第3話
「井上さん、これで宜しいでしょうか?」
「どれどれ。うん、完璧ですね。」
朝から取り掛かっていた書類のチェックを井上さんに依頼したが、よかった大丈夫そうだ。
これであの教頭の嫌味も少しは減るだろう。なくならないのが不満ではあるけどね!
何故か、嫌味教頭も井上さんには何故か何も言わない様なのである。ただ単に年上だから遠慮してるのか、この好好爺然とした方には文句も言いづらいのかもしれない。
…笑顔の練習でもするかな。
「申し訳ないんですが、明日からまたしばらく休ませてもらいますね。仙道さんには迷惑ばかりかけて本当に申し訳ない。」
にこやかな顔はそのままに、本当に申し訳なさそうに眉を寄せながら井上さんはこちらを見る。
「いえいえ、私の事は気にしないで下さい。大体の仕事の流れはつかみましたし、一人でも大丈夫です。」
まだ不安な時は多々あるものの、井上さんに心配を掛けないように私は返事をする。
「それよりも、奥様の具合はどうですか?」
「うん、暑さも和らいできたおかげか少しはいいみたいなんだ。こないだも病院の中庭でいちょうの葉っぱを一緒に集めたんだよ。」
にこにこしながら奥様の近況を話してくれた。いつもの笑顔に愛情が溢れんばかりの優しい表情を乗せながらお話しされる井上さんを見ると、こちらも優しい気持ちになれる。
奥様には会った事はないが、きっとお互いを思いやれる関係なんだろう。いいなぁ、私もこんな夫婦になれるといいな。
相手はいないんだけどねっ!
今までの話の流れで分かるとは思うが、井上さんの奥様は身体が弱い方で入退院を繰り返しているらしい。お子さんもいらっしゃらないし、五十代半ばに差し掛かる今、二人の時間を大切にしたいそうで(←素敵!)仕事も辞めるため、私が中途半端な時期に就職できたという訳である。
仕事場はあんまり良い環境とは言えないが、大きな学校であるためなかなか仕事量も多い。なので、約一年をかけて引き継ぎをしつつ、井上さんは月の半分近くを有給消化にあてている。
「ああそうだ、忘れる所だった。」
「何か急ぎのものがありましたか?」
先程OKを貰った書類を嫌味教頭の所へ持って行こうと立ち上がった私に井上さんは思い出した様に呼び止めた。
「仙道さんは中途採用だから、春の健康診断受けてなかったんだね。さっき、保健医の東雲先生から保健室まで来るように言付けを受けたんだった。」
「健康診断ですか?」
「普通は生徒だけなんだけど、東雲先生は医師の免許を持っているから職員達も一年に一度空いてる時間に健康診断する事になってるんだ。」
「へぇ、そうなんですか。わかりました、この書類を出したらそのまま保健室に行ってきます。」
「そうしてくれる?今日は東雲先生、一日居られるそうだから。」
「はい、いってきます。」
私はそう言いながら、部屋を出た。