プロローグ 女は知る
これは、企画『五神の国』の小説です。
読む前に、ユーザページのリンク先のホームページにある【世界観】を 拝見いただくと、より話が分かってきます。
ぜひ一読下さい。
「悪夢だ……」
ライアは呆然とつぶやいた。氷のような、薄い空色の瞳に映る景色を信じられずに、目を瞬く。間もなくして、それが紛れもない現実だということを悟り、意識が飛びそうになったが、そこは意地でこらえた。こんな所で意識を失うなど、自分の流儀に反する。
「あり得ない……」
今度は無意識に、唇から溺れ落ちた言葉は、誰の耳に届くこともなく、一瞬で人々のざわめきに掻き消されていった。
ここは武の国の王都、グラシャル。故郷の家から、何日も何日もかけて歩いてきたライアの目に映ったのは、今までに見たこともない、溢れんばかりの人と、『武闘会へようこそ』のふざけた垂れ幕だった。一瞬それをはぎ取ってズタズタに破いてしまいたい衝動に駆られたが、さすがにそれは遠慮しておいた。
何と言っても、この『武闘会』は、知らない者がいないと言われるほどに大きい大会なのだ。その証拠に、噂に疎いライアでも、武闘会くらいは知っている。もしも、この武闘会で、そんなことをやらかしてしまったら、一生その汚名が消えることはないだろう。この国だけではなく、どこの国に行っても後ろ指を指されることになる。それを危惧してのことだ。基本、静かに暮らしていたいライアにとっては、まさに命取りである。
武闘会はというと、武の国きっての一大イベントで、一対一の勝ち抜き形式の試合を行い、最後まで残った者に褒美が与えられる、というものだったはずだ。あいにく、ライアはそれ以上の知識を持ち合わせてはいない。
これがいつものライアだったら、死んでも参加しないイベントだが、今回ばかりは、参加せずにはいられない理由がある。面倒極まりないが、今回ばかりはしょうがないと、ちょうど今、腹を決めた。
垂れ幕をきっとにらみつけ、そして壊れたように笑う。人々は自分のことに夢中で、ライアのことなど気にも留めない。ライアは、そのまま気が済むまで笑い続けた。
何もかもがくだらない。そして、……何もかもが素晴らしい。
「これがあいつの出した条件なら、それを私が突破するだけだ。……覚悟しろ」
いつものふてぶてしい笑みが戻ったライアはそう勝手に宣言して、人混みへ向かって歩き出した。その胸に宿るのは自分に対する絶対の自信。そして、その腰に帯びるのは、『禁忌』とされる秘術。
――人々が遠い昔に忘れさった『恐怖』、そのものだった。
男は、瞳と同じ、薄い水色のポニーテールが完全に見えなくなるまで、近くの屋根の上から、ライアを見つめていた。武闘会ということで、武の国中から人々が集まっているが、未だ男に気付いた者は誰もいいない。そのことを面白がっているのか、口元には淡い微笑が浮かんでいる。
その瞳も長い髪も、薄い茶色。目つきは鋭く、普通にしていても、睨まれているのか勘違いされそうだ。サラサラと日に当たって煌めく|《 きらめく》髪は、前髪に少しかかっている。漆黒のローブからは瞳や髪と同じ色の、翼が生えていた。未だに人々が驚く、鳥人である。
その肩には、男と同じ、薄い茶色の毛並みの鷹が、おとなしくとまっていた。男は、外見からして、まだ20代前半といったところか。しかし、男のオーラは凍てつく吹雪のように冷たく、まだ若さが残る顔とのアンバランスさが奇妙だった。
「覚悟しろ……ねぇ。そんなに甘くないぜぇ、この世界は」
男は唇の端だけつり上げて笑うと、そうつぶやいた。目線の先にいるはずのライアは、もういない。それでも男はライアが去った場所を見つめ続けていた。
「俺も、何であんな小娘に振り回されてるんだか。なぁ」
話しかけられた鷹は、ピィ、と一言嬉しそうに鳴いた。男は、その鳴き声に顔をしかめる。
「そんなこと言うなよ。馬鹿だな、そんなんじゃねぇって」
ふてくされたように男はライアから視線を外す。鷹が、男を見ながら翼を羽ばたかせた。
「そうだな。さ、行くか。大空からの大観戦……楽しみますか」
男は重い腰を上げて立ち上がり、大きく伸びをした。まだ、誰も男には気付かない。
男は満足そうに街並みを見つめながら、力強く翼を羽ばたかせ、風にのって一瞬で空に舞い上がった。
――男がいた場所には、金色の一枚の羽が、ひっそりと残されていた。