第十話 彼女が選んだ道
「あっ、一真くん! 大福を見なかった?」
「大福? 大福なら、さっきあそこの野原でコロコロ転がっていたけど」
「えぇー、せっかく綺麗に整えたのに。地面に転がったら、真っ黒になっちゃうよ」
ぷりぷりと怒る結花ちゃんに、俺は小さく笑った。今日の朝、せっかくの遠出だからと張り切って大福をつやつやに磨いていたからな。それが泥で汚れてしまったら、そりゃあがっくりきてしまうだろう。
ちなみに俺たちが話しているのは、当然日本伝統の和菓子のことではない。食べ物を地面に転がすなんて、あのオカンが黙っていない。まぁ、あの丸っこくて、雪のように白いところは似ているかもしれないけれど。
「うにゃぁー」
「あっ、大福!」
「あらら、やっぱり真っ黒だ」
「もぉー、元気なのはいいけど、やんちゃなんだから」
草の根を分ける微かな音が響き、そこから俺たちを呼ぶような鳴き声が届いた。その鳴き声の主に気づくと、結花ちゃんはちょっと呆れながらも、聖女の奇跡パワーで大福についた泥を落としていた。うん、彼女も異世界に慣れたものだ。
そして綺麗な白を取り戻した大福は、嬉しそうに彼の定位置である結花ちゃんの腕の中に跳び込む。そんなマイペースな大福の様子に、彼女も仕方がなさそうに微笑み、優しく毛を撫でてあげた。それに大福の尻尾がふらふらと揺れる。
やっぱり大福は、結花ちゃんが大好きだな。まるで彼女と大福が初めて会った時の再現のようだ、と俺は思った。
さて、大福こと元『厄』であった彼は、――猫であった。白くてふわふわとした毛に覆われた、背中に羽の模様みたいな茶色の毛を持つ猫。『厄』って、人間じゃなかったのかよ!? と当初は驚いたが、異世界から落ちたものを全般に『厄』と呼ぶんだから、動物が落ちてしまっても不思議はないのかもしれない。
見た目は羽の模様がアクセントな、地球でもよく見かける猫である。しかし、彼はしっかり地球ともアレンセルとも違う、異世界の住人らしい。なんでも彼の元いた世界は、猫王国のようで、猫以外いない世界だった。猫しか知らない彼は、人間を含む多種族が多く住むこの世界に、本能的に酷く怯えてしまったのだ。その恐怖が、聖女を召喚させるほどの瘴気を作り出してしまったらしい。
こんなに詳しいことがわかったのは、猫獣人の幽霊が協力してくれたおかげである。聖女の浄化によって、大福は正式に異世界アレンセルに招待されることとなった。そのため、アレンセルの言語も一緒にわかるようになったのだ。
彼はどうやら知能が高いらしく、俺たちの言っていることが理解できるらしい。しかしさすがの言語機能も、猫語をこちらが理解できるようにはつくられていなかった。そこで、「まかせるにゃ!」と言語をしゃべれる猫獣人が大福の通訳をしてくれたのだ。お礼に彼らは、猫じゃらしを持った神官長にごろごろさせてもらっていた。
それから大福は、元の世界には帰らない選択をした。家族はいいのか、と聞いたが、彼の世界では一人前になったら自分で生き方を決めていく種族らしい。もともと好奇心が強かった大福は、色々なところを回っておいしいものを探して徘徊する旅猫だったようだ。その旅の途中で、異世界に誤って落っこちたらしい。
詳しい経緯は、彼もよくわからないようだ。でも、来ちゃったものは仕方ないよねー、と猫獣人曰く、のほほんと語っていたらしい。大物だ。そしてこの世界を知り、結花ちゃんや神官長が作ってくれたご飯に惚れた。単純だ。
ちなみに、この『大福』という名は、我らが聖女様が命名された彼の名前である。どうやら大福の種族には、名前というものはなかったみたいなので、それならと彼女がつけたのだ。
『この子にたくさんの幸せが訪れて欲しいから』
大きな福が招かれてほしい。故に『大福』。わかるんだけど、すっごくわかるんだけど、それ食べ物です。白くて丸っこい彼の見た目が、余計にそっちを連想させる。ただ可愛らしく、「どうかな?」と小首をかしげる彼女にそんな野暮なことを俺は言わない。大福も納得しているようだし。心の中で、結花ちゃんのネーミングセンスはユニークである、とだけ神官長と一緒にメモをしておいた。
「それにしても、綺麗な花畑だな。さすがは、異世界って感じ」
「うん、神官長さんと幽霊のみんなが探してくれた場所だもんね。久しぶりに旅をしたみんなとのお出かけだから、遠出をした甲斐があったよ」
「確かに」
淡い光を放つ花や、カラフルな色彩を持つ花を、二人でゆったりと眺める。ここは土地全体が魔力を帯びた珍しい場所であるため、魔力を持つ珍しい植物が生えるのだ。もちろん危険な植物もあるが、オカンの手によって決まったピクニックである。行ってはいけない場所や注意事項、時間配分まで完璧に網羅した彼について行けば問題はないだろう。
今は自由時間で、みんな思い思いに過ごしている。聖女の仲間として有名になった彼らも、久々に羽を伸ばせる時間がもらえたからな。魔法使いさんは花を観察して、魔法薬の材料にできないか目を輝かせていた。狂犬さんと暗殺者さんは、『第百十八回オカンの右腕は自分だ』選手権をしている。お互い戦闘好きで、オカン大好きだから、旅の間もよくやっていた。神官長は久々の外だから、幽霊共に愛されていることだろう。
「世界を救った英雄になったのに、みんな全然変わらないな」
「そうだね。でも、みんならしいかなとも思う」
「むしろ、周りの神官長への扱いが変わっただけか」
「……そ、そうだねー」
いつの間にか、世界よりもオカンを中心に集まっていたからな。そりゃあ、周りは神官長のご機嫌伺いをするようになる。神官長が神官長のままなら、英雄になったってあの人たちも変わらないだろう。そう言うと、結花ちゃんは小さく噴き出していた。
「ふみゃぁーー」
「うおっ、大きな欠伸」
「遊び疲れちゃったのかな……、って寝ちゃった」
「……大福のこのマイペースさは、幽霊とタメを張れるな」
猫だから許せるけど。なるほど、これが可愛いは正義か。俺、賢くなった。
「結花ちゃん、重くない? 幽霊に頼んで神官長を呼んでこようか」
「うーん、大丈夫だよ。お花も綺麗だし、ここでのんびりしようかな。一真くんは?」
「それじゃあ、俺もここでのんびりするよ。いい?」
「うん、もちろん」
大福で動けない結花ちゃんを一人で置いて行くのは、守護霊としてまずいだろう。それに、こんな風にゆったりするのも悪くない。彼女は俺の返事に嬉しそうに声をあげると、大福を抱えながら草花の絨毯にゆっくり身体を倒した。おっ、気持ちよさそう。
俺も真似して身体を横にしたら、彼女と同じように空を見上げてみる。すると、地球と変わらない青く澄み渡った空が目に入った。時々浮遊霊が通りかかって、俺たちにニヨニヨ指をさすこと以外、とても平和である。不思議パワーで、吹っ飛ばしてやった。
この空だけを切り取って見ていると、俺は今地球にいるんじゃないかとすら思える。そんな考えに、俺は苦笑が漏れた。
「……この空を見ているとね、昔のことをいっぱい思い出すんだ」
「結花ちゃん?」
「ねぇ、一真くん。地球での私のこと、聞いてくれる?」
突然の告白に、俺は思わず彼女の横顔を見る。答えを待っている彼女に、俺は静かにうなずくことで応えた。
「……私が小学生の時、こんな風に綺麗な空の日にね。お父さんとお母さんとお出かけに行ったの。すっごく楽しみで、夜も眠れないぐらいドキドキしていたんだ。だけど、事故にあったの。私は隣にいたお母さんが抱きしめてくれたから助かったけど、二人は助からなかった」
あがりそうになった声は、言葉にならず消える。ただ空を見つめる結花ちゃんの瞳は、広がる空と同じように澄み切っていた。
「それから、遠くのおばあちゃんの家に引き取られたの。中学校を卒業して働くって言った私に、せめて高校はちゃんと行きなさい、って言ってくれたんだ。それで頑張って勉強をして、お金の援助が受けられる学校に合格したの。でも、家に帰ったらおばあちゃんが倒れていて、救急車を呼んだけど助からなかった。高校の制服も、見せてあげられなかった」
『向こうで自分を待ってくれるような人はいない』。彼女がこの世界に召喚された時、神官長にそう話していた。だから俺は、結花ちゃんの過去を聞くようなことはしなかった。
突然の両親の死。遠くのおばあちゃんの家に引き取られたのなら、今までの友達とも別れただろう。そして引き取ってくれたおばあちゃんのために、きっと必死に勉強して高校に受かったのだ。だけど、それを喜んでくれるはずの人はいなくなってしまった。
「おばあちゃんのお葬式のあと、親戚の人に名義だけもらったの。私はもう高校生になるから、一人で大丈夫って言って。向こうにも生活があるだろうし、お母さんたちが残してくれたお金もあるから」
「それじゃあ、一人暮らしをしていたの?」
「うん、それがお互いに一番安心したから。それに一人なら、もう何もなくさないで済む。……私に残ったのは、お金と高校に行くって約束しかなかった」
結花ちゃんにとって地球での日々は、辛い思い出に溢れていた。頼っていた人が、次々と自分の前から消えていく恐怖。愛する人を失う悲しみ。それに傷つくことが怖くて、一人ぼっちになろうとした。
「ずっと悩んでいたんだ。私は、何のためにここにいるんだろうって。私のいる意味ってなんだろうって。私は周りに、迷惑しかかけていないんじゃないかって。でも、そう思ってもやっぱり寂しくて。そんなことを、ずっと考えていた」
「そんなの……」
「小学生の時のお出かけは、私が行きたいって言ったから行くことになった。お母さんは、私を守ったから死んでしまった。おばあちゃんも、私を引き取ったから身体を悪くしてしまった。そして、……私を助けるために一真くんも」
「ッ、違う! それは結花ちゃんの所為じゃない!」
彼女の辛いことを吐きだせるのなら、俺は受け止めるつもりであった。これから彼女はこの世界で、今までの分の幸せを取り戻せるのだ。なら、彼女が過去を整理して、前に進むことができるのならと。
だけど、これだけは絶対に否定する。結花ちゃんの両親にも、おばあちゃんにも会ったことはないけど、きっと俺の気持ちと変わらない。俺は倒していた身体を起こし、とにかく口を開いた。
「俺が結花ちゃんを助けたいと思ったのは、俺自身の意思だ! 結花ちゃんのお父さんだって、きっと楽しいって思ったから出かけたんだ。お母さんだって、守りたいって思ったから結花ちゃんを守った。おばあちゃんだって、きっと……、だからっ!」
「うん、それを私に教えてくれたのが、一真くんと、アレンセルのみんななんだよ」
思わず迫った俺に、彼女も身体を起こし、柔らかな微笑みを浮かべた。それに俺は勢いで開けていた口を何度か開閉し、次に生まれる羞恥にガクッと項垂れた。聖女様、その流れはズルいです。
「あのね、一真くん。私、ずっと幸せになっちゃいけないんだって思い込んでいたの。私の所為でって、思い続けていたから。その気持ちは、正直なくなった訳じゃない。だけどそれに囚われ続けていたら、私を思ってくれたその人の気持ちも潰しちゃうんだって気づけたんだ」
召喚された時は短かった黒髪は、今は肩ほどまで伸びている。一年という歳月は、少女を少しずつ女性へと変えていた。守り続けていた女の子は、こんなにも強くなったんだと、その真っ直ぐな視線から感じてしまった。
「最初にこの世界に召喚された時は、あの世界から逃げられたことに安心した。そして、私の生きる意味を見つけたくて、聖女にしがみ付くことしかできなかった。そんな私を変えてくれたのは、みんなの思いと私のみんなへの思いだった」
「俺たちと結花ちゃんの?」
「一真くんが言ってくれたんだよ、『俺はただユイカちゃんに幸せになってもらいたい』って。最初はどうすればいいのかわからなかったけど、ずっと幸せについて考えていたら、だんだんわかるようになっていったの」
悲しい時には、悲しいことしか生まれない。そこに希望が宿ることで、初めて幸せや嬉しさは生まれるんだ。
「私に幸せを望んでくれたみんなに、笑っていて欲しい。私が好きになったこの世界が、幸せになって欲しい。聖女としてではなく、私として叶えてみせたいって思えたの。みんなで思い合うこの温かい気持ちが、私の幸せなんだって」
俺は、本当に大したことはしていない。だけど、彼女の中に小さな種を作れた。俺だけじゃきっと成しえなかったその蕾は、たくさんの結びつきによって、彼女の花を開かせたんだ。
「みんながいたから、私は勇気をもらえた。一真くんがいたから、大切なことに気づけた。みんなや一真くんに会えて本当によかった。だから、私は――――」
「――えっ? 結花ちゃん、今なんて」
「……ねぇ、一真くん。明日のお昼ごろに、話したいことがあるの。私が選んだ道を聞いてほしい」
結花ちゃんが選んだ道。俺が道を決めたように、彼女も自分の進む道を選べたんだ。そのことが、素直に嬉しかった。……彼女の話を聞けたら、俺もそろそろ覚悟を決めようかな。
「なむなむ…」
「あっ、大福ごめん。起こしちゃった?」
「なぁー」
気にするな、と言うように彼は一声鳴いた。どうやら俺たちとの会話の声で、もっと前に目を覚ましていたらしい。話が終わるまで、大人しく待っていてくれたのだろう。そして、しんみりしてしまっていた空気が、大福の存在で和らぐ。実に自分の使い方を知っている、空気の読める猫である。
「ん、ユイカいた。精霊も傍にいるか?」
「いるんじゃねぇのか。旦那が精霊……いや、幽霊か? そいつらから、『二人は現在ニヨニヨタイム中、だそうです』って言っていたからな」
「血文字の時から思っていたけど、幽霊って俗っぽいのね」
ガサガサと大福とは違い、大きな音を立てながら護衛三人組が現れた。そして、俺は後で幽霊共をしめることを心に誓う。あと、オカンもニヨニヨタイム言うな。
「みなさん、どうかされたんですか?」
「ユイカと精霊を呼びに来た。前から主、すごい設計図を作っていた。それを技術者に頼んだら、完成品ができた。故に、みんなで使うことが決定した」
「設計図? 何か物を作っていたのか」
料理や氷枕や栽培を手掛ける神官長が、今更設計図を作っても驚きはしないけど。そういえば、幽霊共が頻繁に彼に会いに来て、何かやっていたかもしれない。このお出かけの計画を練っているのかと思って、設計図までは気づかなかった。
俺と結花ちゃんは顔を見合わせると、お互いに疑問が表情に出ていた。見た方が早い、と狂犬さんを先頭に、五人で神官長の下に向かって進んだ。ちなみに神官長がいる位置は、幽霊の密集地帯を見つければいいので簡単である。
歩いている間、先ほどまでの勝敗に「あれは自分が勝った!」と言い合う二人を宥めたり、珍しい花に寄り道しそうになった魔法使いさんを「オカン」の一言で沈めたり、旅の間の笑い話で盛り上がった。
「あっ、みなさん。準備はできていますよ」
「準備って、神官長。それって、もしかして……」
「カメラ、ですか?」
「えぇ、ユイカ様の世界ではそのように呼ばれていると聞いています」
木でできた三脚に乗っている、不恰好だけどレンズのついたそれは地球でも馴染みの深い代物であった。それに驚く俺たちに、ドッキリが成功したことを嬉しそうに彼は笑っている。
このカメラ、もちろん地球の物ではない。使用用途は同じだが、異世界アレンセルの魔法や材料で作られたカラクリらしい。俺の地球での話を聞いて、興味をもったエンジニア思考の幽霊が、この一年をかけて設計図を作ったもの。それを神官長が図面に起こし、幽霊情報を下に護衛組の三人でこの世界の技術者を集めて完成させたのだ。
つまり、幽霊と神官長と護衛組で共同して作られたアレンセル初のカメラであった。暗殺者さんがこのカメラの試運転を兼ねて、この世界の色んなところを撮りまくったと自慢している。ユイカに後で全部あげる、と言うと結花ちゃんはなんだか泣きそうな顔で笑っていた。
「それにしても、すごい技術よね。私も魔法陣の作成に協力したけど、転写の応用が難しかったわ。失われた技術もいくつか組み込まれているし、世界中が欲しがるわね」
「旦那の持ち物を狙う馬鹿はいないだろう。量産もできない技術だらけで、真似もできないだろうしな」
「我が主の伝説が、また出来上がった!」
「あの、みなさん。私はこの設計図や技術を教えてもらっただけの立場なのですが…」
大丈夫だよ、神官長。幽霊共はオカンの役に立てるだけで、大歓喜するから。これから先も、幽霊と護衛のみんなのはっちゃけによって、彼の伝説が次々と打ち立てられていくのだろう。そんな未来が、ありありと思い浮かぶ。俺がいなくなっても、幽霊と護衛組が彼を生涯かけて守るだろうし。
彼らはそんな風に、自由奔放に我が道をこれからも行くことだろう。
「それでは、いきますよ皆さん。十秒後にシャッターがきられますからね」
「わかった。ユイカ、精霊。ここに並ぶ」
「えっ、俺も?」
「ふふっ、もちろん」
「にゃぁー」
困惑する俺に、結花ちゃんはクスッと笑って俺を呼んだ。早くして、と見えないはずの大福も俺を急かす様に鳴く。それにたじたじになりながらも、俺は彼女の隣に立つ。その後ろに、いそいそと三人が並んだ。こうして一緒にいると、あの半年の旅が甦ってくるようだった。
「あの旅で、一緒に頑張ったみんなで写るそうね。確かカメラには、見えないものを写す力があるそうじゃない」
「えっ、賢者さん。……に、騎士団長さんと賢王さんとさらに背後霊七ケタ集団」
おいおいおい、待てお前ら。何当たり前の顔で写りに来ているんだ。絶対に入らないというか、そこ写る場所で喧嘩をするな! 俺らより目立つ場所に立つな! スポーツ対決をしようとするな! オカンの頬が、めっちゃ引き攣っているじゃないかっ!
「……もういきます」
「待って、オカン! 諦めないで! この感動的な一枚に、明らかに余計なものが写りまくっている!」
「ユイカ様の顔を見切らせないようにして下さいね、みなさん」
「神官長が注意するところって、結局そこなのっ!?」
あっーー! シャッターのスイッチを押したァッーー!! もうなんか悟りまくった菩薩スマイルで、神官長が結花ちゃんの隣に並ぶ。カメラから鳴る駆動音に、もう俺も自棄になって笑ってやった。
「いいかぁー、お前ら。カメラを撮る時は、『はい、オカン!』って言うんだぞぉー」
「そこは地球では、『はい、チーズ!』で撮るんだよォッ!」
「はっ? なんでチーズ」
「もう知るかァッーー!!」
結局、騎士団長さんの声掛けにより、七ケタのオカンハーモニーが花畑の中心に響き渡った。オカンじゃ、口を閉じちゃうだろうがっ! と撮った後にツッコんだが、効果のほどはあまり見られなかった。賢王さんだけが俺の説明に、「画期的だ」と一言くれた。聞いてくれて嬉しいけど、あなたも微妙にズレているよね!
それからみんなで交代して、カメラを回していく。一人で撮ったり、二人や三人で撮ったり、と特に女性組が盛り上がっていた。時々入り込もうとする幽霊共を俺がしめたり、神官長が幽霊に潰されたりしながら、こうしてみんなで集まれる最後の時間を楽しんだ。
ちなみに出来上がった集合写真には、ぼんやりとした大量の顔が浮かぶ素敵すぎる心霊写真になった、とだけお伝えしておこう。
******
「えーと、結花ちゃんとの待ち合わせ場所はここだったかな」
昨日のピクニックで大騒ぎをしたが、幽霊だから身体に疲れが残らないのは素直に助かった。精神的疲労は多大だが。俺は昨日約束した通り、彼女の話を聞くために、指定された場所へやってきていた。
彼女が選んだ道を聞けたら、俺ももうこことお別れかな。幽霊のみんなには、それとなく俺の思いを伝えておいた。神官長にも、俺が消えた後のことを伝えておいたから、心配することは何もないだろう。
一つひとつチェックしていた俺は、近づいてくる生者の気配に思考を止めた。慣れ親しんだ柔らかい白い光を纏う彼女の存在は、多少離れていてもすぐに気づく。俺は結花ちゃんの気配が感じられる方へ、視線を向けた。
「おまたせ、一真くん」
「……結花ちゃん?」
「うん、どうかな。神官長さんが合わせてくれたんだけど、一年ぶりに着るから。違和感とかない?」
「そりゃあ、よく似合うけど…」
いや、それよりも先に聞くことがあるだろう俺。彼女が来るとわかっていたのに、一瞬誰だかわからなくて混乱してしまった。思わず何度も目を瞬かせ、結花ちゃんの全身を見ていた。
肩ほどにまで伸びていた黒髪は、この世界に召喚された時よりも少し長いが、綺麗に短く切りそろえられている。いつものローブやワンピース姿ではなく、一年前に彼女を初めて見た時と同じ制服を身に着け、スクールバッグを肩にかけていた。腕に大福を抱えていることと、身長が少し伸びたこと以外は、あの当時の彼女とそっくりであった。
「なんで……」
「説明するよ。歩きながらでもいい?」
そう言って、結花ちゃんは俺の横をすり抜け、先に進みだした。それに俺は、慌ててついて行く。彼女の足取りに迷いはなく、おそらく明確な目的地があるのだろう。神殿の奥の奥、普段生活をしていたら絶対に来ることがないような場所を、結花ちゃんはどんどん進んでいった。
俺でもあんまり来たことがない場所だ。だけど、この通路に見覚えがある。この先に何があったかを思い出そうとしていると、隣にいた結花ちゃんが口を開いた。
「……実はね、大福を浄化して、ここに帰ってきた時に夢の中でお話をしたの。この世界の女神様と」
「えっ、女神様って。結花ちゃんを聖女として召喚した神様?」
「うん。私が厄を浄化できたことにお礼を言ってくれたの。そして、私に女神の加護を授けるために現れたんだって。その時に色々お話をしたんだ。私のことや、旅のことや、一真くんのことも」
聖女とは、女神によって厄を浄化するために加護を与えられた存在だ。神の力を持つ彼女が、それを与えた者と会話ができても不思議ではないだろう。
「それで、その時に言ったの。女神の加護の力で、一真くんを生き返らせることはできませんかって」
次に結花ちゃんが告げた言葉に、俺の喉が小さく鳴った。
「だけどね、出来ないって言われちゃった。死者を蘇らせるのは、禁忌だからって。そして何より、一真くんの身体は地球にある。女神様が関与できるのは、この世界の時空の狭間と、私を召喚する時に繋げた召喚陣だけだからって」
「そ、そっか。うん、じゃあ仕方がないよ」
「でも、その時の会話で気づいたの。私にできることを。私が望む未来を作り出せる可能性を。女神様にそのことを聞いたら驚かれたけど、できないことはないって」
結花ちゃんは、何の話をしている。俺を生き返えらせることはできないって、そう女神様に言われたんだよな。しかも俺の身体は向こうにあるから、女神様が関与することもできないって。
まとまらない思考の中、俺が彼女にこのままついて行くことに警鐘が響く。そんな後ずさりしそうになった身体へ、まるで大福が咎めるように鳴いた。結花ちゃんも俺の様子に気づき、ジッと目を合わせてくる。逃げないで、そう訴える様に。
「……私が召喚された時の状況と、一真くんが死んでしまった時の状況。それを思い出した時、一つだけ方法があることがわかったの。神官長さんやみんなにも相談して、そして女神様へ聖女の報酬の代わりにお手伝いをしてくれるようにもお願いしたんだ」
神官長たちは、彼女の行動を知っている。そのことにも、衝撃を受けた。昨日の皆の様子は、いつも通りだった。そしてオカンにいつも張り付いている幽霊共が、結花ちゃんたちの行動に気づかない訳がない。
つまり、俺だけに知らされていないことがあった。女神様にもお願いするような大事を、俺だけに。あのおしゃべりな幽霊たちまで、協力をして。
「待ってくれ、結花ちゃん。俺に内緒で、君は、みんなは何をする気なんだ!?」
「怒りたいのは、私の方だよ。勝手に消えようとするなんて、私にだけ知らせないだなんて。それが私の幸せだなんて、……勝手に決めつけないでよ」
彼女から漂う静かな怒気に、俺の口元が引きつった。普段優しい人ほど、怒らせたら怖い。俺が異世界に来て、一番に学んだことである。
「昨日言ったよね。一真くんの言葉が、私を変えてくれたって。一真くんが私の幸せを願ってくれたから、私は幸せになれた。だったら私だって、ただ一真くんが幸せになって欲しい、って願ってもいいはずだからっ」
気づけば、俺たちの前には固く閉ざされた扉があった。この扉を見て、俺はようやく今まで通ってきた道に見覚えがあった理由に気づく。ここは俺と結花ちゃんが、この世界に召喚された部屋だ。
そして彼女は、閉じられていた扉に手をかけて勢いよく開け放った。そこから俺の目に映ったのは、あの時と変わらない白い柱が何本も並んだ広い大部屋。次にその白さに負けない純白の光を放つ、巨大な魔法陣であった。この魔法陣にどんな意味があるのか、俺は知っていた。
「ユイカ様、準備はすでに整っております」
「……神官長、みんな?」
「すみません、カズマさん。貴方との約束を破りました。私はユイカ様の願いを叶えたい。何より、カズマさんの思いは受け取れても、やはり納得ができませんでしたから」
「そして俺たち幽霊組は、オカンの味方ってな」
俺に視線を向けた神官長が、謝罪を口にしながら、さらに魔法陣に力を注いでいく。その隣で全く悪びれた様子のない、この神殿でお世話になった幽霊たちが、ニヤニヤと笑っていた。
扉の前で止まっていた俺は、後ろから突如衝撃を受け、つんのめる様に魔法陣の中へ入ってしまう。慌てて後ろを振り向くと、旅で出会った魔族や獣人やエルフなどの幽霊たちが、扉の外から手を振っていた。そして、護衛組が入り口の扉をゆっくりと閉めてしまった。
「神官長さん、よろしくお願いします。そして、本当に、本当にありがとうございました」
「……私こそ、色々至らぬこともあったでしょう。私たちは、貴女を召喚してよかった。あなたたちに出会えたことが、私にとって何よりの感謝です」
「はい、私もあなたに、そしてみんなに出会えてよかった。神官長さんは、私にとって第二のお母さんのような人でした」
「……あの、私は一応男。いえ、もう母でいいです」
「我が主が、ユイカの母に…。つまり、聖女の母だから聖母になったということなのか……」
「すみません、これ以上私の二つ名を勝手に作らないでください」
神官長と暗殺者さんとのやり取りに、結花ちゃんはおかしそうに笑っていた。笑いながら、涙が目に滲んでいた。ここまでくれば、彼女が何をしようとしているのか、薄々気づいてくる。だけど、どうして結花ちゃんが、元の世界に帰ろうとしているのかがわからなかった。
結花ちゃんはこれからこの世界で、幸せに暮らすはずだろう。神官長やみんなに囲まれて、女神様に祝福される予定だっただろう。異世界に召喚されて、期待を背負って、必死に頑張ってきたじゃないか。なんで悲しい思い出があるはずの地球に、彼女は帰ろうとしているんだ。
「ユイカ、これ昨日撮った写真。我も、ユイカの写真を大切にする」
「女の子なんだから、おしゃれを楽しみなさいね。私のアクセサリーも、入れておいてあげたから」
「あんまり頑張りすぎず、元気にしろよ」
「はい、ありがとうございます。……大福が私についてきてくれるって言ってくれたから、大丈夫です。私はもう、一人じゃないから」
「うにゃぁー」
みんな、わかっていたんだ。結花ちゃんが、元の世界へ帰ることを。そして、それに納得もしている。神官長が一年前に言っていた。一度召喚された人間は、もう二度と召喚することができない。その意味を、彼らはちゃんと理解している。
彼女の腕の中で大人しくしていた大福も、彼らに応える様に頷く。おいしいものをいっぱい食べてきなさいね、とみんなにぐりぐりとその頭を撫でられていた。そして、結花ちゃんの腕から降り、魔法陣の中で寄り添うように傍に座り込んだ。
「……時間です。それではユイカ様、この召喚陣で貴女とカズマさんを元の世界へお返しします。時間軸は、貴女が召喚された直後に。場所もその当時のところへ。女神様の助力で、持ち物は今と変わりませんが、肉体は一年前に戻す。この設定条件で、よろしかったですね」
「はい、お願いします」
「……待って。召喚直後って、何を考えているんだ!? そんなことをしたら、結花ちゃんがトラックにッ!」
「大丈夫だよ、女神様が召喚陣に力を加えて下さるから。陣の中に結界を張って、守ってくれるって。だから、その召喚陣の中は安全だよ」
「だったら、何も召喚直後じゃなくても、もっと安全な時間や場所に――」
「……あの時間と場所じゃなきゃ、できないことがあるから」
結花ちゃんが、召喚直後にこだわる訳はなんだ。だって、彼女はトラックに轢かれそうになっていた。そこに俺が走って行って、そして目の前で彼女が消えた。その後に、俺はトラックに轢かれて――
「――あっ」
気づいた。気づいてしまった。彼女が何をしようとしているのかを。彼女がどうして元の世界に帰る選択をしたのかを。だけど、それは……。
「ごめんね、一真くん。言ったら、きっと駄目だって言いそうだったから言えなかった。……女神様は死者を蘇生させることはできないけど、魂を肉体に戻すことならできるって言ってくれた。それなら、あの時。私が召喚された直後なら、一真くんはまだ――」
結花ちゃんの凛とした決意を込めた声と同時に、足元に広がっていた白い魔法陣が強い光を放つ。俺の声は掻き消え、目に映るすべてが白に埋め尽くされた。
「――お二人の幸せを、私たちは願っています」
そして、神官長とみんなの別れの声を最後に、俺の意識は途切れた。
******
「――……えっ?」
ここは、どこだ。俺は何をしている。確か、女の子がトラックに轢かれそうになっていて、それで飛び出して――違う。結花ちゃんを。送還されて。あれ、なんで俺はその子の名前を。送還ってなんだ。
ブオォー! と鳴るクラクションの音に、俺の思考が途切れる。嫌だ、またあの痛みを――。いや、俺はまだトラックに轢かれていない。デジャビュのような映像が、頭を割る様な痛みへと変え、記憶が混乱する。それでも明確な死が、もう俺に迫っていることはわかっていた。
「――一真くんッ!!」
まるであの時と真逆だ、とその声を聞いて思った。あの時は俺が彼女を助けようとして、必死な声をあげて身体を張った。だけど俺が伸ばした手は、何も届かなかった。けれど今は、そこに彼女がいた。
白い魔法陣が彼女の足元に展開されている。その魔法陣の中にいれば安全だ、と何故か根拠のない自信が俺にはあった。だけど彼女はそこから出て、俺の伸ばした手を――力強く掴んだ。
「うにゃぁーー!!」
続いて、真っ白い雪のような猫が、その俊敏さを発揮し、俺と彼女の後ろへと移動する。そして、自分もろとも俺に全力で捨て身タックルをした。手から感じるじんわりとした人の温もりと、腰にダイレクトに響くダメージに、俺はよくわからないが二重の意味で涙が出た。
そして、全員で白い魔法陣の中へ倒れ込むと、また強い光が俺たちを包み込んだ。とにかく俺は、腕の中の二つの温もりを全力で抱きしめる。鳴り響くブレーキ音と、優しく頬を撫でる温かい風が全身に感じられた。
また薄れそうになる意識を前に俺の目が映したのは、どこまでも澄み渡る様な綺麗な青空だった。