12.立ち向かう忍達
「ぬぬぬぬぬ……!」
火鷹の額から汗が滴り落ちていく。
それは崖をよじ登ろうと力を込めている故の
ものか冷や汗なのか本人も分かっていない。
近くに飛び移れそうな木やなどもなく
崖の岩の隙間から伸びる草や岩の出っ張りを
掴み、なんとか垂直な崖を登って行くも
残された行程はまだ半分以上もあった。
「道具がなくったって、私は忍!
体術を使って凌いでみせる!」
と勢いを付け崖を駆けようとした瞬間。
――ブチッ。
重みに負けた草の根が引っこ抜かれ
火鷹はバランスを崩した。
「ぬぁっ!」
そのまま足元からずり落ち、十数メートルは
ある地面へと落下していく。だが冷静な
火鷹は空中で体勢を整えつつ、呟いた。
「回り道した方が早かったかなあ……」
しかしそんな時間はない。
どのルートを考えても、無理にでもこの崖を
登り越えた方遥かに里へ早く戻れるのだ。
里を囲む山々は敵からの侵入を阻む利点は
あるが、それは味方にとっても同じである。
特にこの崖は難所と思わせつつもスムーズに
登れる技術を持つ忍にとっては里へ入る為の
最たる近道である。
だがいくら忍といえど忍道具も無しでは
この山を半分削った様な険しい崖を易々と
超えることは出来ないのが難点でもあった。
顎に手を添え、どう崖を越えるか考えながら
宙をくるくると回転していたそのとき。
後ろから近づいてくる何者かの気配を
感じ、火鷹ははっと顔を後ろに向ける。
「恭矢! いい所に!」
「ほだ姉! なにがあったの!?」
街にある忍カフェのバイトを抜けてきた、
火鷹の弟分の恭矢が駆けつけてきたのだ。
どうやら不穏な魔の空気に勘付いた鳴花が
様子を見てくるよう指示したらしい。
「そっか忍び道具持っていないんだね!
これ使って!」
恭矢は落下中の火鷹を見て一瞬で事情を察し
懐から忍び道具を取り出すと火鷹に向かって
くないを投げた。
「これで崖を登れるでしょう?
僕も付いていくから!」
「……ありがとう恭矢!
さあ、行くよ!」
苦無を手にするや否や火鷹は素早く岩目に
突き刺すと、風のように崖を登っていく。
恭矢は鎖鎌を器用に使い、大ジャンプを繰り
返しながら崖の上へとたどり着いていた。
二人は崖の頂上から麓にある里を目指すため
山を駆け下りていく。崖が盾となっていた為
なのか今、風は一段と強く二人に吹き付ける。
辺りの空は暗い雲が立ち込め、木の葉や枝が
まともに体にぶつかってきていた。
だが二人が駆け抜けるスピードは最速。
そのまま森の裾に広がる森を抜け、一直線に
里へと向かうはずだった。だが森を抜けた
そのとき、目に飛び込んできたものに二人の
表情はさっと青ざめた。
「雷蔵さん!?」
忍装束を纏った雷蔵がうつ伏せに倒れている。
その背からは血が流れ、周りには血溜まりが
出来ていた。火鷹と恭矢は急いで駆け寄る。
「雷蔵さん! しっかりして!
どうしてこんな傷を……」
火鷹は雷蔵に脈があることを確かめる。
見れば背中だけではなく至るところに
刻まれた切傷。急いで手当てをしようと
するも、ふと雷蔵の体の下に大手裏剣を
握りしめた小さな手があることに気付いた。
火鷹はその特徴的な武器の持ち主の名を叫ぶ。
「鈴葉!?
鈴葉ぁ!」
鈴葉を急いで雷蔵の下から引っ張り出し
容体を確認する。鈴葉にも足や手に切傷が
あるものの、気を失っているだけらしかった。
(雷蔵さんが庇ったんだな……
だからあんなに背に傷を)
「ほだ姉! 出血が止まらないよ!」
雷蔵の手当てをしている恭矢が
泣きそうな顔で助けを求める。
「どの部位から出血してるのか
突き止めて! すぐに里から救護を
呼んでくるから!」
「わ、わかった!」
火鷹は目頭を熱くしながら周りを見渡した。
(風の魔物はどこ……!?」
まさかもう里の方へ?)
平常時、普段着で里にいることの多い
雷蔵が忍び装束であることを鑑みると
おそらく上忍達は魔の気配に気付き、
撃とうとしたのだろうと火鷹は考えた。
(だけど他の上忍様達はどこ……?)
そしてぞくりと悪寒が体によぎるのを感じ
ながら里の住宅地へと向かって行った。
田んぼの広がるあぜ道には人ひとりいない。
ようやく民家や建物が見え始めたとき、
屋根の上空につむじ風があるのが見えた。
中では本体らしきイタチが舞っている。
見ると屋根や電柱には里の忍が集結し
ぐるりと魔物を取り囲んでいる。
(あの風の魔物め……!)
飛び掛かりたい気持ちに駆られたが今は
熱さに身を任せている場合ではない。
火鷹は地を蹴り勢いよく屋根に飛び上がると
近くにいた女性の上忍に事情を話し雷蔵達に
救護係を送ってもらうよう頼んだ。
「今、動ける医術者はあまりいないが
一人向かわせよう」
その上忍は静かにそう言うと救護を
向かわせるべくその場からスッと姿を消した。
(良かった……。魔物自体も優秀な忍び達が
これだけ揃ったらもう倒せるよね)
火鷹は対峙したことのない魔物相手に
根拠のない、だが絶対的な自信を持ち
にやりと一瞬勝ち誇る。だがふと頭で
繰り返される先程の上忍の返事の仕方。
(今、動ける医術者はあまりいない……?)
そして鼻孔に漂ってきたつんとした匂い。
その正体を知るや否や火鷹ははっと息を呑む。
人間の血の匂いだった。
よく見れば建物や民家の壁や屋根が所々
剥がれ落ち、道には負傷した里の者が
倒れている。魔の隙を見て看病しようと
する者、否まだ闘う、と食い縛る者。
火鷹はふと脳裏に母の凪子を思い浮かべた。
(母さんは無事かしら……!?
ちび忍達も!)
声に出さなかったその問いに背後にいた忍が
勘づいたらしく、静かに答えた。普段あまり
話すことのない中堅にあたる男忍であった。
「戦闘に関わらない者は里長の家で
怪我人の看病にあたっている。
幼い忍達ももちろんそうだ。
お前の母親もそこで救護と薬の作成を
しているだろう。そして火鷹、お前は
謹慎中だったな? そちらへ向かえ」
この忍は年齢自体二十代と若いものの
声がしわがれていることや滅多に笑わない
ことで、年齢以上の貫録を必要以上に出し
ていた。火鷹は若干たじろぐも
「わ、私は戦います!
里を守る為なんですから!」
と必死に主張した。その真剣な目を
見て、中堅忍はしばし考えるも
「そろそろ作戦が始まる。
そこで見ていろ!」
と言い放った。
(さ、作戦……?)
中堅忍があっちだ、と目配せする方を
見やると、電柱に立っていた一人の忍びが
宙へ舞い翔び両手を大きく広げた。直後
そこに一列に並ぶように現れた複数の手裏剣。
それらの狙いを敵へと定め、瞬時に放つ。だが
風イタチはそれを邪魔だとばかりに周りの
風を使い、散らしていく。攻撃が無効なことを
知るも、どういうわけか周りの忍達は皆冷静で
あった。そしと突然ただ一人狼狽する火鷹。
風で方々へと散った手裏剣が迫ってきたのだ。
「うわわ、こっちに飛んでくるし!
……え?」
だがそれは火鷹の目の前に来た途端
ふっと煙の様に消えていった。
そして放ち手である忍び自身もイタチによる
風の攻撃を受けるも、煙となって消えていく。
次の瞬間、別の忍びからも似た様な攻撃が
繰り出され、似た様にその後煙となっていく。
そんなことが繰り返されるうちに、火鷹は
忍の作戦の内容にピンときたらしかった。
「陽動作戦ですか…?」
火鷹は先輩忍びに尋ねると、彼はこくりと頷く。
「竜巻の中心を狙えるとしたら、1点だけ。
奴の気を逸らしながら
確実にそこを狙っていく……!
中堅忍はしわがれた声と握る拳に一層
力を込め、熱く語る。火鷹は再び作戦の動向を、
風の魔物を注視する。そして次の瞬間、魔が舞う
つむじ風の真上でキラリと鋭い何かが光り、
一人の忍が刃を下に向け急降下していった。




