【第七話】(若干)夏だ! 水着だ! 海と思ったら大間違いだ!
馬鹿らしい話に突入できてニコニコしています作者です。
やっぱりこういう、どおおおでもいい話を書くのは大好きです!
シリアスもバトルもいいけれど、たまには息抜き息抜きです!
過去など過ぎれば一瞬のもの、らしい。
日が暮れ、登れば今日は休日、昨日は一瞬だ。
我が家にて出掛けの装いに身を包み、僕は自分でも分かるくらい、落ち着きない。
「お兄ちゃん牛乳飲み過ぎ! 出掛けにまで飲まないでよ!」
傍らで、猫柄パジャマ姿の初葉が険しい顔をつくっていた。
彼女が指さすのは、流し台で折られ、積み上げられた牛乳パックの群。
まぁ簡単なピラミッドが作れるくらいの量だ。
「なんでそんなに飲むの?」
「……せ」
「せ?」
「背を伸ばしたいからだよ、悪いか!」
少々顔が熱くなった。初葉から目を逸らし、窓から差し込んだ日を見やる。
また牛乳の入ったコップを、くいと傾けた。余さず飲みきり、簡単にすすぐ。
「お兄ちゃん、本当に出かけちゃうの?」
何かと思えば、そんな言葉だった。後ろ手に手を組みながら、僕を見上げてくる。
「お兄ちゃん出かけたら私、暇だもん。つまんなぁーい!」
やたら今日は彼女、僕を引きとめようと躍起になっている。何故だろう。
「わ、悪かったよ」
「ね、ね! 謝るくらいなら一緒にゲームしよ!」
幼く、純粋な願いを唱えるその視線に、心が揺がないでもなかった。
「駄目だ。さすがに皆としてきた約束は、破れないからな」
「死ねよ」
「!?」
僕は前回の選挙を踏まえ、再び初葉を疑う気持ちを覚えた。勿論、初葉の事が嫌いになったとか、そんなんじゃないけど。
彼女はやはり、上手いこと僕達に近づき、隙あらば殺害を目論んでいるのかもしれない。
この数日間に及ぶ共同生活の中で、思い当たる節はチャーハンの件を代表に、挙げてキリが無い。風呂場の床に石鹸が放置してあったり、人が寝ている間に冷房を全開に効かせていたり。僕は何度死にかけただろう。
これらが過失にしろ故意にしろ、初葉が危険人物であることに変わりはなさそうだ。
「じゃあ、行ってきます」
「……行ってらっしゃーい」
耳障りな音を立てて、水道のコックを捻り締める。
初葉が嫌々と、水着を詰めたバッグを手渡してくれた。
向かうは室内プール。随分前の話に、有村が面白い提案をしていたのが発端だ。
生徒会長候補と、特別腕章所持者が参加する……親睦会。選挙で戦いあう関係なのに、互いの代表が互いを深く知らないのはつまらない。とのこと。
僕も、有村の言う事には賛成だった。
これで少しは選挙の戦いも爽やかなものに変わってくれれば、と思う。
まぁ有村としては、奈乃沙先輩の水着姿が見られればそれで良いのだろうが……。
「今日の親睦会って、やっぱり、お姉ちゃんも来るんだよね?」
つま先で地を蹴り、靴を合わせていた最中の事だった。背中に飛んできた質問。
僕は肩越しに振り返る。
「どうした?」
「……ううん」
「あ、あぁ」
玄関の扉を開けば、澄みきった広い世界だった。
出ていく直前、後頭部に牛乳パックを投げつけられた。何故。
市営プール。
そろり、そろり。
「……ん? 矢琴か」
奴の背後に忍び寄る途中で、気づかれた。有村は怪訝そうな顔で振り返ってくる。
驚かせてやろうと思ったのに。
僕達が立つのは、市営のプールのロビー。
前回の選挙にて、下半身を露出した有村は当然……女子達に相応の制裁を受けたのだろう、一日経った今も顔にあざを残している。
有村と僕以外のメンバーは奈乃沙先輩とソラ、あとは特別腕章の持ち主達のはずだが。
「他の人たちはまだ来てないのか?」
「あぁ。俺たちが一番乗りみたいだな……。まぁ、気になる存在も居るには居るんだが」
有村は、缶ジュースを抱えた右手で簡単に、とある方向を示した。
ロビーはリラックス用の円テーブルが置かれ、老若男女様々な人間がくつろぎまくっている楽しい空間だ。中でも、よく見ると一人。テーブル付属のソファーに、見覚えのある人物がメガネを煌めかせていたっていうか。
通人だ。
うわぁ。
「あいつはまだ俺達に気付いてないみたいなんだけどな」
有村が目を細め、遠くに見えるメガネ男を厳しく睨みながら、つぶやく。
「何故奴はこんな場所に居る、俺への嫌がらせか? メガネのままプールに入って怒られてしまえ」
察するところ……。通人がプールに来ているのは、偶然とも思えない。
恐らく、奴が青の特別腕章を預かった人間だということだ。
通人も、この親睦会に参加する一人なのだろう。
「ハッ玉垣奈乃沙も奴の能力を買い被りすぎだ。奴の利用価値はメガネ以上メガネ以下だ」
「ただのメガネじゃないか」
「まぁ、通人が青の特別腕章を担当するからには……青腕章の敗北も近いな。現状の青腕章を食べ物に例えて言うなら、そう、最高の食材に大量のワサビを練り込んだようなものだ」
端から聞いたら笑ってしまいそうな例えに、僕は怪訝ぶって
「へぇ」
呆れたように目をぐるりと回しながら、軽く後ろ手を組んで、有村の顔を見上げる。
「ちなみに聞くけど、僕達二人を同じように例えで言うなら?」
「ワサビだ」
「ワサビだけか!?」
「しかしこれではアレだな。通人と俺達が同類のワサビとして括られてしまう。望ましくない事態だ」
「じゃあ、通人はワサビじゃなくて別のものってこと?」
「あぁ。もはやウンコだな」
「有村それ食材じゃない! 何を基準に診断してるんだよ!」
「俺のインスピレーションがそう伝えている。もはやウンコだ。奴は抹殺するべきだな」
「落ち着け!」
猛る有村を片手で制しつつ、通人の様子を探る。
メガネの内側には、相も変わらずのクールフェイスだった。理知的で冷静な性格の通人なら、こうして見れば確かに……奈乃沙先輩とお似合いなのかもしれない。
奴は円テーブルに安置された缶ジュースをじっと見つめたまま、動かない。
通人、何をしているのだろう。
「……」
ひたすら見つめてみる。
通人の……口の……両端が……、厭らしく……ニタァアアアっ!! 吊りあがった。
おぞましい、おぞましい! 奴は存在してはいけないと思わせるほどの、冷たい衝撃。
見ているだけで背中の表面にざわざわ、針が駆け巡った。
「何だあいつ気持ち悪いぞ……!!」
目を丸く見開き、僕と同じように奴を凝視する有村の顔は……慄きに引きつっていた。
見れば微かに、缶ジュースを握る有村の右手が震えているようにも見える。
「有村、落ち着け! 落ち着いて!」
通人はそろりと円卓の缶に顔を近づける。
……手首からしなやかに折り曲げた手を、丸っこく握る。猫の如し。……学校では常に参考書を片手に『フン、超能力? UFO? 非ぃ科学的だね』と嘯いていた通人が。猫の如し。
通人は嬉しそうに目を細めつつ、丸めた手を招く仕草。
極めつけに、やはりメガネを煌めかせながら。
「にゃあーん♪」
こんな通人は見たくなかった……!
見つめる僕は、時間を忘れるばかりだ。人の恥ずかしい瞬間を見てしまった!
急いで有村に顔を振り向けた、奴は戦慄きに「あ……あぁ……!!」声を漏らすばかり。
有村が缶ジュースを握る手が、震え、いや震えるどころか揺れると言った方が正しい勢い。中の飲料がどぶどぶとこぼれる。
「にゃんにゃん♪」
通人の奴まだやってる!
ただただ、楽しそうに、楽しそうに、ただ、にゃんにゃんにゃんにゃん
「にゃんにゃ――はッ!?」こっちに気づいた!
すごいこっち見てる! すごい見てる!
みるみる赤みが差していく通人の頬。
咳払いしてメガネを中指でくいと持ち上げ目を泳がせ口笛を吹かせ。
「ふ、フン、にゃ……にゃ……そうだニャクラだ! はっは、やっと思い出した。そうニャクラとは西アフリカに位置するギニアビサウ共和国オイオ州ニャクラ区だったな、思い出した! スッキリした。僕は決して猫の物まねをしていたわけではなく単にこのニャクラという名称を思い出そうと必死になっていたんだ何も恥ずかしいことはないだろう」
誤魔化そうと必死らしいが、しまいには僕たちの足元にまでドタドタと駆け滑り込んで来た。
スライディングで土下座。
「見なかったことにしてくれないか!」
よほど恥ずかしいらしい。何やら、文科系男子の思わぬ一面を見てしまったようだ。
状況は過ぎれば穏やかな笑みを浮かべることもできた。
僕は優しく、有村と視線を合わせた。まぁ、僕も有村も、人の恥ずかしい瞬間で弱みを握るほどには、非道な発想をする人間じゃない。有村の優しい瞳から感じられるものがあって、僕は有村に発言を委ねた――
「このウンコ野郎が」
僕は有村を殴り飛ばした。
ゆっくりと息をつき、通人の手をとって立たせてやる。
「通人、そもそも何で……あんなことしてたんだ? その、にゃんにゃんって」
「……奈乃沙さんだ。僕は昨日の朝、見た」
「何を?」
「にゃんにゃんをだ! 知らないのか? 彼女は無類の猫好きだ! 普段無口な彼女が猫に対してのみ見せる聖母のような慈愛の表情! そして聞くもの全てを蕩けた心地に導く甘い声で、にゃんにゃん、だぞ! 通学路途中に見かけた猫に向けて、彼女はにゃんにゃんしていたんだにゃあ!」
なんだかエキサイトしてる。すごいエキサイトしている。語尾に『にゃあ』って。
話自体には、興味深いものがあった。萌えだ。
奈乃沙先輩は、普段口数も少なく、顔の筋肉が石化したのかとさえ思わせるほどの無表情。
鉄仮面が人知れず見せた慈愛の笑顔。それも、にゃんにゃん。
「奈乃沙さんの魅力はそれだけに留まらない、まず彼女に関する逸話の一つ目から順に話してやると――」
適当に相槌をうちながら、肩を下げるしかなかった。
誰か早く、マトモな人よ来てくれ。
願わずにはいられない……。
ソラと奈乃沙さんの二人が、同時にロビーの自動ドアを開いた。
ソラの黄色腕章は特別腕章を用意していないと聞くから、全員合わせて五人。
僕。
有村。
通人。
ソラ。
奈乃沙先輩。
と、これで揃ったわけだ。
「……まさか、矢琴達に後れを取るとは思わなかったわ……」
じとりと、不機嫌げにソラは僕たちの顔を見回してきた。
僕たちよりも到着が遅れたのが、よほど腹立たしいようだ。
恐らく今日の彼女は、ずっとこの調子のままではないかという懸念が、僕にはあった。
彼女は、前回の選挙について愚図っているのだ。
以前の選挙、必死に頑張った結果がアレでは仕方無い。
僕の策略に嵌められたとも誤解しているようだし。今さら僕から弁解したところで信用されない。
例え信用されたとしても機嫌を直しはしないだろうから、僕には何も出来ない。
「せっかくの親睦会だ、そうゴネるな」
「……う、うるさい、うるさい! よーくんに言われたくないの!」
よーくんとは、幼稚園時代の有村に付けられたニックネームである。有村要也の要だ。
ソラは、他人の前でこそ有村を苗字で呼ぶが……実際に面と向かうと、未だに抜けきっていないこの名前を、使わずにはいられない、らしい。
とにかくもって、ごねることをやめない彼女。僕たちから顔を逸らして、黙りこくる。
けれど、僕たちは分かっていた。
彼女はとても律儀で、とても素直な、一般的に言う良い子だということを。
ソラはごねた末に彼女はチラリチラリとこちらに視線を向けて。
ごねた末に彼女は悔しそうに表情を歪めて。たまらなそうになって。
ごねた末に
「…………ごめんなさい……」
顔をそむけたまま、蚊の鳴くような謝ってきた。
「……勝手に怒ったりして……愚図ったりして、その…………ごめんなさい……」
ここで穏やかな笑顔でも向けてやれば彼女は怒りに頭を震わせてしまうから、黙って聞こえなかったふりをすることしか、僕にはできなかった。
「早く行きましょう」
横から奈乃沙先輩が話を挟んできた。
少し急くような挙動で、スタスタと通り過ぎていく。
梅雨の季節には少し早い、生地の薄いワンピース姿だった。キャペリン帽でもかぶっていそうな風だが、彼女が手にもつのは帽子ではなくプールバッグ。
「待って下さい奈乃沙さん! 僕がお荷物をお持ちしましょう!」
あたふたと奈乃沙先輩の背中に追いすがる通人。だが、彼女は振り返って
「お願いだから、近寄らないで」
なんという辛辣な一言。
ひょろりと崩れ落ちた通人を置き去りに受付を済まし、スタスタと更衣室にまで歩んで行った。
これほどに通人を嫌っている彼女は、何故通人を特別腕章に命じたのだろうか。単純に能力を買っての事か、どうか。
「惨めだな通人」
崩れ込んだ通人の隣に、フンと鼻を鳴らしながら立ちはだかったのは、有村だ。
彼が浮かべるのは、嗜虐の嘲笑。全てが、通人に向けるための表情である。
「何だと!?」
「……ま、見ていろ」
いきり立ったらしい通人の肩を落ち着いた手つきで抑え込み、有村は歩いた。
奈乃沙先輩の背中を、追いかけていた。
棒立ちで状況を見守り続ける僕とソラ。彼らのテンションにはついていけない。
有村は歩きながらニヤつかせた顔を半面だけこちらに向かせ、そして奈乃沙先輩の背中を追い寄った。
気持ちの悪いほど滑らかな手つきで、右手を、差し出しつつ
「おい玉垣奈乃沙、良かったら俺が荷物を持ってやっても――」
「近寄らないで」
有村は死んだ。
奈乃沙先輩は歩みを止めて、背中で大きなため息をつく。
突如両手を顔辺りの高さに上げたかと思うと
「へっきち」
くしゃみだった。随分と可愛らしい、小さなくしゃみ。
「……玉垣奈乃沙、どうした、風邪か? 俺に対する恋の病か?」
生き返ったらしい有村が彼女の背中に追いすがるも、彼女は右側面を振りかえらせ、手を突き出した。
近づくな、という旨の意思表示であるらしい。さすがに有村も、歩みを止めた。
何より目を引くのは、彼女のポーカーフェイスが、情けなく歪んでいたことだ。
こんな先輩、見たことがない。
「っくしゅ!」
「!?」
「は……はくちゅんっ! ち、近寄らないで……!」
涙目で何度もくしゃみを繰り返す奈乃沙先輩。
なんだこの光景、なんなのだ貴女は。そう問いたくなる衝動にかられる。
目の前の光景には、現実味すら薄れて感じれた。
さしもの有村も、事態の異常さに動きを止め、今にも後ずさりそうな困惑っぷりだ。
「……は、はぁ、ふぅ」
胸を押さえながら、必死に呼吸のリズムを取っている。苦しむ先輩を、僕は初めて見た。
「氷川矢琴っくちゅ」
前傾姿勢のくしゃみ混じりに彼女が指さしたのは、有村を通り越した延長線上、僕だ。
「早く行きましょう」
何故僕が。
更衣室に通じる通路、僕と奈乃沙先輩が並んで、その後ろを三人が歩く。
「矢琴死すべしだな。何故あいつだけが玉垣奈乃沙の隣にいる」
「僕も全く同感だ。矢琴は死ね」
背中に、受けきれないまでの殺気を感じるのだが気のせいか。
二人分の小声で、しーね、しーね、と聞こえてくるのは気のせいか。
「矢琴のバカ」
何故ソラまで!?
「……」
落ち着かない。表れた挙動として、プールバッグの持ち手を何度も何度も、握り変えた。
「やっぱり、キミなら大丈夫みたい」
ボソリ、僕にしか聞こえないような声量が耳に届く。
「何がですか?」
くしゃみもすっかり落ち着いた様子の先輩が、僕を横目でチラリと見やってきた。
残念ながら高身長の先輩に、僕のソレは追いつくことができない。
僕はひたすらに先輩を見上げる形になった。
「私は男が嫌いなわけじゃないの」
「じゃあ、何で有村達にあんな仕打ちを? ものすごく怒ってますよ奴ら」
「怒らせてしまったことは反省しているけれど。でも、だって」
「だって?」
「……私は、男性が苦手だから」
「……苦手なのは、有名な話ですね。どうしてなんですか?」
「男性アレルギー」
……。
……。
……。
「え?」
「勿論精神的な物なのは分かってるけれど、発症してしまう物は仕方ないの」
突飛した事実に思考はスカっと空振りした気分だが、目の前の現実は受け止める他には無かった。
何だか釈然としないなとは感じつつも、妙に納得してしまう僕がいる。
「キミなら、近くに居ても大丈夫だと思ってた。だって今、私はくしゃみをしてないもの」
「それは……僕がその、女みたいだからですか?」
「多分違う。きっと理由は、私がキミに一目ぼれしたから」
「……?」
淡々と。
「好きだから、大丈夫」
この瞬間を小説にして僕の心を表現するならば、見開きのページ全てを空白にしてやっても良い。
背後からの殺気に対する感覚を遮断してまで、僕は衝撃の緩和に頭の全てを使い続けた。
自分の表情が固まったまま動いていないことに気づいたのは、どれだけの秒数が経ってからだろう。足だけは着実に進み続け、通路は突き当たりで二手に分かれた。進む道で、更衣室の男女が決まる。
「……!?」
奈乃沙先輩に手を掴まれた。彼女の手は、未知の感触だった。
暖かい、柔らかい、細い、有村の手なんかとは、全然違う。
ドギマギに全てを忘れ、僕は手を引かれるままに歩く。
角を曲がり、歩く。歩き続け――
「な、なな、や、矢琴……!」
後ろから何か聞こえる。
「矢琴!」
ソラの声だと気付いて、とっさに振り返った。怒られるのは嫌だ、と意志が働いたから。
同時に意識が明晰さを取り戻した。
僕は何をやっているんだ、周囲を改めてたしかめることで気付いた。
「こ、こっち女子更衣室じゃないですか!」
慌てて先輩の手を振り払って、ゴキブリの如く後ずさった。
「そうね」
そうねじゃねぇえッ!!
「や、矢琴のぶぁか! 何やってるの!? 矢琴は男だよ!!」
僕と奈乃沙さんの間に踏み入ってきたソラが、強く、強く言葉で僕を揺らす。ソラの取り乱しようが普通じゃない。手当たりしだい指をさして、わめきたてて、顔を赤くして。
「せ、せせせ先輩も! というか先輩! づぁ、だだ駄目です! 矢琴をこっちに引きずりこまないでください!」
「……だって」
「だってじゃありません!」
「……そんなぁ」
ソラの威勢に完全な敗北を喫し、叱られるがままに叱られる奈乃沙先輩。
力なく、僕は状況を見つめるだけだった。
奈乃沙先輩のクールビューティなイメージは完全に崩壊した。
静かにうだりつつも、先輩はソラに腕を引かれて女子更衣室へと引きずられている。
こちらに振り向いた彼女は、涙目だった。意外に、先輩は表情豊かであることを知った。
「……ほぉ。玉垣奈乃沙があそこまでお前に肩入れしているのは気に喰わんが、まぁいい。また玉垣奈乃沙の新たな一面を知ることができた」
「やはり奈乃沙さんは素敵だ。僕はどこまでも奈乃沙さんを追い続ける」
目の前を二人の男が通り過ぎ、彼女たちの後を追う。この通路を通るのが、さも当然のような顔をしてるから困ったもん――
「何でお前ら女子更衣室に行こうとしてるんだ!」
まともな人間が少なすぎる! 僕一人じゃ回収しきれない!
有村は端正な顔立ちを厭らしく歪めて、僕に振り返る。
「バカかお前は。これとない覗きのチャンスを逃す手があると思っているのか? 女性の裸体、それは神秘、女性の裸体、それは魔法! どうだ矢琴。初日の出なんかよりはよっぽどありがたくて素晴らしいものだぞ」
駄目だコイツは!
僕のエネルギーに彼らを止め切るだけの余剰は残されていない。もう、どうにでもなれと意識を流した矢先だった。先輩をひきずり続けていたソラが、声を張り上げる。
「よ、よーくん!! ふざけないで! 覗いたら殺すから! 絶対見ないでよ!」
「いやお前は別にいいから引っこんでろ、見たくないし」
「……!! そ、そんな私だって結構、あの、体つきとかは結構……! 自信あるんだけど?」
「いや、別にいいから」
「!? ……かわいい水着とか、この日のために買ってきたんだけど」
「そういうのいいから」
「!?」
ソラ、ちょっと傷ついたらしい。
「い、行きましょ、奈乃沙先輩」
足早に、更衣室へと去っていくソラ。
残された奈乃沙先輩は交互にソラの背中と僕とを見つめてくる。
何やら先輩、手持ちのプールバッグを探ったかと思うと、小走りでコチラに駆け寄ってきた。
「これ」
何やら形のハッキリしない物を取り出すと、僕に押しつけて小走りに去って行く。
何だろうコレ、と疑問に思ったのもつかの間だ。
胸の奥が闇に包まれたような絶望。
受け取ったコレにどのような意味がこもっているのか。考えたくも無かった。
『ちょ、ちょっと有村、通人。……僕、先輩にこんなの渡されたんだけど……』
『……!? これはお前……!! 流石の俺でも驚きは隠せないな』
『貴様……! どういうことだ!』
『僕だって分かるわけないだろ! なんでこんなモノ……渡されたんだ。どうすればいいんだろ』
『そりゃあ、着るしかない? 玉垣奈乃沙がコレをお前に手渡す理由なぞ、それしか思い浮かばない』
『僕が……これを……?』
『矢琴。仕方ないが、これは奈乃沙先輩の意志だ。そつまり僕の意志でもある。大人しく――』
『え? ……え? ちょっとやだなぁ二人とも、僕がこんなの着るわけ……ちょ、え!? やめてくれ! 近寄るな! 触るな! やだ! やだって! やだぁああぁあ!!』
基本的には日の変わり目、0時が更新日時になっています!