があまり来ないようにと謀り
谷の魅力的な情報は目立たせずにいた。
カメラマンや観光業者が来ようものなら
忍び達はこぞってにこにこと応対しつつも
その先では忍術で怪奇現象を起こしせっせと
他所の者を追い払っていたのである。
この場所は、遥か昔から音月家の殿様が
治めていた領土の端にあった場所らしい。
だがこの忍の里自体は、音月家とはあまり
深い関わりはなく存在すらもおそらく
彼らに認識されていない。
理由の一つは、里の成り立ち方であった。
数多の忍が暗躍していた過去の時代から
時代が進むにつれ、段々と忍という
看板を掲げる者は少なくなった。
刀を失いその気力を失い、忍びの看板を
仕舞い普遍的な職業に就く者もいた。
忍という名称を捨てながらも政変の糸を
裏で引いたり情報収集を行ったり、昔と
やることは変わらない者もいる。
勿論、古くから続く里の存続と
伝統を守る者も残っている。
この葉暮町にいる忍達は
そういった者達とのどれとも違う。
この地が葉暮町、と呼ばれるようになった
のが先か後かは解らない。だがこの里に居る
彼らは通称“はぐれ”の忍びと呼ばれていた。
伊賀や甲賀にも属さず、またはその中で
はみ出し者だったのか、または権力者に
利用され元の里を去らざるを得なかったのか。
火鷹の家、狩生家もこの町に住む忍であり
戦国時代より忍び稼業を繋いできた由緒ある
家系である。だが昔からの里はとうに失い
一族に伝わる名刀も時の流れに消え
だが忍の誇りは失わず。
この地を頼り、住まうようになった。
それぞれ事情は様々な様であったが
葉暮はいつしかそういう者が集り
暮らすようになった。一見細々とした
長閑な田舎町に見えてはいても、裏では
知る人ぞ知るルートを介して全国の
有力者達からの依頼が舞い込んでくる。
比較的歴史が浅く、権力によって領主や
藩主がころころと変わるような時代を経た
彼らはぐれ忍は音月家の領とあっても
彼らと特段の関わりを持たなかった。
むしろ身を隠すようにひっそりと。
殿様に好かれるならまだしも嫌われては
はぐれ達の得た安住の地を失いかねない。
自分たちの巣の周りに仕事の痕跡は
残すまいと調整しつつ仕事を選んでいた。
そんな中にあって、あえて音月家に潜入
するように火鷹に命じた上忍がいた。
最も古くからこの地にいた忍の一家でも
あり上忍の中でも一目置かれた存在である。
それが風切、という名の家の者であった。
躑躅が色濃く彩る庭先からシュッシュッと
小気味の良い音が聞こえてくる。
長い髪をだらりと垂らした一人の女忍が
クナイの刃を砥石で研いでいた。
その縁側では一枚の和紙を見つめながら
髭をむしりため息をつく中年男性がいた。
「火鷹……、あいつ頭大丈夫か!?
湧いてんのか濁ってんのか!?
それとも淀んでるのかハッキリしろよ」
頭をわしゃわしゃと掻きむしり沈痛な表情で
火鷹の寄越した報告書を見詰めるその人物
こそ風切家の頭、風切 雷蔵。里の忍達の
まとめ役である上忍であり、今回火鷹に
音月家への潜入を命令した人物でもあった。
「忍の技術だけが何も一流の証じゃないぞ?
つーか何なんだよこの報告書! これで
事情を察せるとか俺、凄すぎじゃね!?
こぉんな潔白すぎる報告書をよお……」
潔白すぎる報告書ってどんな報告書だ、と
手を止め覗き見る女忍。そこには何の文字も
書かれておらず、只の真っ白な紙切れであった。
「……炙るとか、濡らすとか」
何か手を加えれば文字が浮き出てくるのでは
ないか、ということを女忍は言いたい様だが
雷蔵はそれをきっぱりと否定した。
「いや、この手紙はそんなんじゃない。
火鷹がこの報告書を寄越したのはこれで
二度目だ。一度目は以前仕え先を放り出さ
れたとき。怪我を負って帰ってくるなり
暫くは飲まず食わず、になるかと思いきや
次の日スイーツ食べ放題に出掛けてたが!
今回も相当落ち込んだってことだろうが
もうちょっと何か書けよ社会人~。
……ん!? 忍って、社会人?」
「隠れ社会人、かしら。
……私達忍は、人の汚い部分に見慣れてる。
それは火鷹も一緒。だけどあの子は
それが自分に降りかかってくることには
まだあまり慣れていない。今のまま明るく
そのままでいてほしいけど忍としては……」
長髪の女忍はそこで言葉を紡ぐのをやめ
くないを研ぐ音に力を込める。
「……調査の後任はどうするの?」
「それについてはもう少し他の上忍達とも
話さねばならないなあ。
少し様子を見るか或いは……」
雷蔵が曇りがかった空をじろりと見上げる。
ゆったりと風に乗って動く雲。それはどこか
彼らの様子を窺っているようにも見えた。
そんな空からの便りなのか枯葉がひらりと
舞い込んでくる。雷蔵はそれを手に乗せ
まるで禍々しい何かを思い浮かべるかの
ように、その表情に険しさを刻むのだった。
「……さて、火鷹はしばらく謹慎だな。
それを伝えるのは気が重いが……」
と懐から便箋を取り出すとその旨を
したため口笛を一吹き。
するとどこからともなく一羽の鴉が
庭にふわりと舞い降りてきた。
青みがかった艶やかな黒の羽毛、鋭い嘴。
そして利口そうな瞳がキラリと光る。
「これを火鷹に。ああそうだ歯磨粉が
いちご味のあいつだ。よろしくな」
カアと一鳴きするでもなく頷くでもなく。
その鴉は雷蔵から便箋の入った封筒を
受け取るなりバサリと、あっという間に
上空に舞い上がっていった。
この鴉は通称・クロマと呼ばれている。
雷蔵の忍鳥であり、飛行能力を活かした
伝書の他、時にはシャチのように忍びの
任務も朝飯前な敏腕、もとい敏翼さだ。
ちなみにシャチとは互いにライバル心を
抱いており犬猿の仲である。
雷蔵はそんな鴉の飛び立った方向を
見つめ、ふと首を傾げる。
「ん? どこ行くんだ?
火鷹は里にいるんじゃないのか?
家はあっちだろ」
と明後日の方向へ指を向けるが、
クナイを研いでいた女忍が
「朝出かけていくのを見たよ」
と一言。
「なんだって!?
おとなしくしとけって言ったのに!
あ、でも買い物とか?
そろそろ日焼け止めとか
必要になるもんな?」
と驚いたり落ち着いたりする雷蔵に
「忍び装束で駆けて行ったよ」
と女忍は追い討ちをかけた。
「ぬわんだって!?」
雷蔵の悲痛な叫びを前に女忍は涼しい顔で
火鷹のおとなしいってあれがふつーだから
と告げると雷蔵に磨き終えたクナイをぽいと
手渡し、さっさと去っていくのであった。