【第二話】俺と私は握手もできない
展開は、かなりゆっくりめです。
本日ラストである、休み時間終了のチャイム。選挙活動禁止時間の合図でもある。
休み時間以外の選挙活動は禁止であるから、今日の抗争はひとまず終了だ。
「もう小競り合いも終了じゃないのか? そろそろ何か行動が必要だと思うんだけど」
男子の仲間数名を背後に引き連れて、僕は教室に帰還した。
喋り掛けながら歩み向かう先は、我が男子棟唯一の立候補者、有村要也の隣。
有村は窓の淵に手を掛け、身を任せている。どうも女子棟の校舎を眺めているらしい。
迷わず、僕は有村の隣に並んでみた。
……彼の肩までにも、僕の身長は届かない。
彼がいくら長身と言えど、それが世間の物差しで測りきれる範疇を大きく飛び越えているのとは決して違う。認めたくはない事実だが、つまり、僕が低い。すごく低い。
「矢琴か……? ご苦労だったな」
有村に、見下ろされる形で尋ねられた。
僕は足首の筋を精いっぱいに伸ばして、彼の肩程度にまで目線を高めている。
「教室に帰って早々、何やってんだお前は」
背伸びしてみたのが、バレた。同時に、身長についての悩みも感付かれたようだ。
「可哀そうなチビめ」
「……はぁ」
背が低いのは、昔から自分にあるコンプレックス。
人が僕を女と見紛う原因の一つでもあるし、何より、チビじゃ女性にも人気は出ない。
僕も人並み外れぬ価値観を持つ男子であるゆえに、それなり……いや結構、女子との交遊は持っておきたいのだが……モテようと入学した先がこんな学校だったのがまず間違いであったし、それを差し引いてもチビだからモテないと。
まぁそんな僕ではあるが、愛の告白として、好きの一言を伝えてくれた人は、ありがたい事にたくさん現れてくれた。実はモテモテな僕だ。
悲しいことに相手は全員が男子だったけど。
女子は女子で、好意的な人も、僕を女子の仲間としてしか認識してくれない。
現時点、男子棟の中で僕を男として扱ってくれる人間は、今、遠い目で窓の外を眺めている彼。
有村一人だけ。
「有村。そろそろ選挙も大詰め、というより本番だろ? 敵がいつ、本格的に行動するか分からないし」
参謀的立場として有村を補佐するらしい役割に抜擢されたのが、僕だ。
我が校の生徒会選挙には少々特殊なルールが設けられている。学校側の、粋な計らいと言ったところだろうか。今年男子棟が建築され、共学制となった我が校。男子生徒の僕は、当然一年生。選挙に参加するのも初めてである。
まぁこれが珍しい制度で、とかくユーモアというか、遊び心があると言うか。
簡単に言えば……ゲームだ。
まず、生徒会長の立候補者がゲーム上、各チームのリーダーになる。
その投票者は立候補者の兵隊となり、自らが投票した人物を勝利に導くため、応援する。
ゲームの内容はその年に酔って多種多様。
かくれんぼやら、鬼ごっこやら。まぁ人数が多い方が有利になるということには毎年間違いない。
当然、票の多い立候補者は、ゲームに対して有利だ。
つまりはこのゲーム、『多くの票を手に入れたら勝ち』という多数決制度と、内実大した変わりは無い。
我が校は妙なルールがもりたくさん、だそうだ。
入学し一つの春を超えて、この破天荒さに僕もようやく慣れてきたところ。
「そういえば有村。先生がさ、明日転校生が来るって言ってただろ?」
教室の喧噪を背景にして、確認がてらに訪ねた。窓の外を見る。
一人でも仲間が増えるのはありがたい事だ。是非とも、生徒会総選挙に参戦して欲しい。
「言うな。どんなむさくるしい男が来ることか……。俺はおっぱいが欲しいんだ」
なにいってんだコイツ。
有村の顔をマジマジと見つめてみた。
高身長、顔立ちも鋭利な感じで綺麗に整っている。
無造作に分けた前髪。矢尻のように全てを射抜きそうな眼差し。
世に言うイケメンだ。死んでほしい。
勉強も人並みにはできるし、運動に関しては常軌を逸した能力を持つ有村。
頭の回転だって良いし、不真面目なりに友達思いなところもある。
そんな完全無欠らしいコイツにも、決定的な欠点が一つ。
「……ほぉ」
これほど神妙な顔で女子棟の更衣室を覗く人間、僕は彼以外に知らない。
「先生が言ってなかった? 『委員長は、転校生の為に足りない机を教室にまで運んで来い』って。次の授業は歴口先生だから、どうせ遅れてくるだろうし……今の内に持ってこいよ。授業中の今なら、取りに行っても途中で女子に見つかることも無いだろ?」
「なかなか立派な胸をしてるな。いいおっぱいだ」
「おい聞け」
「おっぱい?」
「違う」
その委員長というのが、目前の変態だとは……ましてや生徒会長候補だとは認め難い。
「あぁ分かってる分かってる。机と教室をここまで運んでくればいいんだろおっぱい」
「絶対分かってないよお前は!」
「そもそも覗きとは何なのだろうな……」
なんか語りだした。
「女が裸であろうとなかろうと、それは服を一枚隔てているか隔てていないかの違いだ、女のおっぱいがそこにあるという事実は何も変わらない、そこにおっぱいの存在を感じるだけで世界はエロい。なのに覗きはやめられない、そして裸の女を見ることがやめられない。これは何故か? 俺は考えた。分かり切った常識を打ち壊してくれる甘美と呼び換えるにふさわしい背徳感が俺を「話を聞け」
建築されて間もない男子棟は、この教室以外の殆どがもぬけのから。
予備の机などが置いてあるはずもなく、新たに取りに向かうなら当然、女子棟にまで足を伸ばさなければ。
もちろん僕は、行きたくない。
男子を、蹂躙支配踏みにじろうとする女子の巣窟になど……!
「さぁ行くぞ、矢琴。もちろんお前も一緒に来てくれるだろう?」
「やだよ」
「冗談は性別だけにしろ」
「はぅぁっ!?」
あれ、体に力が入らない。視界が意識の表層から離れるよ、殴られ……た?
体が、有村の力強く、躊躇の無い歩みに体を引きずられていく。助け……誰か……!!
できるだけ人通りの少ない通路を選んだ。
盗むようにして机と椅子を持ち出し、それぞれに持ち抱える。殴られたお腹は痛かった。
やっぱり憂鬱だな。早くこんな場所からは脱出したい。
抱えた椅子を、ひたすら見つめながら歩いていた。
椅子の両端を支え持つのは、採寸ミスでダブダブに余らせた袖に埋まりつつある、僕の両手。
選挙に関する戦闘は、暗黙の了解により休み時間中にしか許されていない。
授業中である現在は女子に襲われたところで、選挙に敗北することは無いのだ。
今年の生徒会総選挙に適用されたゲームは石とり合戦。
文字通り、相手の代表者が持つ石を奪い合うルールである。
石は失った時点で、候補者は当選権を失う。
最終的に石を自分の元に保持していた候補者が、晴れて次期生徒会長となるのだ。
僕が今現在心配なのは、選挙や石とりなどの関係ではなく、女子は男子を発見次第に襲うであろうという、男女間の現状。
ましてや女子棟内に男子がいるのを目撃されたとなれば……身も凍る思いだ。
「そういえば有村ってさ、女子相手には散々変態な癖に、僕には何もしないよな」
歩きながら、することもないわけだし、呼びかけた。
「それはつまり、お前はようやく自分を女だと認めるってことか?」
「そうじゃないけど……。でもほら、残念ながら僕が女みたいなのは確かだろ?」
「だから何だ。俺の性欲センサーもお前には機能しないんだ。理由など『俺に男色趣味が無いから』と言うに他に何がある。だってお前チンコ付いてるもん」
確かに付いてるけどもさ。否定のしようはないけどもさ。
「それはそうと、矢琴」
続けるようにして、奴が口にする。語るであろう話の内容は、選挙についての作戦会議だと察知していたから、僕は先に答えから切り出した。
「分かってるよ。今日は僕の家に来てくれ、会わせたいコがいるんだ」
「ほう……。一つ聞くが、そのコとやらは、『コ』と読んで『娘』と表記するのか?」
「……まぁ、読むけ「よし、行くことにしよう」
なんて不純な動機で人の家を訪れようとしているんだコイツは。バカなのか。
彼の瞳を見つめてみるが、その光に冗談や含みは全く感じられない。あぁ、バカだ。
有村は顔色一つ変えることなく、机を抱え直すと、しっかり進むべき道を見据え……。
と。
物音が聞こえた。
驚いた。頭から全ての穏やかが吹き飛んだ。
開けた廊下で迂闊に話し声をあげすぎた。もしや、聞きつけられたのかもしれない。
もしかすると、女子棟の人間に僕達の存在を感付かれ――
『男子です! 男子が居ました!!』
女子の声だ! 耳元で鐘を鳴らされるよりも驚いた。
急いで背後を向くと、こちらを指さし声を張り上げる女子が一人。
心臓に硬い毛が生えたかのように、胸がざわついた。
逃げなければ――
『そこの子!』
発見者の女子は、改めて、真っ直ぐに僕を指してくる。
『何で男子の制服を着て男子と一緒に歩いているんですか!』
「い、いや僕は……」
『さては男子に脅されているんですね! 大丈夫です今助けます!』
……誤解されている? チャンス? これは……助かるのか!?
残念だったな有村! これでどうも、僕の安全は確保されたらしい! フハハ悪役はお前一人というわけ――
「矢琴、女子を見てにやけるなよ。変態」
黙れ変態。
『なっ……あ、あなたが噂の氷川矢琴さんですか……!』
身じろぐ女子。名前で僕の性別がばれた……?
僕も、向こうも、息を詰まらせている。
遥か向こうに見える廊下の突き当たりから、騒々しい地響き。
何度も、選挙中に聞いた覚えのある音だった。
紛れもない、命の危機が僕たちに迫っている。
「この音は! 有村!」
「あぁ、来たようだな。……奴等が……!」
マズい、と思った時には遅かった。
突き当たりの死角から、各々の凶器を手に持ったわらわらと女子が、我先にと言わんばかりの勢いで姿を現す。対するは、それぞれ机と椅子を抱えた僕たち二人。
有村の表情に焦燥の色は見えない。悠然と、笑んですら見せていた。
恐らく状況を切り抜ける作戦があるのだろう。流石は生徒会長候補だ、今回は頼らせてもらうとしよう。
有村は言った。
「矢琴、ここに残れ。俺は行く」
「分かった」
ちくしょう。
心中で涙ながらに悪態づいて、隣の有村を睨もうと――
いない!?
「フハハハハハハハ!! 生きて帰れよ矢琴!!」
既に遥か背後を走っていた。迷いなく、僕を置き去りに。
『覚悟してください!』
その間もずっと、迫ってくる女子。
僕は動けなかった。
二度、三度、女子と有村を交互に見渡す。
有村、女子、有村……女子……。僕は女子に追いつかれれば、半殺しにされる。
「ェ……?」
ようやく自分が為すべき事に気付く。
「えぇ……!?」
迫る女子。僕があげるのは当惑の声。ちょ、殺され――背筋に逃走本能が駆け巡る。
「有村ぁ! 待って! お願いだから!」
涙が浮かんで、視界が歪む。
死なないために、僕は走った。