第二話「だんぢりって?」
翌日のことである。昨晩は、少量とはいえ酒を入れたから、自分でも驚くほど速やかに床に入れた。アメリカとは時差がかなり違うから、時差ボケを患うことを危惧していたが、初日はどうやら何も問題なさそうだ。
9時前に目覚めて、持ってきた荷物を整理して、さて今日は日曜日なにをしようかしらと案じていると、ふと外が騒がしい。
騒がしい、というほどでもないが、人の集まっている気配がある。
「おはよー、佑。昨日はよく眠れた?」
「お、おはよう。遥姉も早いね。どうしたの?」
外へ出てみると、遥姉とばったり会った。彼女はショッピングセンターなんかで見る、買い物カートを押していて、その上には大量の古新聞や古雑誌が積み込まれている。
「今日は月に一回の廃品回収なの。佑も、なにか捨てたいものとかない?」
「いや、捨てるものはぜんぶ向こうで捨ててきたけど……。それも、青年団の活動の一環? ボランティア?」
「そうそう。まあ、無償奉仕ではないんだけどね。助成金出てるし」
「なるほど。手伝おうか?」
いつもの遥姉なら、二つ返事で応えてくれるだろうと思ったが、意外にも難所を示して、
「うーん、どうだろ。聖や美希は構わないって言ってくれるだろうけど……」
それもそうか。これは個人活動ではなく、組織活動なのだ。部外者を簡単に参加させられる訳ではない。
「あ、佑が団長になってくれるなら――」
「それは昨日断ったでしょ」
しゅんとする遥姉。
「そうだ、佑。どこかお出かけしない? 昼過ぎまで待ってもらうことになるだろうけど……」
ちょっと考える。なにか予定があるという訳ではないし、どころか、今日一日なにしようかと考えていたくらいだけれども……。邪推しすぎだろうか。
「うん、いいよ。それじゃ、また電話ちょうだい」
「おっけーい」
言うと、遥姉は買い物カートを押して颯爽と次のゴミを拾いに向かった。
想像していた青年団と、というよりも、僕が過去に記憶していた青年団とは、すこし違う。俺の知る限りでは、青年団というのは、もっと気性の荒い人たちの集まりで、祭りにその全生命を賭け、荒事も辞さない。そういう連中の吹き溜りみたいなものだった。
すこし家の前でぼんやりしてから踵を返す。昼過ぎまで、何をして時間を潰そうか。
結局、4時間ほどの時間は、読書で潰れた。あれから自転車に乗って近所の本屋へ行き、久しぶりの日本文学を堪能している間に、携帯の着信音がなって、表示はもちろん遥姉。
「もしもしー? いま解散したところなんだけど、今から大丈夫?」
「平気平気。どうしたらいい?」
「私が迎えに行くのが一番早いんだろうけど、私と聖、いま別のところに来ちゃってるから、美希に車回させるね。もうじき着くだろうから、家の前に出といてー」
明智さんか。苦手という訳ではないが、昨日の様子だと、一対一で、それも車内となると息が詰まるかもしれない。
「了解。すぐに出るよ」
電話を切ってすぐさま用意をして玄関の扉を開ける。ちょうど、銀色のティーダがゆるゆると家の前を走っていた。運転席には明智さん。小さく手を振っている。
車に乗り込んでシートベルトをする。改めて日本の車に乗ると、左側に助手席というのがずいぶん奇妙なことのように思えた。
「えっと、今日はどこへ行くんですかね」
「電話では阪南のショッピングセンターに行こうって言ってたね」
「ふ、二人はいまどこに?」
「お見舞い」
「……っていうと、団長さんの?」
「そう」
以降、会話が途切れる。一方車はおしゃべりにエンジンを吹かせて、僕らの体を運んでいく。窓の外に目を向ける。ああ、懐かしいなぁ、このあたりの光景はまったく変わっていないや。
会話が止まってしばらく、明智さんが信号が赤の内に体や運転席周りをまさぐりだした。なにか探しているようだが……。
「煙草ですか?」
「ああ。たぶん、助手席のダッシュボードに入っていると思うから、とってくれないか。白い箱の、キャスターだから」
言われて、ダッシュボードを開ける。中はファイリングされた、おそらく車両保険などに関する書類。彼女の人柄が表れている。椅子周りや扉のサイドポケットのところだって、細かいゴミが落ちているだけで、小奇麗に掃除されている。
「はい、どうぞ。ライターは?」
「ありがとう。煙草の中に入っているから大丈夫。君は、煙草は吸わないんだったよな」
「ええ、でも大丈夫です。窓さえ開けてくれれば」
パワーウインドが降りる。が、ほんのすこしだけ。指を出す隙間すらない。怪訝に思っていると、
「こうやると、煙草の煙が外へ出やすいんだ」
なるほど。喫煙者の豆知識というやつか。
右手で煙草を持ち、左手でハンドルを切る。灰が溜まってきたら、ドリンクホルダーの灰皿にぽとり。
「明智さんって、左利きですか?」
「美希でいいよ。……なぜ、そう思う? 私は、君の前ではペンや箸を持ったことはないし、時計もしていない」
「それじゃ改めまして、美希さん。さっき、俺が煙草を渡す時、わざわざ右手で受け取りましたよね。ライターだって、いちいち煙草を置いてから、右手で」
「それなら、むしろ私は右利きということにならないか」
「いや、普通、車の運転を方を優先するでしょう。それに」
「それに?」
「左手の薬指にタコがある。それ、ペンダコじゃないんですか? 普通、そんなところにできないですけど……」
言うと、美希さんは一瞬いじらしく僕を睨みつけてから、降参したとばかりにため息を吐いた。
「遥の従兄弟だというから、どんな能天気かと思えば、案外目ざとくて頭の回るやつだな、君は。さすが、アメリカに留学するほどのことはあるか」
「渡米できたのは、ただの努力の結果ですよ」
「さらりと言うんだな。ま、変に謙遜するやつよりかは好感が持てるよ」
美希さんは小さく笑った。難しそうな人だという第一印象は覆って、むしろ話しやすい方かもしれない。遥姉や聖さんのような人柄は、会話はしやすいが、こちらが常に聞き手に回らなければいけないのがすこし辛い。
「ほら、もうすぐ着くよ。珈琲でも飲んで待っておこうか」
「そうですね。さすがにスターバックスは嫌かなぁ……」
「向こうでもう飲み飽きたということかな。ま、なにかしらあるだろう」
表の駐車場に車を停めて、巨大なショッピングセンターを見上げる。アメリカでは珍しくない規模だが、日本の、それも大阪の片田舎にこんなものが建っているのは圧巻の一言に尽きる。
二階、フードコートで、やはり明智さんのおごりで珈琲を頂く。財布を取り出そうとすると、すっと手で牽制されて、流れるままに代金の支払いが終わり、そのまま着席する。
おごられるのが嫌、という訳ではないし、女性の前だから格好を付けたいという訳でもないが、青年団の風習というものに取り込まれてしまいそうで、なんとなく受け入れがたいのだ。
「アメリカの珈琲は日本のものに較べて平均的に薄いと聞くが、実際どうなんだ」
着席して、クッキーのかじる間に美希さんが訪ねてくる。昨夜の居酒屋や車中でも思ったが、彼女は外国に関心が強いらしい。珈琲を傾けるのをやめて、
「いえ、徳にそういう訳ではないんですよ。ただ、日本でいうところのお茶みたいに珈琲が出てくるだけで。美希さんは海外に興味があるんですか?」
「ん……まぁな。私も大学院生の身分だし、留学のひとつくらいは経験しておいた方がいいかな、なんて思ってる」
「えっ!?」
なんと美希さんは大学生であったらしい。遥姉に比べてずっと大人びているから、学生だなんて思ってもみなかった。
「そんな意外そうな顔をされると、すこしショックだな。遥と聖とは同級生なんだから、大学生であっても不思議じゃないだろう」
「いや、うちの阿呆の親戚に比べて大人びていらっしゃるから、年上かと……」
「まぁ、多少老け顔という自覚はあるがね」
言って、すまし顔で珈琲に口をつける。もしかして気分を害してしまっただろうか。
「あ、いや、その、大人びていて、魅力的だという意味で、その……」
「おや、私を口説くつもりかい。残念だけど、君になびくつもりはないよ」
「君に」? それはつまり……。
「お待たせー! 二人きりの間に、ちゃんと仲良くなれた?」
「美希は口数が少ないくせに短気だからな。扱いに気をつけろよー」
「ずいぶん早かったわね。面会できたの?」
「いや、それが団長寝ちゃっててさ。起こすのも悪いと思って、そのまま帰ってきちまったんだ」
「今日の廃品の報告だけだし、来週でも構わないでしょ」
「来週って、他町との懇親会じゃなかったかしら」
「げ。本当だ…‥。すっかり忘れてたぜ。面倒くせぇ」
三人が青年団の話題で盛り上がる。ちょっと気になって、
「青年団って、他にもあるの?」
「そうよ。いまは昔に比べて縮小されちゃったらしいけど、ぜんぶで旧市九町。私たちの城内地区、土生地区、大工町連合、大北連合、岸城地区、別所町、春木南地区、南町、中央地区。昔は二十以上あったらしいんだけどね。なに、もしかして興味湧いてきた?」
「いや、まぁ、実際のところ、僕は祭礼についてなにも知らない訳だし……」
団長の話を引き受けなかったのも、それがひとつの要因である。青年団、祭礼、というのは、日本にいた頃、それも幼い頃に両親から聞きかじった程度の知識しかないし、アメリカのいる間にそれらの知識が増えるべくもない。
「えっとね、そもそも青年団っていうのは――」
「落ち着け馬鹿者」
目をキラキラさせて身を乗り出してきた遥姉を、美希さんが鋭いツッコミで制する。咳払いひとつ、遥姉は改まって、
「そういえば、佑って、だんぢり見たことないんじゃない?」
たしかに。中学校の頃に、毎年遠くに太鼓の音を耳にしてき続けたものの、実物を直接目にしたことはない。僕の知るところであれば、重量数トンからなる巨大な木造のチャリオットである。
「ま、まあ、木造のチャリオットっていうのは間違いじゃないかな……。第二次世界大戦の時には、アメリカ軍に新型の兵器と勘違いされて、焼夷弾を落とされたこともあるらしいし」
言いながら、遥姉がスマートホンを触り始める。買い換えた、と言った割には、既に角に傷がついているのが彼女らしい。
「これ。これがだんぢり、だよ」
差し出された画面に映るのは、木造のチャリオット、と表現するにはあまりに荘厳で、華美なものだった。
一緒に映る人の身長から判断するに、高さは3m前後。全長5mほど。大きな屋根と小さな屋根があり、中に人が辛うじて入れる空間がある。そしてなにより印象的なのは、その側面にくまなく飾り付けられた彫細工である。解像度の関係で細かく見ることはできないが、職人の渾身の意匠であることは、画面越しにも理解できる。
「ていうか、これでかくない? これを人間が引っ張るの?」
重量数トン、とは聞いていたものの、改めてモノを見ると、これを人間が引きずり回すとは考えられない。たしかに車輪はついているが、それすらも木製で、とてもじゃないがまともに曳行できるものとは思えない。
「ま、そこは気合というやつよ」
聖さんが力こぶを作って応える。
「それをまる三日間、50人くらいの人間で曳くんだ」
美希さんが付け加える。
途端に空恐ろしくなってくる。まったく未知のものに、例えば、それこそツチノコを見つけてしまったかのような気分である。同時に、――これは僕の悪癖だろうか――好奇心が鎌首をもたげてくる。
「だんぢりって?」
「なんだろう……」
「気合!」
「伝統」
三者三様、ばらばらな意見が炸裂し、思わず気が抜けてしまった。