8話 バラが咲いた
康平の様子がおかしい。
私が精一杯の努力で(間違った努力だったと今は思っている)「応援するよ」と言った朝、 猛ダッシュで学校にたどり着いた私は、荒い呼吸を整えるため、教室で机に突っ伏してぐったりしていた。ちなみに、いつもは15分ほどかかる道のりを、10分弱でたどり着いた。やるじゃん、私。
次に康平の顔を見て、泣かないようにしなくちゃ、と気合を入れ直していたけど、いくら待っても康平が来ない。いくら私に置いてけぼりをくらったからって、康平の長い足なら、そろそろ教室に入ってきてもいい頃なのに…。
結局、康平が現れたのはHRが始まる直前、しかも私以上に荒い息をして駆け込んできた。あれからどこかで寄り道でもしたのかな?何か顔が青いけど…具合でも悪いのかな?
お昼休みに、美樹ちゃんスマイルで見事な復活を果たした私は、燃え盛る炎を心に抱いたまま帰宅した。もう大丈夫。康平!ドンと来い!!
わざわざ、康平に「応援するのは、やっぱり止めます。」と告げるつもりはないけれど、バレンタインまで、できるだけ楽しい時間を一緒に過ごしていたかった。
その日、決算前で仕事が立て込んでいるらしい沢村のおばさんから、夕方我が家に「申し訳ないけど、また康平をお願いしてもいいかしら?本当に、ごめんなさいね。」と電話があった。
お、ちょうどいい。さっそく康平を呼びに行こう。レッツ、エンジョイタイム!
康平が昨日リクエストしてた煮込みハンバーグにしよっかな~。と思った私は、冷凍庫に私が作ったハンバーグの作り置きがあるのを確認してから康平の家に向かった。
チャイムを鳴らすと、聞き覚えの無い、しゃがれた声がインターホンに出た。
「……どちらさまですか……」
その声を聞いてギョッとした!誰?これ?康平のおじいちゃんでも来てんの?
私はおずおずと名乗った。
「…あの、隣に住む西崎ですけど、康平君は帰ってきてますか?」
「奈恵!?」
「うん。…って、え?康平?康平なの?」
びっくりした~!てっきりおじいちゃんかと…でも、康平のこの声、どうしたんだろう?
「康平、具合でも悪いの?声ひどいよ?」
そういえば、朝も青い顔してたっけ!もしかして、急に具合が悪くて遅刻しそうになったのかな?息を切らしていたのも走ってきたせいじゃなかったのかも!
置いてけぼりになんてしなきゃ良かった…こうなったら、責任を持って、康平を我が家で看病しなくちゃ!
「いや、大したことないから…大丈夫…。」
いえいえ。全然大丈夫そうじゃないですよ。
「康平、ちゃんと食べて、温かくしてなきゃだめだよ!おばさんからメールきたでしょ?今日もうちでご飯だよ。煮込みハンバーグだから、一緒に行こう。」
康平から返事がない。やだ、倒れたりしてないでしょうね!
「今日は遠慮しとく。父さんからも連絡があって、今日は早く帰れるって。」
あ、無事だった。そっか、おじさんが帰ってくるなら大丈夫かな?
「じゃあ、それまでにもっと具合が悪くなったら、うちに連絡してね。」
「…分かった。じゃあな。」
インターホンがブツっと切れた。顔を見れなかったのが心配だけど、ドアを開けると寒いだろうから仕方がない。名残惜しかったけど、私は沢村家を後にした。
次の日の朝。
具合はどうか心配だった私は、朝、康平の家に寄ってみた。すると、出勤するおばさんがちょうどドアに鍵を掛けているところに出くわした。
「おばさん、おはよう。康平は?もう学校行った?」
「あら、おはよう、奈恵ちゃん。康平ならけっこう前に出たわよ。」
沢村のおばさんは、朝から美人だ。康平は、顔はおばさん似、性格はおじさん似だと思う。纏っている空気というか、オーラというか…おばさんの方は、キリっと涼しげな感じ。おじさんや康平はキラっとさわやかな感じ。
「昨日、康平具合が悪かったみたいだから気になってたんだけど…大丈夫そうでした?」
「う~ん、私が帰ったら珍しく早く寝てたけど、具合悪かったのかなぁ?
言われてみれば、朝ごはんもあんまり食べてなかったかも。
でも、朝早く行くって事はバスケでしょ?バスケできるなら大丈夫よ。」
そっか。言われてみればそうかも。きっと、治ったんだね。良かった。
「そういえば、おばさんって、今日も遅くなりそう?」
「うん、今、決算近くて大変なのよ。ごめんね、たぶん今日も康平おじゃまさせてもらうわ。
真奈美さんに伝えといてもらえる?」
真奈美さんは、うちの母。年齢が近いこともあり、親同士も本当に仲が良い。
「よかった!今日、節分でしょ?また康平と一緒に恵方巻き食べたかったんだー。」
昨日、煮込みハンバーグを食べてもらえなかったのは残念だけど、おかげで昨日のうちに恵方巻きに使う椎茸やかんぴょうを下ごしらえすることができた。今日は、帰ったら玉子を焼いて、ノーマルな太巻き、サラダ巻き、鉄火巻き、かっぱ巻き、納豆巻きと、バリエーションにとんだ巻き寿司をお母さんと一緒に作るんだ。
「奈恵ちゃんちの巻き寿司、絶品だもんね~。」
いいなぁ…と呟くおばさんに、「もちろん、おじさんとおばさんの分は、康平に持たせるから。」と約束して、私も学校へ向かった。
教室に着くと、確かに康平はいた。でも…あれ…ほんとに大丈夫なの?えらく青い顔してるけど?
せっかくの“キラっとオーラ”もなんだか今朝はどんよりと暗い気が……
たぶん、私が来たことにも気づいてないみたい。私は、まだ来ていない木下の席に行くと、イスを後ろ向きにして、康平の前に座った。
「おはよ、康平、調子どう?」
声を掛けると、康平のこめかみ辺りがピクっと動いた気がした。
「…ああ、おはよう、奈恵。」
体調に関しては応えず、すぐに俯く康平。う~ん…覇気がない。笑顔もない。これはかなり重症だ。
「康平。昨日から一体どうしたの?何かあったの?」
康平の顔を覗き込みながら優しく聞いてみる。すると、康平は一瞬顔を上げたが、すぐに視線を外してしまう。こんな康平初めてだ。え?私?私が何かしたの?
あ!あれか?昨日の置いてけぼり!!もしかして、根に持ってる?
そうかそうか、一応(適当な)理由を述べたとはいえ、急に走り去られたらびっくりするよね。私が好きな子の件を知らされてなくて、本当は怒ってると勘違いしたのかもしれない。
昔っから、康平は私が怒るとひどくオロオロしてたっけ。悪いことしたな。謝っとこ。
「康平、昨日はごめんね。」
「え?」
極力しおらしい声で言ってみる。康平が私に向き直ってくれた。やっぱり!ビンゴだ!
「あんな態度、とるつもりなかったんだけど…」
限界だったんです、と言う訳にも行かず、言葉を区切った私の目の前で、康平の後ろにバラが咲いていくのが見えた。何これ?新しい技!?
「…こ…康平?」
別の意味で「大丈夫?」と聞きかけた私に、康平は満面の笑みを浮かべた。
「いや!いいんだ!全然気にしてないから!!そうだよな、ビックリして心にもないこと言っちゃうことってあるよな。」
…何だか、ビミョーにずれてない?
「康平…」
訂正しようとしたけど、「そうか。仕方ない仕方ない。」とご機嫌よく繰り返している康平に何も告げることができずにいる内に、担任が入ってきたので、やむを得ず席に戻った。あ、木下、座れないで立ってた。ごめん。
その日、我が家にバラを背負ったままやって来た康平は、鬼の役を買って出るほどテンションが高かった。いつもならジャンケンで決めるのに。
心配になった私は、せめて、バラを退治しようと、躍起になって豆をぶつけた…。
その後、恵方巻きを皆で食べた。
恵方巻きの最初の1本目は、習わし通り、今年の恵方である北北西を向いて、願を掛けながら目を瞑り、無言で食べた。私の願いは「康平に、ちゃんと想いを伝えられますように」だ。本来なら受験合格を願うべきだろうけど、この想いを何とかしない限り、勉強に身が入るわけがない。
我が家のダイニングテーブルの向きの都合で、南側に座る私は、若干左斜め前を向いて食べた。向かいの北側の席に座る康平は、私に背を向ける形で、やはり黙々と食べていた。康平は、何を願ったんだろう?何にしても、叶うといいね…。
恵方巻きを大量に平らげた康平は、「今年もすっげえうまかった!ごちそうさまでした。」と言って帰っていった。…豆ではバラを散らすことはできなかったようだ…。
それからも、バラこそ咲かせるのは止めたようだが、康平のテンションは何だか高かった。オーラもキラッとどころか“キラキラキラ”という感じでまぶしいくらいだ。
多少の心配は残るものの、私と康平は、楽しい時間を過ごせていた。
いよいよ、明日はバレンタインだ!
今回、恵方巻きに関する記述がありましたが、これは、我が家で行っている食べ方です。地方によって、違う習わしもあるかとは存じますが、多少の違いには目を瞑っていただけると幸いです。