第一話 両者は互いの存在を知る
「そろそろ、時間です」
門番の声に、ライアはゆっくりとまぶたを開いた。長い間、目を開いてなかったので、薄暗い控え室の中に、扉から零れる光が目に痛い。
ふと気付くと、門番がライアの顔をのぞき込んだ。舌打ちしたい気持ちを抑え、ライアは乾いた唇を開いた。
「あと五分……」
断じて寝ていたわけではなく、精神を集中させるためである。そこのところがよく分かっていない様子の門番は、渋い顔でライアを睨んだ。といっても、門番はどうみても大きすぎの兜をかぶり、体中を今日のために磨いたと思われるピッカピカの鎧で覆っていた。イベントに惑わされる愚かな奴だ。というのはライアの辛口評価である。
常人には分かるはずのない気配だが、ライアには、気配で睨まれているのが分かった。だとしても痛くもかゆくもない。この世界に、ライアを怖じけさせられる者はいない。
「あのですね。決勝戦なのですよ? 遅刻なんてできるわけないでしょう?」
渋い顔で諭した(ような気配を感じる)門番は、手に持っている槍で、コツコツと扉を叩きながら言った。若干苛立っているようにも見えるが、ライアはそれをまるっきり無視することにした。
「あなたって、本当にファイナリストなんですか?」
そう言って門番はライアの全身をなめ回すようにじっくりと眺めた。遠慮の欠片もない眺め方だ。幾ら相手に見えていないからと言っても、その見方はないだろう。仮にも女だ。
声の調子から、年齢はまだ二十歳前後なのではないか、と推測する。まだ短命の種族とは会っていないので、その見立てが正しいかどうかは分からない。もしエルフだったとしても、年齢を当てられるかどうかは微妙な所だ。
「……そうだが?」
仕返しの意味も込めて、少しの殺気も唇の端に込めて笑ってみせると、門番はがしゃこん、と音を立てて二歩ほど後ろに下がった。門番の顔が、恐怖に歪んでいるような気配がする。
(全く、この程度で怖がるなんて)
近頃の兵士は、ライアから言わせれば腰抜けだ。
「どうかしたか?」
内心の笑いをこらえて、首をかしげて尋ねると、門番はまた、がしゃがしゃと喧しい音を立て、首を横に振った。大きすぎの兜が今にも脱げそうである。脱げたら脱げたで、また笑える展開になりそうだなぁ、何てのんきに考えていると、陰気な声が聞こえた。
「だ、断じて怖がってなどいませんから。ええ、そうですとも。僕はここの門番を任せられているのですからね」
自分に言い聞かせるようにしてぶつぶつ言っている門番。独り言のつもりだろうが、ライアには全て聞こえているのだ。
「あのさ。……決勝戦の相手はどいつだ?」
話を変えるつもりでライアが問うと、門番は目をまん丸にして驚愕の顔をした(ような気配がする)。
「知らないんですか!? 相手は武の国の傑物と歌われているアキレウスですよ!? 地方の領主をしているのですが、民からの支持も篤く、自身も先頭に立って怪物と戦うとか。はっきり言いますが、あなたが勝つ見込みはないとみんなが噂してますから!」
先ほどの腹いせか、棘のある口調になった門番。こんなに性格が幼稚な奴は、ライアの住んでいた村には誰もいなかった。ライアの生まれ育った村では、皆が皆、相手の事を思いやって生活していた。やられてやり返すなんて、あんたの精神年齢、六歳児並みだぞ。何て言葉が口から飛び出しそうになったのを慌ててこらえる。
「こういうことは、自分で自覚するのが一番だ」
大きく頷きながらライアが言うと、門番は変な顔をした(ような気配がする)。
「あなたも、自分が勝てると思ってないんですか?」
「お前の為を思って言っているんだ。今のうちに気付いた方があとの人生で役立つぞ」
尋ねられたライアは、今度は門番の肩を叩いてやった。それだけ言ってもまだ気付かないとは。ライアの心に哀れみの感情が芽生えた。
「あの?」
「お前のような門番、初めて見たぞ。こんな幼いやつに大事な門を護らせるなんて、ここの王はどんな教育をしているんだ」
「え? あ、あの? さっきからの話が読めないんですけど? それに、僕、五十四歳ですが……?」
門番の衝撃告白に、ライアは度肝を抜かれた。はっきり言って、今までの人生の中で一番驚いた出来事だったかもしれない。この人生、百五十年ほどの中では間違いなく一番のビックニュースだ。
先ほどの門番のように、後ろに二、三歩よろめいた。どうしたことか、目の前が回る。
「あ、そ、そうなのか。大丈夫だ、まだ人生これからだぞ。早く自覚することだな」
慰めの意味も込めて門番の肩をぽんぽん、いや、がしゃがしゃと叩くと、門番が悲壮な声でわめいた。
「いった!! 何て力で叩いてるんですか!?」
「あ、すまんすまん。それが、お前の将来への、期待の重さだ」
頭中にハテナマークを浮かべているだろう門番に、ライアは笑ってみせた。
(う……。めまいが収まらない)
ライアは空元気で門番に向かって最高の笑みをみせた。ここ五十年間、みせたことがないほどの最高のスマイルだと、自分では思う。ビックニュースをくれた門番にささやかな感謝の笑みだ。
「今日からお前は一つ、自慢できることがあるぞ」
「は、はぁ」
いまいち気のないような門番。というより、どこか疲れ果てているようにも見える。五十代の癖に、体力も六歳児並みなのだろう。
「この私に出会ったことだ。高山の女王。ライア・ディセントラ・ペレリアにな!」
そうして、ライアは扉を開けた。門番が、まだですよ!なんて叫んでいるが、そんなことどうでも良い。自分の好きな時に好きなことをして何がおかしい。
「さあ、試合の始まりだ!」
ライアは叫び、剣を抜こうとしたが、突然のめまいに襲われ、その場に無様に倒れ込んだ。
「勝者。鳥翼族、ライア」
審判の声に、未だ信じられない会場は大きくどよめいた。それもそうである。会場に出たときにあんな無様な格好をしてみせた女が、優勝者だなんて。皆の、そんなつぶやきが集まって、会場は大きなどよめきで溢れていた。
当のライアはというと、伸びているアキレウスのすぐ横を、剣をしまいながら颯爽と歩き去っていった。
歩き去るライアを、じっと見つめていたのは武の国の姫、マールルだった。高い日差しからから逃れるために部下に作らせたテントの中でうふふ、と赤い唇をつり上げて笑った。
緩くウェーブのかかった髪は輝く銀色で、耳もとでツインテールに結い上げられている。そして同じ色の耳はつやつやと光っており、手入れの良さを存分に物語っていた。大きな琥珀色の瞳は綺麗につり上がり、形の良い唇は赤く艶き、何やら怪しげな魅力をむんむんと放っていた。十六歳だとは思えない色香に、これまで何人の男がだまされてきたか。
彼女こそ、この武の国の姫、マールルである。何もしていないのにも関わらず、彼女からは耐えきれないほどの威圧感がにじみ出ていた。
「決めましたわ」
何を、と部下が尋ねる前に、マールルは立ち上がった。
「わたくし、あの方に決闘を申し込みます」
凜としたソプラノの声が辺りに響き渡った。姫様、と止める声は一つも出なかった。誰も、その姿に異論を唱えることができなかった。皆が固まっている間に、マールルはまた、声を張り上げる。
「そうと決めたら、早速準備です。皆の者、急ぎなさい! あの者と戦ったときにわたくしが映えるような服を仕立てるのです!!」
さぁ、早く、とせかしたマールルに、部下たちははっとして動き出した。嵐のような忙しさに、部下たちは襲われる。マールルは、手抜きを一切許さないのだ。やるからには極上品でなければいけない。
マールルはそれを眺めながら、頭の中では違うことを思案していた。それは、どうしたらあのライアとかいう女に勝つことができるか、だ。きっと一筋縄ではいかない。
「姫様、城へ戻りましょう。ここはこれから暑くなりますゆえ」
何も言わないマールルに、世話役として残された侍女の中の代表が、おずおずと切り出した。
「心遣いには感謝いたしますが、わたくしはまだここに残っています」
「ですが姫様……!」
「わたくしが決めたことは絶対です。いいですね?」
とたんに厳しい口調になったマールルは、侍女を見つめて、にっこりと微笑んだ。それは聖母のような笑みにも、般若のような笑みにも見えた。震えあがった侍女が頷くと、マールルは侍女から目を離し、ライアが去った方向を見つめた。
「優勝したからって、調子に乗ってるんじゃなくてよ?」
殺気とともに吐き出された言葉に、侍女たちは青ざめた顔で震え上がった。