第三話 異世界の幽霊事情は複雑怪奇
そんな決意をして、早三ヶ月。今日も俺は幽霊だけど、元気に異世界を漂っております。
「それでは、ユイカ様。今日から力の解放の最終段階に入りたいと思います。貴女の身体の奥に眠る、力の鍵をゆっくり開けていきましょう」
「はい、よろしくお願いします」
「おー、ついに最終段階かー」
今まで聖女の力を徐々に開放していたけど、ついに最後の訓練ってことか。聖女の力をちゃんと引きだせるようになれば、あとは制御を覚え、使いこなすだけ。神力の使い方は神官でも教えられるが、そこから先は聖女であるユイカちゃんにしかできない領域だ。
優秀な教師がいるとはいえ、三ヶ月で神力を引き出せるようになった彼女の頑張りは本当にすごい。ずっと練習して筋肉痛で腕をぷるぷるしながら、涙目で杖を振り続けていただけはある。イケメンに囲まれるより、氷枕に囲まれて癒されている時が、一番幸せそうな聖女様であった。
もちろん、俺だってただ漂っていた訳ではない。基本的にはユイカちゃんにくっついて、守護霊よろしく彼女の訓練を精一杯応援している。背後霊やストーカーでは、決してありません。彼女のプライベートスペースは守るように心がけている。ユイカちゃんは俺にとって、大事な守護対象なのです。邪念を向けてはいけません。
あと実は、彼女が受けているこの訓練。俺にもちゃんと効果があったりしたので、非常に役にたっている。しっかり俺にもありました、魔力とか神力っぽいもの。聖女ちゃんの先生である神官のお姉さん(十九歳)の教えは、俺の中にもしっかり根付いている。
ちなみに何ができるようになったのかというと、ユイカちゃんは癒しの術ができるようになって、俺はポルターガイストができるようになった。今のところちょっと物をカタッと動かしてラップ音を鳴らすことしかできないけど、いつかビュンビュンやりたいものだ。夜中に練習をしていたら、夜でも真面目に働いている神官長をよくビクッとさせた。
ついでにユイカちゃんを誑かそうとする悪い虫には、夜中にラップ音を鳴らして睡眠不足の刑にしている。幽霊の強みは、全く気付かれないことだ。情報収集能力も、まさに右に出る者がいない状態。日本の奥ゆかしい恐怖は、異世界でも大絶叫です。
「おぉー、ついに最終段階かー。今回の聖女殿は呑み込みが早いようだ」
「あっ、騎士団長さん。悪霊退治は終わったんですか」
「あぁ、まぁな。死んだらやることがなさすぎるから、そこらの悪霊をたたっ切るしか暇を持て余す方法がない。あー、二百年ぶりに酒がのみてぇなー」
「もう成仏したらどうですか」
カチャカチャという金属の擦れる音に振り向くと、この国の神聖騎士団の元団長さんが現れた。たいてい酒が飲みたいと言ったり、悪霊しばきばっかりしている人だ。ちょっと前に、神殿の図書館で聖女ちゃんが勉強していた時に、「二百年ほど前にいらした、この国最強の騎士団の隊長だったんですよ」と司書さんに歴史書で教えてもらったことがあった。高潔で思慮深く、当時の乙女の心を射止めまくっていたらしい。
「残念ながら、俺はまだ成仏する気はない。……この国の行く末を最後まで見届けたいからな」
「騎士団長さん…」
「そして、生前は倫理観や世間体が邪魔してできなかったが、幽霊だから着替えや風呂が覗き放題。これほどの特権は、他にないからなっ……!」
「騎士団長さん…」
拳を握り締めて、涙を流すなよ。生前は高潔な騎士のまま殉職してしまったため、欲求不満すぎて成仏ができなかったらしい、この国の歴史上最強の騎士団長さん。歴史書にも載って、後世にこの人の名前で勲章もあると言われている最高の騎士。初対面の時の、俺の感動を返せよ。
古株幽霊その一さんだ。約二百年かけて培われた知識で、主に戦闘についてや女性のことに関する情報(スリーサイズ含め)は、一番豊富だったりする。
「ふむ、今日もあの神官の女性はいい教えをしているな」
「そうですね、勉強になります」
「ちなみにちょっとドジッ子で独身だ」
「そうなんですか、勉強になります」
騎士団長さんと世間話をしながら、俺は神官のお姉さん(十九歳ドジッ子独身)の教えを真面目に勉強する。ユイカちゃんも彼女から言われたとおりに、力を制御しようと頑張っていた。脂汗が滲んでいるけど、やはり最後になると身体の負担が前よりも大きいらしい。
発現さえすれば、彼女ならコツを掴むだろう。俺の場合、肉体的疲労がないからそのあたりは楽だ。騎士団長さんでも、俺みたいにポルターガイストはできないみたいなので、幽霊の中では目に掛けてもらっている。「それができたら、めくり放題だな…」と期待の籠った声で言われたが、何をめくる気なのかは言及せずに、全力でスルーをしている。
「それにしても、神官とか神殿とかなら、幽霊にも気づくかなーって思っていたのに。全く気付かない」
「悪霊レベルや英霊レベルになれば、気づくだろう。あれらは生者や大気中にある生命力などを吸収するため、神官などの目にも入る。リッチクラスなら、誰の目にも入るだろう」
「さすがに悪霊にはなりたくないな…」
「悪霊になったら、俺が切らせてもらうから安心しろ」
「……ありがとうございます。ちなみに騎士団長さんは、英霊にはならないのですか? 凄い騎士なんでしょ」
「俺もそこは不思議なんだ。英霊は神格を持つゆえ、清く気高い魂がなれるはずなんだが。俺が英霊になったら周りも認知してくれるだろうし、多くの女性の黄色い声が聞こえるだろうに…」
なれない理由がわかった。むしろならない方が、生きとし生ける人のためだ。
「それはさておき、実際に幽霊が見えたら日常生活が大変だろう。俺たちのように意識がはっきりあるやつは少ないが、浮遊霊などそこらにいる」
「……異世界の人口比率と死亡率の高さは、さすがですね」
ちなみに意識がある幽霊は、おしゃべりが多い。死んで生前の箍が外れたり、漂っているだけだから、暇つぶしに面白おかしく話してくれるのだ。異世界人の俺なんて、好奇の的だったからみんな口が軽い軽い。
おかげでここにきて三ヶ月の俺に、この世界のこととか、神殿の内部事情とか、貴族の裏事情とか、この国の王族の趣味とか、色んな人の黒歴史とかを、井戸端会議ぐらいの気軽さで教えられた。一番恐ろしいのは、こいつらじゃないだろうか。
この世界にいるのかはわからないが、霊感を持っている人は本当に大変だろう。同じ幽霊の俺としては寂しい思いをせずに済んだが、幽霊と話せる生者なんてすごく生き辛そうだ。きっと知りたくもない、お隣の生活から国家機密までさらっと教えられるのだ。暇つぶしに憑き纏われるのだ。俺もしそうだ。
未だに生者との関わりはラップ音ぐらいしかないので、話とかできたらいいのになー。よくわからない力は使えるけど、認知とかはしてくれない。何か足りないのだろうか。ラップ音でモールス信号みたいにできたらいいんだが、残念ながら俺はわからないし、ユイカちゃんが知っていたらびっくりだろう。
そんな風に見守っていたら、どうやら今日の訓練は終了らしい。ユイカちゃんは消耗からか息が荒く、汗を流しているようなので、微弱ながら幽霊冷気でも送っておく。試しに神官長で色々実験したので、コントロールはバッチリだ。
「お疲れ様です。よろしければ、訓練後に湯浴みなどはいかがですか」
「えっ、いいのですか」
「はい、すぐにご用意できると思います。それに、簡単な反復の練習方法がありますので、よかったら中でお教えしますよ」
「本当ですかっ」
俺の目の前で繰り広げられる、見目麗しい女性二人の会話。「汗だくです」や「お背中を流しますよ」という楽しげな声。……おかしいな、隣が見られない。もうこれ悪霊じゃね、と言いたくなるような邪悪なオーラが、俺の隣から発せられている。幽霊なのに、冷や汗が止まらない。
「……カズマよ、どうやら彼女たちの行先から邪悪な気配が感じられるようだ」
「奇遇ですね、俺も自分のすぐ隣から感じられます」
「故に、俺は彼女たちの安全のために戦う必要がある」
「奇遇ですね、俺も守護霊として全力を出す日が来たようです」
「……あの神官の女性は、着やせするタイプだと俺の心眼が告げているぞ」
「…………な、舐めないでください。俺の聖女ちゃんへの思いは、その程度では揺らぎはしません」
いくら神官のお姉さん(脱いだらすごい十九歳ドジッ子独身)がいようと、俺はユイカちゃんを守ると決めたのだ。俺にも召喚チート(対象:幽霊のみ)がある。最強の騎士と呼ばれるこの男相手だろうと、俺の持つ魔力か神力っぽいこの力は大きな戦力となるのだ。
生きている人間相手には、ラップ音しか出せないような能力だが、幽霊相手ならこの力の奔流を操作すれば無双できるだけの能力と化す。騎士団長さんのような歴戦の猛者が相手でも、渡り合える可能性はある。俺にだって、小説の主人公のような凄い力(幽霊限定)があるんだ。俺が守るべき人を、魔の手から必ず救い出してみせる。
「カズマよ、貴様はそれでも男か。普段の入浴時間とずれているため、邪魔者はおそらく入ってこない。……これは、絶好のチャンスなんだぞ」
俺に向けられる圧倒的な威圧感から、この男の本気がわかる。本能的な恐怖を引き摺り出してくるような声と気迫に、思わず下がりそうになった足に俺は力を入れた。これが経験の差ってやつか。もともとただの高校生がすごい能力を持ったからって、本物の実力者が相手じゃこんなにも情けなくなる。だけど、俺だって譲れない。
この神殿の入浴時間は決められているため、今回のような突発的なことは相手が聖女様だからこそ起こったことだ。ユイカちゃんの頑張りを評した善意という名の「入浴」イベントが、この野獣の本能を刺激してしまったらしい。俺の少し震える足に気づいているだろうに、彼はそれを笑うことなく、真剣な顔でこちらの出方を窺っていた。自分が侮られていないことに喜ぶべきか、歴史上の偉人がそこまで女風呂を覗きたいことに嘆くべきか。どちらにしても、俺にとっては不利だ。
「……来ないのなら、こちらから行くぞ。このようなところで時間を浪費しては、女風呂を覗くという、ようやく訪れた我が悲願が時間切れに――」
「あらあら、面白そうなお話ね。その話、私にも聞かせてもらえないかしら」
ポンッと騎士団長さんの肩に手を置き、彼の背後から突如現れた女性はニコニコと笑っていた。騎士団長さんの表情が完全に固まった。俺は勝利を確信した。そして、彼女の笑顔という名の威圧の余波に身体の芯から震えた。
本来幽霊である騎士団長さんは生者には見えないため、風呂も着替えものぞき放題なんじゃないのか? だから普通なら、これほどのフラストレーションが溜まるはずがない。しかしそんな幻想は、彼女たちによって木端微塵にぶっ壊されているのだ。
彼のような幽霊は、過去にも当然数多くいた。意識が薄い幽霊でも、女風呂には何故か意思を持って向かう幽霊がいるぐらい、死んでしまった煩悩共が考えることは、みんな同じだったのだ。もう死んじゃったんだし、羽目を外してもいいよね! 的なノリだろう。
そんな本能丸出しの事態を許せない存在。それこそが女性メンバーで構成されている――幽霊セクハラ撃退組(俺命名)の方々だった。そりゃ知らないとはいえ、幽霊に実は見られていたとか、死んでから知ったらショックだし憤慨ものだろう。故に彼女たちは、生者の乙女の純情を守るために大昔から結成されているのだ。過去も現在も煩悩の矛先は変わらないらしい。
そして彼女はそのリーダーである、古株幽霊その二さん。その一がいるのだから、当然他にもいる。騎士団長さんの二倍ぐらい幽霊歴の長い女性で、歴史上の偉人として教科書に当たり前のように載っているぐらいのすごい賢者さんだったらしい。少なくともこの男を止められるのは彼女しかいないため、もはや専属だ。賢者さんは、実に二百年間この男から乙女の肌を守り続けている。
彼女の存在は五百年ぐらい不動であり、煩悩共はあっさりと夢を打ち砕かれて大人しく成仏していっている。二百年間もこの男から守り通す鉄壁っぷりに尊敬するべきか、二百年間も諦めずに攻め続ける煩悩っぷりに敬意を示すべきか。いくらチートがあろうと幽霊歴三ヶ月の俺では、まだまだ彼らの領域にはいけない。逆にそこまでいきたくない。
「くっ、もう気づかれたのか…。だが、毎度毎度邪魔され続ける俺ではない! 今日こそ五百年前に異世界から来た邪神を倒したと言われる大賢者である貴女を超え、俺は桃源郷へと進んでみせる!」
「ふっ、威勢がいいのは相変わらずですね…。さすがは二百年前に異世界から侵略しに来た魔王を倒した勇者と呼ばれるだけはあって、貴方の剣技は確かに鋭い。しかし、経験の差をまだ理解できませんか? 約二百年の差は、そう簡単には埋まりませんよ」
「それはもう、ただの年増でおばさんだろう。いい加減成仏するか、英霊にでもなったらどうだ」
「…………ふふふふふ」
こいつに恐れはないのか。それは女性に言っちゃいけない、禁句ワードランキングトップだろう。そしてさらっと言っているけど、この世界に来てからできた俺の知り合い全員が、何かしらの偉人レベルすぎる気がする。桃源郷を賭けたいつもの激闘が始まり、俺もいつも通り体育座りをして離れたところで見学。神速の剣技とか深淵の魔術とかを見ながら、ちょっと遠い目になった。
幽霊は生前の能力と意志が強いほど、幽霊歴が長くなる。長く現世に留まり続けるだけでも、すごいことだからだ。悪霊や英霊になると色々面倒なこともあるらしく、ガチガチの規則とかお偉いさんの中に囲まれた生前を送った偉人さんほど、気ままな幽霊生活を満喫するのが楽しいらしい。
俺の知り合いの古株幽霊その三の賢王さんなんて、一日中ゴロゴロしているぐーたらだ。生前は睡眠や食事の時間すら削って国を救い、結果過労死したので満足するまでぐーたらする気らしい。彼の素晴らしい頭脳は、今はいかに自分がのんびりできるかに全力を注いでいる。
俺みたいに三ヶ月で、幽霊歴百年以上の猛者と並べる力を手に入れたと思えば凄いのだが、如何せん他の相手が凄すぎてチートの実感が湧かない。勇者や賢者や英雄なんかがちょこちょこ出てくるかもしれない、異世界幽霊事情。生きているより死んでいる方が、異世界は魔窟過ぎませんか。
「……ユイカちゃんも、この世界を救ったらこの人たちみたいに英雄になるのかな」
残念ながら、元聖女様の幽霊にはお会いすることはできなかった。成仏してしまったのか、英霊となっているのか。それはわからない。ユイカちゃんは、とにかく必死に今を生きている。生き急ぐぐらいに頑張っている。それが俺の中では、すごく心配だ。
この世界の人たちもユイカちゃんを支えているし、応援しているけど、結局は助けられる側なのだ。彼女を心配はしても、彼らの根底には世界を救ってほしいという思いがある。それは当然だろうけど、世界の平和の前にユイカという一人の少女の心配をしてほしいと思うのは、俺のわがままだろうか。訓練も大切だろうし、ゆったりするのは世界を救ってからいくらでもって感じなのかもしれないけどさ。
そんなに頑張らなくてもいいんだよ。その一言だけでも言ってくれる人がいればいいのに。そうしたら、彼女だってあんなに辛そうな顔をしなくていいかもしれない。彼女は、この世界の聖女にしかなれない。それ以外を求められていないのだ。だから自分の居場所を無くさない様に、周りから捨てられない様に、必死に縋りついているように見えてしまう。
あの子は、きっとこの世界を救うためにちゃんと頑張ってくれる。ちょっとぐらい、弱さを吐き出させてあげてほしい。ないものねだりに、俺は小さく溜息を吐いた。
「あら、溜息なんてついて。また聖女様のことかしら?」
「あっ、賢者さん」
ということは、あそこで消し炭になっている物体は……うん。彼のことだから、いつものように数分ぐらいでまた復活するだろう。
霊体って精神体そのものだから、意思の強さがあればそれぐらいできる。二百年間消し炭にされても立ち上がる精神力って、素直に感心する。これで、動機さえまともならな…。
「貴方の思いと、彼女に邪な思いを寄せていないことはわかっているから、傍にいることを許容していますが、他の女性に同じようなことをしていたら……あぁなることを覚えておくように」
「あ、あははは、はい」
直立不動で、頭を下げた俺は悪くない。死んでからも悪いことはするもんじゃない。俺だって男だから騎士団長さんの気持ちだってわからなくはないのだが、リスクがルナティックすぎる。ヘタレと呼ばれてもいいさ。俺も認める。
「神力の訓練の後は、作法の練習でしたか。あれは私も肩が凝ったものです。生前は早く魔術の練習がしたくてしたくて、よく抜け出しましたね…」
だから歴史上の偉人が、そう言うことをさらっと暴露しないで。もう手遅れかもしれないが。まさか邪神を倒しにいった理由が、異世界の魔法が見たくて、さらに腕試しをしたかったかららしい。この人は、ついでで世界を救ってしまった人だ。賢王さんに教えてもらったけど、賢者さんの前の二つ名は『破壊の女王』だったり、『恐怖の爆殺魔女』だったり、ろくな名前がない。この人だけは、怒らせたらいけない。
「ところで、俺にまだ用事があるんですか?」
「えぇ、そうね。ほら、貴方の使う力について私は調べていたじゃない。それだけど、どうやら精霊の力と近しいことがわかったの」
「精霊って、確か女神様とか神様の使いでしたっけ。俺はそんなにも高貴な存在じゃないと思いますけど」
「だけど貴方は女神の魔方陣によって、手違いでも界を渡ってきた存在。この世界の精霊には、界の狭間を管理する役目もあるため神からつくられるの。だから、女神様の力を含んだ魔方陣を通った貴方も、定義的には精霊に入る可能性はあるわ」
「んー、神様がいるだけでも俺の中ではカルチャーショックなのに、精霊か…」
研究意欲の高い賢者さんにとって、俺の力は興味の対象らしい。初対面で「解剖を前提に、友人になりませんか」と美人にキラキラした目で言われたのは俺ぐらいだろう。幽霊って解剖できるのという疑問や、美人の魅力に負けず、即土下座して「超安全な研究を前提でお願いします」とヘタレ全開で言えた、三ヶ月前の俺えらい。
彼女の中でも、まだ俺のポルターガイストの答えは出ていない感じらしい。俺としては、特に危なくもないし、別にいいじゃんと思うんだけど駄目かな。もし俺が精霊なら、逆に罰が当たらないか怖い。めちゃくちゃ私的に神の力ってやつを、俺は使いまくっているよ。ラップ音出したり、風邪をひかせたり。
ただ幽霊と精霊はちがうものだから、俺は幽霊と精霊の狭間の存在みたいな認識でいいのだろうか。そういえば、神官長も時々俺の方を向いて不思議そうな顔をしていた気がする。何となく精霊がいるかもという気配は察せるって言っていたから、それだったのだろうか。
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そんな世間話をしながら、賢者さんと別れた俺は、ユイカちゃんの部屋を幽霊冷気で少し涼しくしておく。女性のお風呂って長いから、まだ時間はあるだろう。お風呂からあがったら、少し休憩を入れてからのマナー講座が始まると思う。その時には、いつも通り俺はぶらぶらと散歩でもさせてもらおう。
ユイカちゃんのガチガチの生活を見ていると、なんだか生身より幽霊の方が、ものすごく楽に感じてしまう。食事もいらない、睡眠もいらない、排せつもいらない。生き物と関わり合うことはできないが、自由に好き勝手できる。幽霊仲間もいるから寂しくもない。常識を色々ぶっ飛ばされるが。
「最終段階が終わったら、いよいよ旅立つのかな」
彼女が召喚されたのは、この世界にとって悪いものを浄化してもらうためだ。故に、その悪いもののところまでユイカちゃんは旅をしなければならない。神殿と国から出されるその旅の選定メンバーの立候補者は、高貴な男の人が多い。理由はなんとなくわかるが、ちょっと守護霊として一言物申したいぞ。
傍から見たら逆ハー状態でより取り見取りなのかもしれないが、井戸端幽霊情報網を持つ俺から見たら、そいつは辞めておいた方が…、という相手も候補に入っている。第一、ユイカちゃんがガチガチになってしまいそう。
あの子高貴な人が相手だと、機嫌を損ねない様に愛想笑いでずっと頑張るから、神殿に帰ってきたら愛用の氷枕を頬にあてながらいつも抱きしめている。神官長が毎日聖女ちゃん用の最適な氷枕作りにハッスルするのも、もはや神殿の日常風景だ。
「とりあえず、ユイカちゃんに不埒なことをしようと考えるケダモノは、全員禿になる呪いとか足の小指を何度も激突させる呪いぐらいはマスターして、とっちめてやらねぇと…」
「えっ、禿?」
「おう、俺はチート守護霊だから、きっと能力で呪いの一つや二つぐらい、……えっ?」
俺の独り言に反応があったことに気づき、驚きに振り返る。聖女の神聖な波動か何かで、普通の幽霊は彼女の傍にあんまり近寄って来ない。だから彼女の部屋の中で、声が聞こえるとは思っていなかった。そして振り返った先には、やはり幽霊は誰一人いない。
だけどそこにいたのは、この部屋に訪れるのは当たり前の人物だった。少し濡れた黒髪と火照った頬に、白いワンピース姿。ギィ、と微かな音と共に扉が開いた先にいたのは、予想よりも早く部屋に帰ってきたユイカちゃん本人であった。まだ時間があるだろう、と完全に油断していた。
本来ならすぐにでも慌てて部屋から去るのだが、彼女の様子がおかしいことに気づく。というより、彼女と目が離せなかった。
俺が目を離せなかったのは、バッチリと目が合ってしまったからだ。おかしい。どうして、彼女と目が合わせられる。どうして、生者である彼女が俺の方に視線を向けながら、「禿…?」とぼそっと連呼している。茫然と立ち尽くすユイカちゃんと俺。このままこの場所に止まると、非常にまずいことはわかる。はっきり言おう、俺は完全に混乱していた。
「こ、こんにちはー」
「あの、えっと、こんにちはー」
「お、俺は決して変態ではありませんし、禿の妖怪でもありませんし、男の小指に恨みもありませんし、怪しいことはちょっとしたけど、とにかくやましいことは何もしていません」
「そ、そうなんですか」
会話が通じているよ。普通に通じているよ。というか俺弁解じゃなくて、墓穴掘っているよ。たぶん俺のことも見えている。
いきなりどうしてこうなったのかはわからないが、この場所での対面はまずくないか。女の子の部屋に堂々と入り込んでいる、怪しい男を目撃。今彼女に悲鳴をあげられたら、あの好奇心の塊の幽霊共がこぞって野次馬に来る。賢王さんすらも来る。容認してくれていた賢者さんたち撃退組に、俺が滅せられる。
彼女も混乱している。俺も混乱している。よくわからないが、ここは伝家の宝刀の出番だ。あの賢者さんを唖然とさせ、騎士団長さんと賢王さんから、「見事」とよくわからない拍手をいただいた必殺技。俺は今だけ風になります。
「どうかお願いします! すみません、訴えないでください! ごめんなさーいっ!」
「え、えぇっ……!」
完璧なる跳躍と回転速度、滑るような柔軟さと、そして足運びと手の付き方の絶妙な位置取りを確保し、正確にバランスを保つ。幽霊になったからこそできる数々の大技。
こうして俺は、豪華な部屋の真ん中で全力で土下座した。