4.お互いに知らない二人
――お願いします、ご主人様って言ってよ。
晃の要求に萎え萎えとする火鷹、
その淀んだオーラに冷や汗をかく晃。
ふと目線を火鷹から外すと、廊下の
壁に飾られた彫刻が目に飛び込んで
きた。いつの時代に掘られたのかも
わからない、アンティーク調のそれは
古えの伝承を彷彿とさせる生き物の
頭部を型どっている。
蛇や蜥蜴にも似たその風貌。
額からせり出す二本の突起物。
開かれた口蓋から覗く鋭利な牙。
猛々しく唸りを上げる竜であった。
夜中に見かけた際などはその恐ろしい
風貌に驚き、声を上げそうになったのは
晃は一度や二度ではない。
インテリアとして一役も二役も買う
デザインのそれはこの家の至る所に
点在していて、今まさにそれらが
自身を一斉に睨み付ける様な感覚を
晃は覚え、しばし目眩に襲われ、
そして思い出した。
晃は幼い頃より自我を抑えるよう
両親に言いつけられてきたことを。
――――自分を捨てろ。
呪文を唱えるように繰り返された
父の言葉が彼の頭の中で響く。
――――お前は何も心配することない。
余計なことは何も考えるな。
ただ父さん達の言うことを
聞いていればいいんだ。
お前にはこの地を支配出来る
特別な力があるのだから――――。
だけどその力は晃には、まだない。
――――その力は18歳になったときに
お前に受け継がれるだろう。
音月家はその力で、この地一帯を
昔々から守ってきたらしい。
晃がその力を受け継いだとき
具体的にどんなことが起こるのか
何を自分はすべきなのか。
それすら、考える必要がなかった。
晃には分かっていた。
多分、周りの大人達が都合よく
自分を支配するだけだということを。
(昔っから僕は傀儡同然の子どもだった。
僕はそんな力が欲しいとも思わないのに。
誰も僕に期待などしないし、僕もしない。
だから何も思わないようにしていたのに)
晃はぐっと唇をかみしめる。
(目の前のメイドは、只のドジなメイド。
だけど彼女の瞳に灯る炎はなんだろう?
彼女に期待してほしいと思うのは何故
だろう? 自分の要求を押し通すのが
どうしてこんなに難しいんだ?)
「ご主人様って呼んでほしいだけなのに」
普通のメイドならば何だこの要求はと
思いながらも従順に従うか、あるいは
ギャグと捉えるか。はたまた、ああ
可哀想な人なんだなと捉えるか。
晃とは対称的に、火鷹は自分の意思には
とことん忠実であった。その為に忍として
これまでに数々の活躍をしてきたものの
本当に欲しい物は未だ手に入らずにいた。
「すみませんが……、それは出来ません」
ますますのジト目で見やる火鷹であるが
その心情は上記のいずれでもない。
(どうでもいいって私も思ったけど
多分私、ちょっと怒ってる。
守られて心配されることをどうでもいい
だなんて思っている人を、私はご主人様
だなんて呼びたくない。
だってその言葉は忍の私にとってとても
特別で、私がいつか忠誠を誓いたい主に
だけ使う言葉だもの。いつか必ず尊敬
出来るご主人様に仕えるまでその言葉は
絶対に誰にも使わないんだから!)
そんな火鷹の頑固な考えを知らない晃は
その態度にいささか戸惑っていたのだが。
(やっぱり僕は自分の意思を出すべき
じゃない。仕えてるメイドにも要求を
拒否されるなんて)
(意思も何もないような人を、
私は絶対にご主人様とは呼ばない)
お互いに秘密を隠し持ったまま、
思いが交差していることも知らず
硬い意思を貫こうとする二人。
しばらく沈黙が続いたがやがて
口を開いたのは晃の方であった。
誤魔化すように手を広げ
にこっと笑う。
「冗談だよ! 冗談!」
「ああ、はは。冗談ですよね。
もー晃様ったら」
つられて火鷹も誤魔化し笑いをする。
だがなお残念そうに、火鷹に問う晃。
「……そんなに嫌だったの?」
(何を聞いているんだ僕は。
今更どうでもいいことだろう)
「まぁ、少し、というか結構」
そんなぶっきらぼうな火鷹の言葉に
晃は段々とむくれ始めていた。
「……意味がわからないよ。
ご主人様って、かるーく呼んでくれたら
蒼馬様への言い訳を助けてあげるのに?」
(え? ちょっと待って!
怒ってる?なんで!?
しかもかるーく呼べる言葉じゃないし!)
再び憤りと焦りを覚える火鷹。
「あ、あの、落ち着いてください。
何か他の交換条件はないですか!?」
絶対に嫌ですから、と付け足すと
晃は顔を真っ赤にして涙目になり
「も~! そんなのないよ!
蒼馬さんには僕からは何も言わない!
知らないもん! 元気でね!」
とそっぽを向くなり火鷹に背を向け
ぷりぷり怒りながら立ち去って行った。
(は? なにそれ?
本当に少しも助けてくれないの?
流れでそうなったとしても貴方の命、
私が助けたんだよ?
……まあ、本人は寝てたし、
正確にはシャチが助けたし……)
うーむ、と首を傾げるも
(まーいーや。あんな人ご主人様って
呼ばずに済んだわけだし。
あとは自力で乗り越えるしかない!)
こくこくと頷く火鷹。その後腹を括り
シャチを廊下に待たせ蒼馬の執務室に
向かったものの、その展開は少女が想像
していたものとは少し違うものとなった。