怒ったように泣いて、笑って 2
『ねぇ、教えてちょうだい……あなたのこと。知りたいの』
枝葉の隙間から漏れる月明かりが僅かに照らす暗闇の中、姿なき声が不気味に響く。
「分かった。なんでも、話す。ただ、その前に姿を見せてくれないかな?落ち着かなくってさ、質問に答えるのに集中できないんだ。いやなら別にいいんだけど。」
なるべく刺激しないように、慎重に言葉を選ぶ。
『あら、積極的な人なのねぇ!嬉しいわ!でもどうしましょう!髪、乱れてたりしないかしら……あぁ!鏡があればすぐにでも確認したいのにぃ!!でもでも、ちょっと乱れてるくらいの方が艶やかで寧ろいいかしか?ねぇ?』
さっきの返事が正しいのかどうか分からないが、言葉の端々から時折、垣間見える狂気が、蠱惑的な声と相反して、とても気持ちが悪かった。
『手櫛でちょっと直すくらいの方が自然な纏まりが出来てあなたも親しみやすいと思うの!だから!すぐ魅せてあげるわ!あたしの全部!全部!美も!醜も!晒け愛ましょうッ!!!……でも……その前に。』
溢れる狂乱の声がふとその温度を落とした途端、背後にいたカルネの元へ巨大な蛇が現れた、一瞬にしてカルネの身体へ纏わりつくようにその身を這わせ、締め上げる。
口元まで巻き付いた大蛇を振りほどこうと身を捩るも、一層強まる圧迫感の前では無力だった。
『あなたとの話し合いに邪魔が入ってはいけないわ。その子にはちょっとだけ静かにしてて欲しいの。手荒になっちゃってごめんね……でも!これはあなたの為でもあるの。わたしを深く知りたいあなたの為でもあるのよ!だから許してね』
細心の注意を払っていたつもりだったのに、僕もカルネも、その蛇の出現に一切気づけなかった。手も足も出せず、策を練ろうにも札は無いに等しい。
絶望感と恐怖に身体を硬ばらせる。
『もう、そんなに緊張しないでよ!あたしまで恥ずかしくなっちゃうじゃない!ごめんなさいね、あんまり焦らしちゃうのも悪いわよね!それでは!お待たせしましたあ!いざ!ごたいめーん!!!』
そういうと目の前に連なる木々の一番太い大木がメキメキと音を立てながらその中心からゆっくりと裂けていく。蓮の花のように八方へ開かれたその真ん中に、声の主は立っていた。
暗がりの中から静かに近づくそれを僅かばかりの月光が照らす。
艶めかしい足取りでこちらへ歩みよるその女を見て、僕は言葉を失った。
宵闇を晴らすような真っ白な翼に、頭上に浮かぶ日輪の如き天使の輪。煌めく黄金の長髪は、森の中の微かな風にすら靡くほどに艶やかで、きめ細やかなシルクの様な肌。すらっと伸びた美しい肢体に豪華絢爛な宝飾品があしらわれた純白の外套を纏った姿は、まるで天女のような、筆舌に尽くしがたい美しさであった。
それが一層に恐ろしかったのだ。
先程までの狂気がこの美の中に蠢いているのだと。食虫花を想起させるその存在が今目の前に迫っているのだと。
『どうしたの?あまりの美しさに見惚れてたの?後ろでみてるカノジョに失礼じゃな〜い!まぁ、あたしの美貌ならそれも仕方ないけど!』
今もその拘束を解こうと腐心し、呻き声をあげるカルネは不安げな眼差しで僕を見つめている。
カルネを人質に取られた今、僕の返答がいかに重要なものかは言うまでもない。
逃げる事も出来ず。手元に残った僅かな物資は最早なんの助けにもならないだろう。
万事休すといったこの状況。
時間が経てばどうこうなる問題かは分からない。だが、今は少しでも考える時間を取ろうと会話を伸ばす選択肢を取る。
「そう……そうなんだよ、予想以上に美人さんで驚いちゃって……」
『うんうん!正直でよろしい!じゃあ君に質問をしていくからどんどん答えてよね!あ!嘘はダメだよ〜!あたし、すぐそういうの分かるんだから!乙女の勘ってやつ!だからちゃんと答えるように!!……嘘ついたらどうなるかなんて、今更言う必要もないよね?』
「あぁ……もちろんだよ……」
『じゃあしつもん一つ目!お名前は何ですかー?』
「えっと、千早 翔」
『普段は何をなされてるんですかー?』
「大体は大学に行くか、家でゴロゴロと……」
『好きな食べ物は何ですかー?』
「えっと……魚肉ソーセージ……かな?」
他愛のない質疑応答が繰り返される。
いつも寝る時間だとか、得意なスポーツ。趣味や、好きな場所、果ては彼女はいたのかどうかなんて事まで。
大した答えをした覚えは無いが、質問を重ねる度に女のリアクションは大きくなり、身を捩らせたり、クルクルまわったり、時折跳ねては喜びをみせる。
『ではではお次に〜』
意気揚々と腰に手をあて、人差し指を突き立て腕ふりかざし、ビシッとこちらを指して
『ご家族は今どうしていますか?』
「……僕の両親は幼い頃に火事で亡くなったよ。
それから叔母に引き取られて、今に至るって感じかな……』
その瞬間、先程まで見せていた狂喜乱舞する姿をから一変、ルビーの様な真紅の瞳を鋭く光らせ、眉間には深い皺が刻まれている。
明らかな怒りの表情を浮かべていた。
拳を固く握り締め、憤怒に震える声を、吐き出すようにして言葉を紡ぐ。
『……どーして嘘ついたの?自分の状況分かってないわけじゃないよね……?』
「嘘……?嘘なんてついてない!僕は覚えてることをありのまま話してる!」
豹変した女の理由が分からない僕は慌てて弁明を図ろうとするも、聞く耳持たずで奥歯をカタカタと音を鳴らしながら怒りに身を震わせていた。
女がこちらを睨みつけると同時に、突然僕の足元に大蛇が現れ、すぐさまに僕の身を締め上げる。
『……言ったでしょ。あたし、嘘がわかるって。ほんとだよ。あたしはあなたの全部が知りたいのに……あなたの言葉で全部を聞きたいのに……どうして嘘を吐くの……どうして』
今度は泣き崩れ、どうしてどうしてと繰り返しながら足元の土を引っ掻き続けている。
不気味にのたうつその女になんとか声を上げようとするも、キツく締め上げられた喉からは僅かばかりの空気が漏れるだけだった。
狂ったように暴れていたのもつかの間、俯いたまま聞こえるほどに大きなため息をついたと思えば、そいつは突然立ち上がると、今度は幽鬼の様な足取りでゆっくりとこちらへ向かって来る。
鼻頭が触れ合う程にまで距離を詰め、胡乱な目でしばらく僕の目を見つめた後に、僕の拘束が少し緩んだのを感じた。
『……あなたが嫌なら、あたしがそのままのぞいてあげる……あなたの頭ん中……隅々……全部……』
そう囁くと彼女は僕の身体に手を触れると彼女の真紅の瞳が薄明るい光を放ち始めた。
突然の眠気のような感覚に襲われた、途切れかけの意識の隅から、あの女がゆっくりと混ざりこんでくるような感じがした。