【第一話】超音速で残像を残し発せられる「死ね」
現在の僕たちは、絶賛戦争中である?
うん、である。
学園は、女尊男卑。女子の圧倒的多数によって敷かれた、男子に対する支配である。
男女という生き物は、どちらかが片方が多数なれば、少数は、肩身を狭く過ごさねばならならないんだ。そんな事実を僕は、この学校生活で、噛み締め味わってしまうほどに知った。
状況は深刻だ。大半の女子は、男子を目の敵として認識している始末。
もちろん男子は、のうのうとこのような支配を受け入れるはずもなく反旗を翻した訳で。
だから、絶賛戦争中。
休み時間という休み時間、学園内なら、ところ構わず繰り広げられる死闘。他校の安穏とした精神健常者に、あの死闘こそが我が校にとっての生徒会総選挙だと説明したところで誰が理解するであろうか。
「……」
今日も疲れたということで溜息をつきつつ、ようやく安息の地つまりはマイハウスに辿り着いた僕。ノブに手を掛けて、懐から鍵を取り――
……鍵が、開いている?
疑問を感じるが早くドアを引き開く。中に見えた景色は、見慣れた自宅アパートの玄関。
ただ一人、ちっこい何者かが……見通せる廊下に立ちつくし、こちらを見つめているという違和。
僕はこの何者かに、帰宅を待ちうけられていたのか?
「死ね」
え。
重厚な造りの玄関扉を開けば僕を包み癒してくれたであろう憩いの時間は、開始するまでもなく崩壊したらしい。
まさか、家に帰って早々に死ねなどと言われるなんて。バイオレンス。
「……?」
まじまじと、非日常の原因たる人物を見つめてみる。
誰だ。
女の子だ。
僕の欲求不満が生み出した幻覚の類だろうかいや違う。
確かに彼女はそこに居た。
後ろ手に手を組んだ、小柄な少女。背中にはリュックを背負っている。
読んで字の如く一人暮らしであるはずの僕に、こんな可愛らしい同居人がいるはずもないし。
見た目だけなら、小学生の高学年に差し掛かった年頃だろうか。
ふわりと結んだポニーテールを揺らしながら――
「死ねー」
ちょ、また言われた。
「思い出した? 私のこと」
思い出すも何も、思い出したら何なんだと言わざるを得ない。
どう考えてもこの子は、玄関で僕の帰りを待ち受けているべき人間ではない。
「何で僕の家に?」
靴を脱ぎ揃えつつ、呼びかける。正面に向き合った。
身長の差からして必然的に彼女の体躯を見下ろす形だ。
相手はこんな小さな子供だ、湧くべき危機感だって、湧くはずもない。
「と、当然でしょ! 私がここに居て何が悪いの?」
「まぁ、全体的に」
少女は依然、強気の態度を崩しはしないらしい。毅然というべきか。
可愛らしい顔をした子供なだけに、生意気なのが残念だ。
自分にロリータ的な趣向が無いことに後悔すら覚える。
見るもの全てを愛苦しさのままに魅惑しそうな、大きな瞳。
小さな手、体、鼻。
「……何か文句あるの?」
「あるよ普通」
「むー……!!」
じっと、見つめられる。さぁどうしたものか、この子供。
こんな状況に騒いだり慌てたりしないだけ、僕の順応性に感謝してほしいものだが……。
ひとまずは――
「警察か親に電話するか、どっちがいい」
僕が携帯を取り出すと
「ごめんなさい!」
なかなか従順な子供じゃないか。
肩に掛かるか、掛からないか程度の後ろ髪に指を通した。無論、自分の髪だ。
妙にさらさらしてて、女っぽくて、触れるたびに複雑な気分が起こる。
僕も男子の端くれ。
無論、短髪を望んでいるのだが、これがまた、僕に短めの髪型は悲惨なぐらいに似合わない。
そんな理由もあり仕方なしに髪を伸ばしているわけだが……。やはり女子に見間違われることは多々。
女子の癖に、何故男子用の制服を着ているのだと問われ問われ、指導室に連行された経験だって少なくない。声も高いし、体格にも角が無く丸っこいし、顔つきだって……残念ながら、自分でも女そのものとしか感じられない。
「ええと」
女の子を目前に座らせて、状況を頭に整理する。
「キミは玄関横の傘置きに隠してた鍵を使い、僕の部屋に侵入した。そうだろ?」
「てへ」
「警察か親に電話するかどっちがいい?」
「ごめんなさい! てへとか言ってごめんなさい!」
なかなか従順な子供じゃないか。
ここはリビング六畳一間。僕の一人暮らしにあたって、両親が与えてくれた部屋だ。
片隅には、彼女が持ち込んできたらしい複数のカバンが押し固めた状態で置かれていた。
比較的綺麗に片付いた部屋だろうと、自分でも思う。それもあくまで、健常な男子の感覚としてはだけど。
「お兄ちゃん、やさしくないね」
「もちろん」
「でもね、本当はお兄ちゃんが優しいってこと、初葉は知ってるよ?」
「それは大きな間違いだと思うから、今のうちに考えを改めるんだ」
「でも、お兄ちゃんはいつも優しかったでしょ?」
「……ん?」
意識が沈降する気がした。何言ってるんだ、この子。
だんまりと、ポーズだけでも考え込んでみせるが、思考が停止した頭に閃きなど都合のよい物が走るわけでもない。
部屋が静かになった。
窓から差し込む夕日に、宙を舞うホコリが反射する。
聞こえる音は衣擦れと、壁掛け時計の秒針が時を刻む音。
「ちょっと待て、僕はいつからお前のお兄ちゃんになった!」
お姉ちゃんと呼ばなかった点だけは褒めてやろう。
「ほ、ほんとに覚えて無いの!? お兄ちゃんはお兄ちゃんだよ!」
この子供は一体、何を言っているんだ。
瞳を見つめることで感じられる真摯さは、本物だ。
「僕がお前の、オニーチャン?」
「そう。残念だけど……覚えてないんだね。お兄ちゃん」
「うん」
顔面をどつかれた。
痛みにうずくまっている間、彼女は湿っぽい表情を取り返した。窓の外を見つめて、しんみりと呟く。
「……お兄ちゃんは、きっと、記憶がないんだよ」
何その衝撃の事実。
「だから初葉の事を思い出せないの」
「いや、一昨日の晩飯も思い出せ」顔面をどつかれた。
「お兄ちゃん、初葉の事……忘れちゃったの? 駄目だよ! 忘れたとは言わせないから!」
「忘れた」
「死ね」
なんで僕がこんなにも理不尽な目に。
「……お兄ちゃん、そんな人じゃなかったよ」
初葉と名乗る少女は諦めたように息をついた。途端に、訴えを繰り返していた視線を厳しく伏せる。
不機嫌、と言ったところか。
僕は散々痛めた顔面をさすりつつ、彼女に話を持ちかける。
「……冗談だ。忘れたなんて、嘘だよ」
出任せだ。
「思い出したの!?」
「あ、あー……。うん」
彼女が妹であることを、信じたふりをしてみよう。
正直、『優しい』などと言われる筋合いはまだ分からないが、彼女の顔にはまだ見覚えがあった。
そうでなければ僕がこれほど落ち着いて彼女に対処できるはずもない。
彼女は確か、女子棟における生徒会長立候補者の一人、玉垣奈乃沙先輩の妹だ。
先輩と一緒にいたシーンを、一瞬だけ目撃したことがある。
その時に聞いた話によれば、僕の一つ年下、中学三年生か。中学生の制服を着てるくせにやたらチビッ子だったもんだから、ここに来て思い出せる程度に、記憶には残っていた。
まぁ僕も、人のことを言えるほど立派な背丈は持ち合わせちゃいないし、むしろチビだけど。
とにかくもって彼女は、僕の妹なんかとは違うのは確かな事実。DNAの構造から出直してこい。
「そう、私、昔引っ越した初葉だよ! 信じて!」
生き別れ設定らしい。思惑はよく掴めないが、やはりのっておいても損はないだろう。
しかしまぁ、ここまで真剣に訴えられると、あからさまな嘘にも妙な信憑性を感じられるのは何故だろうか。彼女は恐らく、自分が僕の血縁者であると言いくるめて、取り入ろうとする魂胆なのだろう。なんて無理な思考の持ち主なんだ。
生徒会長総選挙に関する活動は学校外じゃ禁止されているはずだ。
奈乃沙先輩が妹にそんな指示をするとも思えない。
恐らく初葉の行動は、姉に内緒。独断なのだろう。
「……信じてよ」
僕の袖をギュッとつかむ初葉。モジモジと体を動かしつつ、僕の顔を見上げてくる。
「そしてお兄ちゃん……今日……泊まっていくからね?」
「何で」
「言えない」
困った。
「お兄ちゃんと暮らしてみたいの」
「理由は」
「言えない」
困った。
この子を奈乃沙先輩の家に突き返すにしても、家の場所を知らないし……。
先輩に対する連絡手段も無いし……。
さて、この娘、一体どうしてくれようか。