第42話
「やめろ!」
「涼!助けて!!」
東雲先生は揉み合う二人の間に強引に割り込んで梨谷先生を背中に庇い、男の正面に向き合った。
「なんだてめえは!邪魔すんじゃねぇよ!!」
男は突然の乱入者に一瞬腰が引けたようだったが、すぐに気を取り直したように大声をだした。
「おい綾香!なんだよこの優男は、関係ないやつはどっか行けよ!」
「関係あるわよ!私、今はこの人と付き合ってるの!」
「なんだと!?」
「この人はあんたみたいにすぐ殴るようなやつとは違うのよ!」
「てめえ!」
頭に血が上った男は東雲先生の背中から顔を出して怒鳴り合っていた梨谷先生にむかって殴りかかってきた。
危ない!
思わず瞑ってしまった目をそっと開けると、頬を押さえて頭をよじる東雲先生の姿が見える。
よく見ると口の端が血で汚れている。
おそらく梨谷先生をかばって代わりに殴られたようだが、その場から一歩も動かず殴ってきた男を睨み返している。
「な、なんだよ、」
威勢が良かったのは最初だけで、殴られてもやり返す事なく黙って立ち続ける相手の姿に怖くなってきたのか男の足はジリジリと後ずさっていく。
「お、俺のせいじゃねえからな!お前が綾香に手を出すからいけないんだぞ!」
誰かが通報したらしくパトカーの音が聞こえてきて、それに気づいたのか男はなんとも情けない捨て台詞を吐いて慌てて逃げてしまった。
「涼、大丈夫!?」
「ああ」
「ごめんなさい!私のためにこんな…!」
その後、怪我をした東雲先生と彼に寄り添って介抱する梨谷先生の二人はやって来た警察の人に事情を説明するため、一緒にパトカーの方へ歩いて行ってしまった。
先生の方からは手を出してないから大丈夫だと思うが警察沙汰は問題になるのではと心配になり、私も目撃者として話をしたほうがいいんじゃないかとも思ったが、東雲先生の背に手を添えながら歩く梨谷先生の姿を思い出すとどうしても足が前に出ない。
数分前まで東雲先生との距離はゼロ㎝だったはずなのに、今は物凄く遠い。
『私、今はこの人と付き合ってるの!』
東雲先生、否定しなかったな。
あの状況では違ったとしても否定しない方が正しいとは思うけど、殴られても梨谷先生を庇う姿が目に焼き付いて離れてくれない。
一瞬、東雲先生が後ろを振り向き何かを探す動作をしたが、梨谷先生に引っ張られてすぐ前を向いてしまった。
完全に野次馬の一部になってしまった私はいつまでもここにいてもしょうがないなと一人帰ることにして、足早に歩きだした。
黙って帰ってきたことに多少気も引けたが後でメールしておけばいいかとボンヤリ考えながらアパートのドアに手をかけると鍵が開いていることに気がつく。
私今日鍵かけ忘れた?
こんな事初めてだなと思いながらおそるおそるドアを開けると真っ暗な部屋の奥の方からゴソゴソと物音がする。
八畳一間の安アパートだが音がするのは玄関から死角になった辺りでよく見えない。
やめておけばいいのに、私はそれを確認しようと体を伸ばして見てみると、そこにはなんとタンスの引き出しを開けて私の下着を物色している男がいたのだ。
「!!?」
ありえない光景に固まってしまった私だが、人の気配を感じたのかその黒ずくめの不法侵入男が顔を上げてこちらを見た瞬間一気に全身の血の気が下がり、恐怖にうち震えた。
叫び声も上げる事ができずにガタガタ震えている私を見て、あろうことかその男は慌てて逃げ去るでもなく悠々とした足取りで近づいて来たのだ。
その後の事はあまり覚えていない。
ただひたすらに走り続けて、気づいたらさっき東雲先生といた場所まで戻って来てしまっていた。
後ろを振り返ってもさっきの男は追いかけてはいないようだが、それでも怖くて何度も後ろを確認してしまう。
いつ落としたのかバッグがない事に気づいて、すでに先生達も警察の人もおらず当たり前だがさっきまで輪になって見物していた野次馬達の姿もない普通の街並みの中で私は一人途方に暮れてしまった。




