10.裏の顔
絶世の美女、という言葉から想像する
女性の風貌。それは想像主一人一人に
とって多少異なってくるだろう。
葉暮忍の上忍の一人に、
棘枝 鳴花という女性がいる。
彼女のことは、誰に聞いても
揃いに揃って絶世の美女だという。
整いすぎた容姿のせいか
滲み出る色気のせいか
はたまた忍術の類いか。
そんな彼女の営むカフェが音月家の膝元
である都市、辰之宮の街中にある。
表面上はごく普通の、街に溶け込む様な
洒落た外観と焙煎コーヒーを謳うカフェ。
火鷹の愛読の情報誌曰く、可もなく
不可もない評判であるらしい。
だが葉暮側としてはそれで上々。
カフェは目立つは不可、
周りに溶け込むなら可。
なぜならそこは知る人ぞ知る忍のカフェ。
葉暮忍の仕事請負窓口としての裏の顔を
持っているからだ。
そのカフェの名は
『鳴花さんのカフェ』。
そのまんまである。
店の扉に吊るされた風鈴がチリンと
涼しげに鳴り、店に来客を告げる。
「ほだ姉、いらっしゃい!」
店でウェイターのバイトをしている
恭矢が真っ先に客を出迎えた。
さらにその奥からもう一人。
「あら火鷹ちゃん、いらっしゃい」
ふんわりと巻いた茶髪を揺らしながら
優しげな、だが冷酷さも匂わせる
妖艶な笑顔の女性が火鷹に声を掛ける。
この店の店主であり上忍。
絶世の美女と人に謳わせる鳴花である。
鈴の音よりも鈴の音らしいその声色に
火鷹はぺこり、と挨拶した。
「新作メニュー、味見しに来ました」
いつから来ているのかと訊ねたくなる
色褪せたTシャツに、よれたデニム。
流行に乗っている格好とはあまり言えない
服装の火鷹はおずおずと洒落た店内に進む。
重厚な木製のテーブルに革張りのソファ。
様々な色形の間接照明の光が映える
店内は昼間にも関わらずとても薄暗い。
普通の人間が薄暗さに目を慣らして
ようやく人物の顔が認識出来る程である。
だが忍の目はとても順応性が高い。
火鷹の瞳孔がさっと大きくなり、瞬時に
暗がりの店内にいる人物を認識せんと
赤茶色の瞳がきょろりと動いた。
店は満席とまではいかない程の客数。
昼休憩に立ち寄ったサラリーマンらしき
男性客や、カフェ巡り中の女性客。
会話が盛り上がっているグループ客。
至ってよく見る喫茶店の光景である。
この中の何人がこの店の別の顔――、
葉暮の忍達に仕事を依頼する為の窓口
であることを知っているのだろうか。
それは火鷹には全く見当がつかなかった。
忍の正体が世に出ていない以上、
忍に何かの仕事を頼むことは
知る人ぞ知る店の裏メニュー。
ただ店の正体を抜きにしても、鳴花の
カフェには純粋に食事や茶を楽しみに
来る客も多くいる。そして鳴花の花咲く
笑顔もまた店の魅力のひとつであった。
「これが新メニュー案よ。
試飲と感想をお願いね!」
空いているテーブルについた火鷹に
鳴花がウィンクしながら洒落た陶器の
カップに、同じデザインのポットから
琥珀色の飲み物を注いでいく。
(鳴花さんにそんな顔されたら
断る人なんていないだろうな)
と他愛ないことを考えながら、火鷹は
芳ばしい香りに鼻をくんくんとさせた。
(なんだか、懐かしい匂い……。
ん、ていうかこれって)
火鷹は鳴花に訊ねた。
「何ですかこれ?」
「鳴花ブレンドティーよ!」
腰に手をあて、自信満々に答える鳴花。
火鷹はひと口飲み、もう一度訊ねた。
「……何ですかこれ?」
「だから鳴花ブレンド……」
「……いつもの焙じ茶ですね?
既にメニューにあるのと一緒の」
鳴花から舌打ちが聞こえた気がした。
だが火鷹は聞こえない振りをした。
(焙じ茶うまうま)
新メニュー案を挫かれた鳴花を放置し
火鷹は焙じ茶をすすっている。その呑気な
様子を眺めていた鳴花はやがてため息を
つき、火鷹をじっと見据えた。
「火鷹ちゃん、あなたリベンジしないの?」
「……? リベンジって?」
「聞いたわよ。里の仕事――、音月家に
潜入したはいいものの、逃げ出して
すっぽかしたんでしょ?」
声を落とし、忍同士でしか聞き取れない
声量、声質で二人は会話する。
聞いたのか、と火鷹は茶を飲む手を
止め、俯きながらぽつりと話し出した。
「……どうしても嫌だったんです」
「嫌って何が?」
「メイドだからって、ご主人様って
言わせられること。そう呼ぶのは、
忍としてのご主人様だけでありたい。
あまり知らない人を、尊敬できない人を
そんな風に呼ぶなんて嘘でも出来なくて」
切なげに語る火鷹の言い分をそこまで聞いた
鳴花は半ば呆れるも、口をつぐんだ。
(忍は嘘が上手でなきゃ。ただし
それが下手でいいときと悪いときが
あるのも事実だわ。だけど)
「……あなたがメイドを辞めた後、音月家は
新しい人材を雇わなくなった。おまけに
警備セキュリティも固くなったのよ」
「じゃあ、私の代わりは潜入してないの?」
鳴花は頷き、さらに厳しい目付きとなる。
「里から仕事を回される忍は、言わば
派遣要員よ。今回もそうだった。
だからといって代わりがいるとでも?
前々から思っていたけれど、火鷹。
あなた、里から独立して誰かに専属で
仕えてこそ一人前の忍だと思っている
んじゃない? 勘違いしちゃ困るわよ?
雷蔵は、あなたに頼んだの。
あなただから、任せたの。
技術が一流? それがなぁに?
それが分からない様じゃ、いつまで
経っても半人前なままなのよ!!」
声を落としながらも威圧感たっぷりの
鳴花に図星のことをグサグサと言われた
火鷹は、茶の入ったカップをぐっと掴み
苦々しげな表情を浮かべている。
「この焙じ茶苦い! 苦すぎ!」
と周りにも聞こえる声で叫び、
席を立ち店から逃げようとするも
「話を逸らすな!
苦いんじゃなくあんたが甘いのよ!」
「ひいっ!」
と鬼鳴花に抑え込まれるのであった。
店中に聞こえた二人の喧嘩声に
負安げな視線を向ける周囲の客。
気まずさを感じた鳴花であったが、
咳払いをした後にこりと笑みを取り戻す。
やがてその穏やかさに誘われるように
周囲は各々のテーブルへと視線を戻した。
(忍術? 魔術?
鬼魔女って言ったら怒られるかな)
怒られるに決まっている文句を頭に
浮かべた、そんな火鷹の拗ねた態度に
鳴花が説教を重ねようとしたそのとき。
「鳴花さん、今日のどんでん返し
どこだっけ?」
とひそひそ声で恭矢が話しかけてきた。
恭矢が先程まで注文をとっていた
テーブルに火鷹が目線を向けると
薄暗がりの中、和服姿の男性客が
こちらの様子を伺っている風が
見て取れる。
「あの人に『ひっくり返しパンケーキ』
頼まれたんだけど」
『ひっくり返しパンケーキ』。
それは知る人ぞ知る店の裏メニュー。
それを頼んだ客だけが、この店の
真の裏メニューを頼むことが出来る。
つまりは、葉暮忍への仕事依頼。
ただしそれは通常の店内ではなく
秘密の隠し扉の先にある、別部屋で。
「初めての方だわ……。
身分の高そうなご老人ね」
鳴花は目を細め、暗がりのその先の、
老人の思惑を読み取ろうとする。
「恭矢、今日のどんでん返しは
出入り口に続く廊下の絵よ。
ご案内して頂戴」
日替わりで変わる隠し扉と通路の仕組みは
迷い混んだら忍ですら抜け出すのに一苦労
する程であり、通常の客が間違って入るも
延々と同じ所をぐるぐるとしてしまう。
ゆえに、通路の中では案内人が必要だ。
その役割を恭矢に任せた鳴花は
依頼請負の為の細かな準備をすべく
さてと、とテーブルを立ち去ろうとする。
だがその去り際に火鷹の頬をツンツンと
突き先程の説教に仕上げをするのだった。
「どんなに中途半端でもね、
あなたの代わりはいないのよ」
凛とした空気を纏い店の奥へ進む鳴花は
既に店主から忍の顔付きに変わっていた。
やがて店を出た火鷹であったが、
鳴花の説教が堪えたらしく随分と
不機嫌な足取りで街をうろうろしていた。
(私は甘くないもん!
蚊にあまり刺されないし)
そういうことじゃない、と突っ込みを
入れてくれる人は誰もいなかった。
どうにもまだ葉暮の里に帰宅する気分に
ならず、火鷹は延々とCDショップや
古着屋を巡り街をぐるぐるしていた。
すっかり夕暮れになった頃、ようやく
帰路につこうかとショッピングビルを
出て空を見上げたとき。
火鷹はふと不穏な気配に、空を見上げた。
いつもの何の変哲もない、夕暮れの空。
そして通常の人には感じえない、気の流れ。
大抵はゆっくりとした、穏やかな気の巡り。
それが今は、蠢き渦巻き、街の空に
重苦しさを撒き散らしている。
そして火鷹が気付いたのと同時にそれも
火鷹に気付いたのか、その刹那疾風の様な
速さでとある方角へと進んでいった。
(何あれ一体……!
大きな気の塊が、竜巻状になってる?
それに進んでいった方向は……。!!)
火鷹は一目散に、葉暮の里を目指し
目にも見えない速さで駆け出した。




