第48話
店を出たのはいいが、どこに行こうか。
旅行用のキャリーバッグは東雲先生が持ってくれている。きっとこれが何なのか気にはなってると思うが、一切詮索される事はない。
お互い無言のまま歩き続けていると、大きな公園が目に入ったので私達はその中にあるベンチの一つに腰をかけた。
私から話し出さなければいけないのだろうけど、また涙が出てきそうで口を開く事ができない。
「……すいませんでした」
「えっ?」
「頭に血がのぼるあまり、また貴女に酷い事を言いました。訳も聞かずに貴女を責め立てたりして…、これでは前と同じですね、本当にすみません」
本当に反省してるようで、東雲先生は申し訳なさそうに眉を下げている。
「でも心配していたのは本当なんです。だから、昨夜何があったのか教えて頂けませんか?もちろん話せる範囲で構いませんから…、」
こんな苦しそうな顔を向けている彼の目からは本当に私の身を案じる色しか見てとれない。
あんな素っ気ないメールで済まそうなんて、本当に私は大馬鹿者だ。多分私は拗ねていたんだろう、東雲先生が私を置いて梨谷先生の元に行ってしまった事に。だから彼が心配している事がわかった上で、あえて電話をせずにあんなメールを送ったんだ。
最低だ私、彼に責められるのも当たり前だ。
「私こそ連絡しなくてすみませんでした。あの、全部お話しますね」
反省してる場合じゃない。
ちゃんと説明して、彼の誤解を解かなくては。
「昨日、先生と別れた後…………、」
アパートで男と対峙した時を思い出すと話していても声が震えてしまい、東雲先生には「無理しないで良いですから」と気遣ってもらったが「大丈夫です」と私はKENさんの家に泊まった所までなんとか話し終えることができた。
「あの時はスマホごとバッグを落としてしまって、電話しようにも誰の番号もわからなくて…、KENさんのお店が近くにあったのをふと思い出して申し訳ないとは思ったんですが、他に頼れる所が思い付かなくて。結局泊まる場所まで提供して頂いて、もっと滞在してても良いと言って下さったんですが流石にそれはご遠慮して響子先生にお願いしたんです」
「当たり前です!!」
「!」
「っ!大きな声を出してすみません。……しかしそんな事があったんですか、」
最後の最後で急に怒鳴るものだからびっくりはしたが東雲先生は全てを理解してくれたようだ。
「心配かけてごめんなさい、昨日は怖い思いをしましたけどもう大丈夫ですから」
だからもう心配しないで下さい、と伝えたかったのだけど東雲先生は更に苦しそうに顔を歪めている。
「あの?先生?どうした…、へっ!?」
俯いてしまいそうな東雲先生の顔を下から覗きこむようにして声をかけるが、それを遮るように私の体は昨日よりもずっと強く抱きしめられていた。
「あ、あのっ、先生っ、」
お互い座ったままなので昨日のように顔を押し潰される事はないから苦しくはないけど、顔の横に東雲先生の顔が隣接しているので少しでも顔を動かすと触れてしまいそうでピクリとも動けなくなってしまった。
顔の横にある東雲先生の息づかいを感じて、恥ずかしくて顔が赤く熱を持ち始めてるのが自分でもわかる。思わず身を固くしてしまうが、東雲先生の腕は更に強く抱き締めてくる。
「せ、んせっ?」
一人焦る私をよそに、東雲先生は何も言わずただ私にすがりついてるだけで一向に離れる気配がない。
私はもう力を抜いてされるがままになっていると、抱き締めている腕がかすかに震えているのがわかった。
「……泣きましたか?」
「はっ?」
「もう大丈夫なのは、KENさんに慰められたから…?」
抱き締められているから顔を見ることはできないが、断片的に質問してくる声も震えているように聞こえた。
「えっと、確かにKENさんの前で泣いたりしてご迷惑をかけましたし、一緒にいてくれて心強かったのは確かです。でも…、でも、」
「?」
「今が、一番泣きたいほど嬉しいんですっ、」
「!!」
「私なんて勝手に拗ねて心配してくれてる東雲先生の気持ちを蔑ろにしたりして本当に最低なのに、なのに…、先生にあんなに心配してもらって、こうして抱き締めてもらえてる今が嬉しくて仕方がないんです」
我ながら勝手だと思う。
梨谷先生の存在を知って、好きなのかわからなくなったなんて言って逃げていたのに、こうやって抱き締められれば嬉しくて離れたくなくなるなんて、本当に自分勝手な人間だ。
こんな女、東雲先生に相応しくなんかない。そう思うけれど、最低な私は今も離れず抱き締めてくれてる東雲先生に甘えてその優しい場所から抜け出る事もできない。
「勝手な事言ってごめんなさいっ、今だけ、今だけで良いですから、このままでいさせてくれませんか?」
いつの間にか頬を涙が伝っていた。
私はそれを拭う気にもならず、ただ先生の温もりを感じていたかった。
「っ!今だけなんて言わないで!勝手な事なんてないっ、俺がついていれば怖い思いなんかさせなかったのに!…ごめん、一人になんかさせて、俺こそ最低だよ」
「そんなことっ!」
「そんなことあるよ。一番大切な人を、守りたい人を守ってあげられなかったんだから。他の男なんかにその役目を盗られてしまうなんて、男じゃないよ」
えっ?
今、なんて言った?
大切な人?
私が?
思わず横に顔を向けると、そこには鼻が当たりそうな程近くで東雲先生の顔がこちらを向いていた。
そして先生は真剣な表情のまま、
「貴女の事が好きです」
目を反らす事なく、気持ちを伝えてくれた。
「ずっと好きでした。多分初めて会った時からずっと…」
「先生……」
冗談なんかじゃない、本気で私に気持ちを伝えてくれている。その証拠に東雲先生の大きな瞳は真剣な色の中で不安気に揺れている。
嬉しい、嬉しいけど…、
「私、なんかで、良いんですか?」
「貴女が良いんですよ、私なんかなんて言わないで。俺の大好きな人を貶めないで下さい」
そう言いながら、私の頬に手を添えると親指で流れた涙を拭ってくれる。それでも涙が止まらない私はぼやける視界の先にいる東雲先生の顔を見つめながら、私の今の気持ちを伝えようと思った。
「好きっ、です。私も、大好き、ですっ、先生が、良いんです!」
しゃくりあげながら、必死に言葉を紡いでいく。
「好き!先生が好き!ヒクッ、もっと早く、言いたかったのに、言えなくて、ヒクッ、諦め、ようとも、思ったりして…!でも、やっぱり、好きなんです!」
自分でも何を言ってるのかわからないくらいだったけど、東雲先生は笑顔を見せながら、ちゃんと私の言葉を聞いてくれている。
「ありがとう、好きになってくれて。これからは俺が守るから、俺以外の所でもう泣かないで」
「はいっ、先生も、もう、置いてかないで、下さい!どこにも、行かないで!」
「うん、ごめんね、もう離さないから。だから、真紀子もずっと側に居て」
もう涙でぐちゃぐちゃになっているだろう私の顔を愛おし気に見つめながら東雲先生の大きな手は私の頬を優しく包み込む。
そして、東雲先生の顔がゆっくり近づいてくると、どちらからともなく私達は初めてのキスをした。




