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【第五話】急いては情事も仕損じる

うーん(背伸び)。ようやく五話まで到達することができました!

キャラもようやく出揃ってきたということで、いよいよ本筋もスタートです!

ストーリーも無いに等しい作品ですが、少しでもお楽しみいただければ幸いです!

 もうすぐ、もうすぐだ。


 あと少しの時を待てば、今日の選挙が開始される。

 気持は高まっていた。落ち着きのない足を机の下でソワソワと動かして、今にも動き出したくて、僕は教師の授業をまるで聞いていない。

 選挙に関係のない鈴音子さんを除いた全員が、僕と同じ様子だった。例外として、有村だけはいつも通り、意味の分からない余裕に身を任せている様子だったが。


「それでは、今日の授業はここまでだ」


 教科担当の教師が、片手に持った教科書を閉じる。


「待ち遠しかっただろ? 各自、勝手に終了してくれて構わんぞ」


 言葉を締め、教師が教壇を降りた瞬間、学校に染み込むようなチャイムが鳴り響く。

 一時限目終了。飛び上がるようにして席を立つ人間すら居た。騒ぎ出す仲間。

 その中で、教師に続き、ただ一人だけ、そそくさと部屋を退出する人物がいる、一体誰だろうか。


「矢琴、何をしている。さっさと逃げるぞ。早くしないと女子が来る」


 出口の方に気を取られていると、有村が意識に介入してきた。


「あ、あぁ」


 教室内は慌ただしい。全員が共通して赤の腕章を腕に巻き始め、僕もそれに倣う。

 腕章の装着は、色によって立候補者のチームを見分けるためのルールだ。有村の支持者は赤の腕章、ソラの支持者は黄色の腕章と言ったように分別される。

 まともに争いが展開されるまで、まだ時間はありそうだ。授業が終わってまだ間もない、女子達が渡り廊下を伝ってここまで攻め来るには、随分なラグがあるはずである。


「メンバー分けは話した通りだ! 全員、各自の持ち場で奮闘しろ!」


 有村が声を張り上げると、威勢の良い返事と共にクラスメイト達が動き出す。

 有村率いる男子、当面の目標は……専守防衛。どうにか時を待って、女子チームの候補者同士で、漁夫の利でも起こらないかなぁと浅ましく狙い続けているわけだ。

 実際、物量的に考えて、正面から敵にぶつかることは不可能である。……圧倒的多数の女子を相手には、逃げるだけでも精一杯。その中であわよくば敵の偵察もこなそうという魂胆ではあるが、今のところ、あまり有力な情報は入る気配が無い。


 細かな人員配置などについては、昨日、家で有村と論議を重ねた。

 女子棟と男子棟を繋ぐ渡り廊下に五名。ここにバリケードを張って、女子を食い止める。

 棟の入口という入口全てには、同じく目的で、防備を三名ずつの配置。

 屋上と巡回に、物見を一名ずつ。偵察専門には、運動能力に優れた二名。

 残りのメンバーは、教室前廊下の防衛と、僕たちの近衛に二分されている。


 敵を教室にまで寄せ付けてはならない。

 恐らく敵は、僕達がこの教室に潜んでいるであろうと妄信し、死に物狂いでこの教室を狙ってくるだろう。その裏をかき、僕と有村の二人は人通りの少ない女子棟裏庭で、草にでも隠れながら休み時間終了まで待つつもりだ。


「あの……こ、これは何なんですか?」


 慌ただしい教室の様子に、うろたえるのは鈴音子さんだった。血気盛んな男子共に、怯えている。

 状況説明に近寄ろうと、彼女の机に歩み寄った。ちらりと視界の端にノートの中身が見えてしまう、授業内容ではなく、オセロ盤の絵が書き込まれていた。


「鈴音子さんも話程度には知ってるだろ? これが我が校の選挙だ」

「な……なるほどこれが……」


 僕が話して聞かせると、彼女の怯えた目つきに、興味の力がこもった。

 胸元に固く握った拳を作って、僕に訴えてくる。


「あの! これって生徒会長さんを決めるイベントなんですよね!」

「まぁそりゃ。選挙だから」

「そうですか……」


 彼女と会話しながら腕章の安全ピン留めようと奮闘したが、四苦八苦。ようやく取り付けたと同時、彼女の顔をチラリと見やると……決意の眼差しがあった。


 鈴音子さんめっちゃこっち見てる。なにその眼差し。やめて。


「矢琴さん……!」

「何?」

「生徒会長に一番ふさわしいのはきっと私だと思うんです! 今からでも立候「駄目だ」


 机に顔を打ち付ける勢いでは落ち込んだ鈴音子さん。

 彼女に容赦のカケラもない言葉を浴びせたのは、僕ではない。いつの間にやら彼女の背後に立っていた、有村だ。


「早く行くぞ矢琴。急ぐに越したことは無い」

「待ってくれ有村。その前に……一つ確認したいことがある」


 ここまで会話したところで、いよいよ、教室にも人が減り始めた。

 できるだけ挙動が穏やかになるよう心がけながら、僕は鈴音子さんの肩に手を置く。


「転校早々に聞くのは申し訳ないけど、鈴音子さんは誰に投票するつもりなんだ? もちろん無支持でも構わないけど」


 まぁ、鈴音子さん自身が立候補するのは無理として。と頬を掻き、笑いながら付け足した。


「……私、ですか?」


 彼女はふわりと顔を上げ、唇を尖らせた。


「皆さん良い人ですし……。投票するなら……有村君にしようかなって」


 意外だ。

 

「いいのか? 鈴音子さんは女なんだし、女子棟には奈乃沙先輩みたいな人もいるから、そっちにしとくのも――」

「え? な……奈乃沙!? あの人、立候補してるんですか!?」


 急に、声音が荒くなった。急に机を叩いて、立ち上がる。

 教室中の空気が一瞬で、その勢いに圧されてしまった。

 もしかして、もしかしなくてもだ、奈乃沙先輩と彼女は知り合いだったのか。


「あの人には絶対投票しません! 死んでもしません! 有村君に票を投じます! 私が有村君に投票すれば勝ったも同然じゃないですか、投票してもいいですよね?」

「それは……一向に構わないけど」


 相当奈乃沙先輩と仲が悪いらしい。

 彼女の名前を出しただけで、鈴音子さんはツンと、僕に目も合わせてくれなかった。

 状況を認めた有村が予備の赤の腕章をポケットから取り出して、鈴音子さんに手渡す。


「俺に投票するからにはコキ使うぞ。性的な意味でだぶふぉぁっやめて矢琴助ぐぉあぁあ」

「よろしくな、鈴音子さん」

「は、はいっ!」

「そんな緊張しなくても」

「は、はい……」

「……」

「……あの、矢琴さん? 良かったですね」

「ん?」


 肩を上げてクスリと笑う彼女。


「私みたいな、心強い味方を手に入れて、良かったですねって言ってるんです」


 彼女の笑顔は冗談なのか本気なのか。

 とにかく何にしても、意地らしいというのにかわりはなかった。








 石とり合戦はつまり、単純な目標物の争奪戦だ。

 有村の持つビードロ玉状の石が女子に奪われれば、僕たちの敗北。

 石は基本、候補者しか所持が許されない。これに違反した候補者は即、ゲーム参加資格をはく奪されるという厳粛さ。


 しかし、例外も一つ。


 選挙の参加者が身につける腕章には、種類があるのだが……その内一つはチーム色の布地に黒ラインが横に二本走った、候補者用の腕章。そして次に、黒ライン無しの一般投票者用。

 ここにもう一種類……黒ラインが一本だけ入った、通称『特別腕章』が一本だけ。


 特別腕章を着けた人物は、候補者と同じく石の所持を許される。

 有村の候補者群の中では、それが僕であった。


 この腕章の存在は、少しは石とり遊びに頭脳戦を用意してやろうとの、学校側からの配慮だろう。

 敵は、僕と有村のどちらが石を所持しているかは分かるはずもない。これを利用して敵を惑わすことが、石とり合戦の肝となるのかもしれない。もちろん、敵にも特別腕章は用意されている為に、相手も僕たちと同じことを考えているだろうが……。


「暇なもんだな……空からエロいものでも降ってきたらいいんだが」

「具体的に何が降って来るんだよ怖いよ。変態として露骨すぎるんだよお前は」

「フン、男が変態であることに何の問題がある? 考えてみろ、問題など「黙れ変態」


 女子棟校舎裏の置き草に、身を伏せて会話する僕と有村。

 置き草周辺の芝生以外は、黄土が露出している。

 少しだけ距離を置いた周囲には、近衛役のクラスメイト達が同じく伏せて、辺りを見張っていた。

 現在石の所持は有村が担当している。いざという時、僕のように石を手渡せる相手が近くに居るのは心強いだろう。

 鈴音子さんの使い方については困ったが、ひとまずは女子棟に潜り込みやすかろう点から、彼女には偵察のチームに加わってもらった。今回、僕たちとは全くの別行動である。


「しかしいいのか矢琴参謀よ。守ってばかりじゃ勝てるものも勝てないだろう?」

「……別に、今までは機を伺ってただけだ。明日からは初葉を上手く立ち回らせて、攻めに転じる。腕が鳴るな」

「お前に鳴るほどの腕も無いだろ。それとも、敵に腕の骨でも折られるのか? 痛そうだ」

「お前は僕に喧嘩でも売ってんのか!」


 昨日のチャーハン事件を根に持ってるのかコイツ……!

 有村は草陰でうつ伏せに伏せたまま、指先で琥珀色の石を転がしていた。綺麗な曲線の玉である。


「石で遊ぶなよ……。ホントに、何でよりにもよってお前が生徒会長に立候補したんだ……」

「バカが。答えは決まっているだろう? 理由は特にない」

「無いのかよ……!」

「フン、しかし見くびるなよ? 俺は……まぁ勉強はできないとしてもだ、俺は運動が得意だしな。他にも得意分野は多い。スポーツが得意だろう。体育も得意だろう。あと走るのも速いな。加えて、運動全般が得意でもある」

「全部運動じゃないか!」

「いちいち声を張り上げるな鬱陶しい……ん?」


 有村が何かを見つけた。ほぼ同時に僕も見つけた。

 点々とした草の隙間から、何やら男子らしい姿が見える。メガネをかけた人物だろうか。

 我が校の男子となれば……それは例外なく僕のクラスメイトであるはずだ。誰だ。


通人(ゆくと)じゃないか?」


 有村の声に事実はモヤを消した。ハッとした。あの細いフレームのメガネは間違いない。

 通人だ。

 読書が趣味の、我がクラスでは数少ない常識人。すました感じの、スマートな文科系らしい男である。

 まだ入学して、そう何カ月も日が経っていない僕達だ、それでも通人に対しては、クールな人間、という印象を持っている。額の半面にだけ垂らした前髪、今にも理屈責めしてきそうな目つきの男。


 草陰から、迂闊に姿を現すわけにはいかなかった。

 監視するつもりで、通人の動向にしばらく目を見張ってみる。

 彼は何やら手持ちのメモ紙をぶつぶつと音読したり、胸を押さえて天を仰いだりしているようで、何やら挙動に落ち着きが無い。


 そして、そんな彼を追いかけるように、一人の女子がぽつぽつと歩いてきた。


「お、おいアレは……!」


 珍しく、有村がうろたえている。

 彼女の姿を見つけた瞬間から、明らかに有村の呼吸が変わった。

 ど、瞳孔が開いてやがる。


「んん……?」


 目を凝らしてみて初めて、有村がこれほどにうろたえる理由が理解できた。

 静かに、驚きを胸で流す僕がいた。彼女は有村の求める究極の女性……。

 立候補者の一人、初葉の姉、玉垣奈乃沙先輩だ。

 絹のような質感の、長い長い黒髪。血が通っているのかと疑いたくなるほど、白い肌。小さな顔、すらりと伸びた体、綺麗な姿勢。豊満な胸。貞淑に前で重ねた両手。美しい、という言葉の他には無い。我が校の男子で、彼女の美貌に見惚れ無い人物は居ない。


 僕だって美人は好きだ。特に有村は、入学当時から彼女をやたらと特別視している。


「通人の奴……何故、玉垣奈乃沙と! あとで殺す。奴め早く自分の持ち場に戻って腹を切れ」

「……何で通人は奈乃沙先輩と二人で会ってるんだろうな」

「知ったことか! ちくしょう……早く通人の奴め、玉垣奈乃沙から離れやがれ! 離れて腹を切れ!」


 駄目だコイツは手遅れだ。

 諦めて、二人の状況を見守った、

 通人はどうも彼女の持つ石を奪おうと――というわけではないらしい。

 奈乃沙先輩と向かい合い、ポツポツと何か言葉を交わしている。

 時折顔を掻きながら、周囲に目を逸らしながら、居心地が随分と悪そうだ。

 耳を澄ますと、微かに会話内容が聞こえてきた。


『……昔から、貴女の存在は知っていました。そして、気に掛けていました』


 通人が放ったこの言葉に返されたであろう奈乃沙先輩の声は小さく、音程度にしか聞きとることができない。それでも、このシチュエーションだ。想像がつかないでもない。


 愛の告白、とやらか。


 有村の嫉妬が、目に見えて凄まじい。

 手近な草を握りしめ、握りしめ。通人を指さしながら一言。


「あの男は最悪だ」


 お前は通人の何を知ってるんだよ!

 しかし哀れな有村を時間にとり残したまま、愛の告白は滞りつつも進行中。

 どう考えても奈乃沙先輩が通人の告白を承服するとは思えない。彼女は、男子からの人気を掻き集めた存在であるとともに、最も男子を嫌う女子、という話なのだから。


『じ、じじじ実は僕、昔から貴女の事を見ていました!』

「メガネ割れろ」


 有村が芝生を握りしめながら、視線で焼き殺す勢いで通人を見つめる見つめる。

 非力な僕には、とても今の有村を抑えられそうにない。飛び出して行かないだけマシか。


『もし良かったら……その……その……!』

「爆発しろ」

『付き合ってください!』

「    」


 有村が完全にノックアウトされた。


 力なく地面に崩れ込み、呼吸に肩を上下させるのみ。

 哀れだな。恋愛に興味はないという有村だが……。どうも変だ、強がってるだけじゃないか、有村は奈乃沙先輩のことが、好きなのではないか。

 男子嫌いの奈乃沙先輩を想ってしまうのも、悲しいと話だとは思うが。


「あぁ、俺はもう駄目だ。生きていけない。矢琴、俺に癒しをくれ。癒せ」

「……有村、気持ちは分かるけど、元気出してく――」

「そんな言葉で俺が元気づけられると思ったら大間違いだ!」


 ちくしょう。


「まぁ、落ち込むにはまだ早いだろ? 奈乃沙先輩がまだ何て返すかは分からないしな」

「……あぁ」


 有村が、のそり、と顔をあげる。真摯に、真摯に遠くの奈乃沙先輩を見つめていた。

 僕はその横顔に、嘆息のような、安堵のような息をつく。

 一緒に、奈乃沙先輩を見つめた。


 ただ静かに、向かい合う通人と奈乃沙先輩。


『……ごめんなさい』

「ざまぁあああ」

『そ、そうですか……しかし僕は!』

『近寄らないで。……私は……どうしても駄目なの、ごめんなさい』


 今度はちゃんと、先輩の声が聞きとれた。頭を下げていた。直後にくしゃみをしていた。

 通人の奴、近寄ることさえ許されないとは……随分嫌われたものだ。


「フハハハハ」


 有村が邪悪な笑い声をあげていた。顔が笑ってないけど。

 しばし間を置いて、答えにくそうにしながら奈乃沙先輩が言葉を紡ぐ。


『……ごめんなさい。私は好きな人が、いるから』

「俺だな」

「違うと思うよ」

「そんなことはない」

「先輩が人を恋愛対象として見るってんなら、それは十中八九女子だろ」

「ハッ、何を言ってるんだか」


 有り得ない有り得ない、というように地面に肘から立てた腕を振る有村。

 どこか、喋り方や手の振り方が力無く、グロッキー気味に感じられるのは何故だろうか。

 しかし


『……その人にはもう、私も告白するつもりで……渡すプレゼントも用意してて……』

「俺にプレゼントだと?  聞いたか? 今の。一体何を渡されるのだろうな」

「変態の称号じゃないかな」

「何だお前も彼女のプレゼントが欲しいのか? だがな、やるわけがない……これは……俺のだ」


 今にも安らかに死んでいきそうな顔だ。

 ひたすら彼女のお相手が自分であると、妄信しているらしい。


「有村、正気を取り戻せよ」

「んん……?」

「妄想から脱して、この状況を見つめ直せ!」


 小声で怒鳴り、肩を揺する。何度も何度も。

 奴は元気を取り戻さないにしても、半開きにしていた瞼を冴えた様子に。


「何のつもりだ矢琴」

「冷静に考えろ、目の前にいるのは、護衛の居ない敵の大将だぞ?」

「……ほぉ……? まさかお前、やるつもりだとでも?」


 顎から頭に力を込めるつもりで頷いた。

 奈乃沙先輩がここに石を持ってきている可能性だって、なきにしもあらずだ。ここは何としても彼女を抑えたい。

 未だ通人と先輩は向かい合ったまま、照れくさそうに、喋りにくそうにポツポツ、言葉を交わしている。


 通人と奈乃沙さんの周囲には多数の置き草があった。僕たち二人の護衛として、複数の男子がここに配置されている置き草だ。ここから見える限りの仲間に目配せで合図をすると、皆はしっかりと頷いてくれた。


「よし、行くぞ!」


 バレてもいい、そんな覚悟で声を張り上げる。

 前方にのめり出す形で身を起こし、草をつっきった。

 奈乃沙先輩に向けて、駆け出す。周囲から一斉に湧きたつ怒号。


 皆、付いてきてくれた。


「!? お前たち何故ここに!?」


 対し、動揺を隠さずに目を見張る通人。ああ、皆でお前の告白を見てたんだよ!

 猛る獣の勢いで、駆けるクラスメイト達。

 あとは彼らに任せるつもりで、僕は立ち止まった。

 走りゆくクラスメイト達は、着実に、それも猛烈な勢いで奈乃沙先輩への距離を詰めていく。


「ふざけるな! こんな理不尽な負けが彼女にあってたまるか!」


 彼女をかばいだてするように前へ出てきたのは、通人だった。両手を大きく広げ、立ちはだかる。

 背後に置かれた奈乃沙先輩は無表情のまま、うつむくばかりだ。

 動揺があるのかどうかすら、計り知れない。


「果たしてこのまま、上手くいくと思うか?」


 有村がゆらり、と今になって僕に追いついてきた。横に並んで来る


「ってことは有村、逃げる準備くらいはしたほうが良いと思うのか?」

「俺はそう思う。そう焦るな、急いてはチョメチョメを仕損じるとも言うだろう?」


 言わないけど。


 一理ある。


 僕たちは今まで、ひたすらに身を隠していた。

 それと同じことだ、敵だってどこに姿を隠しているか分からない。

 例えば今、校舎に隠れた死角から彼女の護衛が姿を現すかもしれないし、油断は――


『奈乃沙さん助けに来ましたぁ!!』


 うわホントに来た。

 校舎の角から姿を現し、押し寄せてくる女子達。総数は僕たちの何倍だろうか。


 奈乃沙先輩の手前でまごついた男子たちを、数の暴力によって次々と駆逐していった。

 男子たちは皆、女子にボコボコと殴られて、僕の方に逃げてくる。こっち来るな。


『あの腕章……! あれが男子棟の立候補者、有村要也ね……!』

『あ、矢琴ちゃんもいるよ! ほら!』

『氷川矢琴は男子でしょ! あんなのただのオカマじゃない!』


 オカマ……? オカマって何だ! 僕は男だ! 何で僕を指さすんだよ!

 ぽつんと、胸に黒い穴を空けられた気分に撃たれた。

 目の前が半ば的な怒りに、虚ろとなる。 


「おい僕は女じゃないしオカマでもないんだ――」

「おい矢琴! 逃げるぞ!」


 有村に腕を引かれて、否応なしに走らされる。

 押し寄せてくる女子達の姿が、徐々に遠くなっていった。


 女子達の隙間から、奈乃沙先輩の姿が見える。


 僕の事を、ただひたすら、見ているだけのようだった。


 その視線に何か、心へと引っ掛かるものを感じる。


 なんだろうな、とは思った。


 それだけだ。



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