【エピローグ】僕から、皆から、皆へ、僕へ!
ようやく完結を迎えるこのラブコメ。
馬鹿らしい選挙を通じて、皆が仲良くなってしまいました。
最終部分にして、作者が一番気に入っていますエピローグです!
僕の降参をもってして、今年度の選挙は終了した。
締めには、男子全員で有村を懲らしめた。
この判断が間違っていたとは思わない、有村の野望を叶えるよりは、降参して何も変わらない日々を送る方が、幾分も幾分も幾分もマシだ。それに、まぁ。選挙の中で培った仲間意識やら、関係やら、そういうものは確かに僕たちの中に残っているんじゃないか。
「お兄ちゃん、寝ぐせ酷過ぎだよ、髪ボサボサ」
早朝午前六時。朝は全てが淡かった。
僕は牛乳の注がれたコップを片手に、玄関で佇む初葉を、見やる。
ついに初葉の奴、帰ってしまうそうだ。
半ば喧嘩状態だった奈乃沙先輩とも、仲直りする決心がついたとか。
あぁ帰っちゃうんだなぁ。何だか、心が萎むような気がするのは、気のせいか。
「結構寂しいよ。今まで、たくさんありがとね? お兄ちゃん」
「……まぁ、うん。意味の分からん妹を抱えることになって、本当に大変だった」
初葉は宿泊用の荷物を全て詰め込んだらしいカバンを背中に抱えている。
僕より小さな体のどこに、そんな力があるのか。僕にはまず持ち上げられないと思うが。
「お兄ちゃん、初葉が家に帰って決めた理由、知ってる?」
「ん? 先輩と仲直りするからじゃ……?」
「うん、それもあるけど、何よりもの理由は、初葉がお兄ちゃんを認めたからなんだから」
「は、はぁ?」
「初葉とお姉ちゃんが喧嘩した理由はね、お姉ちゃんがお兄ちゃんの事を好きになったのが始まりなの」
「……」
「お姉ちゃんは私に恋の相談をしてくれて……妹の私としてはさ、それが何となく気に喰わなくて。姉を取られる気分だったから」
「……だったから……?」
「なんか反発して出てっちゃった」
ここに来て頭の中を更新しなければならない事実を語られてしまうとは、思ってなかった。初葉は何だか恥ずかしげに、靴を玄関の床になじりながら、ちょっと俯き気味に話を進めてくる。
「お兄ちゃんに近づいて、今のお兄ちゃんがお姉ちゃんにふさわしい人間なのかどうか、確かめようと思ったんだ」
「近づくにしても手段が強引すぎるだろ……」
「でもお兄ちゃんは初葉を泊めてくれたでしょ?」
それが全てか。妙に張り詰めた力が、抜けて、世界が広くなったようなどうでもよくなったような。これが馬鹿馬鹿しい気持ちなのか、それとも真剣なの気持ちなのかは分からないけれど、いいんじゃないか、とは思った。
「最初は死ねって思ってたけどね。お姉ちゃんのことも、お兄ちゃんのことも、許す気になれなかったんだけど。……なんか頑張り屋さんだよねお兄ちゃんって。選挙でも一生懸命勝とうとしててさ。じゃあそれならって、お兄ちゃんが選挙でお姉ちゃんに勝てるような人間だったら、私も認めようと思ったんだ。気づいたら、お兄ちゃんが勝てるように自分から手伝うようになっちゃった」
「……僕、負けたけど?」
「でも特別に認めてあげる!」
一際光る笑みに顔を輝かせて、初葉は僕の両肩を掴んだ。引きよせて来た。
顔が近くなると、とたんに、ぞっとした。彼女の笑顔が消えて、硬くなる。
「だから絶対に、お姉ちゃんと付き合って」
「え?」
「付き合わなかったら、絶対に許さないから」
「絶対に許さないって……具体的には何なんだよ」
「最悪殺す」
「!?」
投げ出されるように、解放された。初葉は、舌をチロッと出して、僕に背を向ける。
最後に悪戯っぽく笑ったまま、顔だけこっちに。
「じゃあね、大好きだよお兄ちゃん」
彼女が家に帰るためのドアが、開かれた。
差し込む朝日は、牛乳みたいに白かった。気持ち悪いくらい白い朝。
妹は白さの中に、去って行ったんだ。
ダメだろ絶対。と、僕は思った。締まろうとするドアにすがりついて、外を覗きこんだ。
初葉が歩んで、このアパートを去ろうとしている。僕に見えるのは、初葉の後ろ姿。
「ま、また会おうな!」
振り返って、後ろ歩きのまま、初葉は手を振ってくれた。
小さな体をぐっと伸ばすように振ってくれた。
安穏とした日々だろうが選挙の日々だろうが、学校に向かわなければならないという事実は変わらない訳だ。校門を超え、道行く数々の生徒達。誰にも、選挙による交友の広がりは少なからず経験したようだ。時には、仲睦まじく登校する男女の姿すら見受けられた。全く恨やましい。
……誰がどんな働きかけをするわけでもなく、誰もが、仲良く、楽しく、なっている。悪い気持には決してならなかった。
死ぬほど爽やかな視線が、二度寝の寝ぼけ眼を刺しやがる。
生徒玄関に足を踏み入れ、下駄箱を開いた。
「……?」
日常にひょっこり姿を現した違和感に、目を疑った。非日常だ。
閉塞されていた空間の中で、内履きの上に可愛らしくその身を乗せていた、純白の便箋。
「こ、こここれ! これって!?」
目にした途端、心は短絡的な驚きと喜びに心臓が跳ねあがった。
だって、ラブレターだ。純白の便箋だ。これでもかってくらいの、ピュアな色だ。神秘的な光景。僕は音をたてて生唾を飲みこんだ。
迷わずに、尚且つ、恐る恐る便箋を取り上げ、両手に持った。喉と手が震える。静まらない胸に手を置きつつ、一先ず便箋を裏に返した。どうも差出人の名前が記されてい――
「……無い」
返しても、くまなく探しても、名前と思しき文字列は一切見当たらなかった。炙り出しで文字が浮かび上がるのか? いやまさか。周囲の視線から隠すようにして、僕は便箋に封された手紙を取り出した。
至って可愛らしい、花の模様が渕に描かれた手紙。
『放課後、女子棟の屋上に来てください』
これだけだ。差出人の名は無い。……これが男子からの手紙だったら……僕はどうするべきだろうな。花模様の手紙を使うような男だぞ……。
期待を感じるように自分を強制しつつも、半ば諦めている気持ちはあった。
自分を更に諦めさせるため、今まで経験した全く同じシチュエーションを頭の中で数えてみる。……十二回だ。その十二回中、十二回が男子の告白だった。
「……行くだけ行ってみるか」
期待せずに、時を待つとしよう。ポケットに便箋をねじ込みつつ、僕は非日常からの帰還を遂げた。
授業が始まる直前、つまりは休み時間も終了に近づいた頃。真面目に鐘が鳴るのを待つ生徒なんているはずも無く、男子棟は今日も騒がしい。
中でただ一人の女子、鈴音子さんは最近手芸と速読に凝りだしたらしい。彼女にベタベタと寄り集まってくる男子は、やかましいです邪魔です! と追っ払われてはまた寄って行く。
僕は窓辺で、有村と二人。転落防止用の手すりに背を寄り掛けて、ただ時間が流れるまま、話しこむ。
突如。
「矢琴。脱げ」
「え?」
隣に立つ、有村が言った。
「はぁあああ!?」
「この世に絶対は無い。何物の事実も、観測するまでは不確定なものだ」
「だから何だよ!」
「お前はもしかしたら女かもしれないし、女ではないかもしれない。ふと考えたんだ、実は矢琴、お前は自身が女であることを隠して男を貫き通しているのではないかとな」
「絶対あり得ない! 昔風呂入った時に僕が男だってことは確認しただろ!?」
「俺と風呂に入った以後にお前の体で何らかの変異が起こったかもしれない。女体化している可能性とて、無きにしも非ず。未だ科学でも解明されていない神秘がお前の体内で引き起こされているかもしれないだろう。だから脱げ。何を恥ずかしがることがあるんだ。お前は常にブレザーとシャツの下では裸丸出しなんだぞ。既に裸のようなものじゃないか」
「何だよその無駄な説得力は!」
有村は変わらずこんな調子だ。まぁこんな彼も、流石に選挙終了後は『反省する、もう懲り懲りだ』と、僕達を安心させる発言を残していたが……。
翌日からはまるで何事も無かったかのような顔であるから、良かったような悪かったような。選挙に敗北したショックを受けた様子すら見当たらない。
昨日だか一昨日だか、例の最低な公約について問い詰めてみたが……奴は何ら悪びれた様子も見せずに『伝え忘れた』と一言。
実際、あの妙な公約を直に話を聞かされていた人間は、選挙立候補時に際して立ち会ったソラと奈乃沙さんのみ、らしい。ソラに熱烈な反対を受けたそうだが、その場では逆に言いくるめてやったそうだ。少しくらい気楽にやれ、生徒会長自身とて、生徒会が尊重すべき一生徒には変わりないだろう、だから、少しくらい私欲に走った公約をお前も考えてみたらどうだ。と。
……何故その結果として、ソラが僕を女子棟に引っこ抜こうと思い至ったのかは甚だ疑問だが。まさか僕の事を好きだからとか? と考える敏感な思春期少年らしい僕も心の中には居たけれど、すぐに有り得ないと思いなおした。彼女は、幼馴染だ。ずっと友達だったんだ。異性として意識するなんて、あっちゃいけない。
「矢琴、俺は最近お前が、可愛らしく見えてきた」
なんか危ない事を口走った有村から音も無く遠ざかった。
駄目だ、奴と目を合わしちゃいけない。気が狂う。
大人しく自分の席に腰かけようと、椅子を引きずり出したその時だった。
「矢琴君」
鈴音子さんだった。トコトコ。
紙袋に入った何かを抱えたまま、駆け寄ってきた。その何かを、両腕で突き出してくる。
「これを進呈します!」
「え?」
恐る恐る受け取ってみたが、ドッキリの類ではないらしい。
さりげなく、袋の中身に目を通してみた。
毛糸の、何やら不格好な、ピンク色の手袋が、一対。
「作りました! 矢琴君には選挙中、色々お世話になったから……手袋は矢琴君にって」
彼女の遠く背後で、鈴音子さん派の男子達が僕を睨んでくるのだがどうしよう殺される。
しかしまぁ、素直にプレゼントは嬉しいことだ。嬉しい。
ただ一つ、問題点として、今の季節は、夏の手前ということがあって。
「あ、ありがとうな」
「凄く良い出来だと思います! 凄いです私! こんな良い手袋なんですよ? ね、ね! 是非今度、着けてきてくださいね!」
えぇえええぇ……。
これはどう応すればよいのか……。明日学校に着けて……く? なんかそれじゃあ僕が可哀そうな人じゃないか。
「そういえば鈴音子さんって、女子棟に転入はしないのか?」
もう逃げたかったから、話を逸らした。
「しませんよ絶対。今でさえ、女子棟に足を踏み入れた瞬間に奈乃沙からつけまわされてるんですから」
「……大変だな、お互い」
「それに男子の皆さん、ちょっと意地汚いところはあるけど、何だかんだで良い人ですから。私はここが気に入ったんです!」
後ろ手を組み、彼女は楽しそうだ。嘘偽りはないと確信できた。
嫌じゃない。むしろ嬉しい。なんか意識して初めて、自分が笑っていたことに気づいた。
「というわけで、これからも色々一緒に、頑張っていきましょう。迷惑掛けますよ」
「……あぁ」
「そうそう。後でクラスの皆さんにも手袋を編んでこようと思うんです! 全員分!」
皆で可哀そうな人にされてしまうらしい。
まぁ悪くないんじゃないか。てか、良いんじゃないか。
胸の中で凄く滑らかな、桃色のハートが形作られたような気がした。良い意味でドキドキした。嬉しくて。嬉しくて。
「うん」
凄く綺麗に笑っちゃった、かもしれない。ハズい。
いっぱい普通だった。授業中有村は寝ていたし、鈴音子さんはずっと何かしらの練習を続けていたし、通人はメガネをしていたし、休み時間は騒がしい。ただそこに、選挙という争いは無かった。全てが時間と共に過ぎ去って、全てが一瞬になることを哀愁と感じる。時刻は放課後。僕は下駄箱に書かれていた手紙に従い、女子棟の屋上を目指している。
鈴音子さんがどこ行くんですかー、なんか怪しいです、としつこく付き纏ってきたわけだが、僕が女子棟に入ると知ってそそくさと退散してくれた。
女子棟は以前よりかは幾分も幾分も増して、入り易い環境だ。僕の姿を見るや否や、手を振ってくれる人さえいる。
「「……あ」」
廊下でバタリ、奈乃沙先輩に遭遇してしまったのはどういう偶然だ。鈴音子さんは逃げて正解だったな。
相変わらず綺麗な人だ。欠点を探すことの方が難しいような、彼女を見ると、人って不平等だなぁとしみじみ思わされる。
ただし、その美貌に媚びる様子の無い彼女は、無表情のまま、僕の前で立ち止まって。
「初葉が、帰って来たの。今まで面倒掛けて……ごめんなさい」
よかった、ちゃんと帰ったのか。
「構いませんよ。本棚は漁られちゃったけど、全然楽しかったです」
「あの子私に……絶対私とキミには付き合ってほしいって」
「そう言ってました?」
「言ってた」
彼女は、息をつけると、何とも言えぬ笑みに、口を緩めた。
普段の表情にはまるで似合わない顔。
今に、にゃあ、とでも口走っちゃいそうな。蕩けたような。
「私と、仲良くしてくれる?」
「……それは、はい」
「付き合ってくれる?」
「……それは、駄目です」
じっと、前のめりに見つめられた。整った目尻が、眉が、瞳が、僕を圧していた。
「キミの事を、男の子だと見れるように頑張るから」
「えっ?」
「男の子を好きになれるようにだって、頑張るから」
まだ、じっと見つめられた。直後に、先輩は控え目のくしゃみを飛ばす。
「アレルギーなんか克服するもん……」
少しおかしくなって笑ってみたら、くしゃみ直後の、瞼を薄く開いた目で睨まれた。
『奈乃沙さんの影は何処へ……』
遠くから、彼女の名前を呼ぶ男子の声が微かに。聞きなれた声の色、恐らく通人だ。
「!?」
先輩の動きが、人知のソレを超えた機敏さを。様になるようなキレの良い足音を立てて、僕の隣を横切り、走り去る。
「逃げるから、それじゃ」
「ちょ、えっ」
まともに体が反応できる前に、逃げられた。別れの挨拶すら告げられなかった。
彼女が階段を降りていく様子だけは、耳で把握できる。
通人に少し、憐れみを持たないでもない。
『……まぁ、いいか。よしこれで、奈乃沙さんの気持ちもずいぶん僕に傾いたはずだ』
通人の独り言に、少し、納得した。全て察することができた。
奈乃沙先輩も、通人に対して、男子に対して、頑張ってくれているらしい。
『男の子を好きになれるようにだって、頑張るから』
彼女は確かにそう言っていた。
今日の奈乃沙先輩は、通人のことを少しでも受け入れようと、努力してみたらしい。それだけは分かった。
彼女が男の子を好きになれる可能性だって、ゼロじゃないだろう。
屋上への扉を開く前に、今一度、手紙を読み返してみた。
文面によれば、『女子棟』の屋上に来てくれ。とのことだ。
黙考する。男子が、わざわざ同じ棟の生徒を女子棟に呼び出すとも考えにくい。
……改めて考えなおせばやはり、相手は女子なんじゃないか。いや、油断はできない。
今までも女子を装って同じような手口を使った輩を、僕は経験しているんだ。
軽い、とても軽い、屋上に続くこのドアを開くか。
僕は悩んだ。ここを開けば待つのは……何だ。
元より、見極めるしか残された道はないんじゃないか。
「よしっ!」
覚悟を決めて扉を開けば、爽快な風が体に吹き付けた。屋上のアスファルトを、僕は踏んだ。限りあるマス目の大地。マス目の大地を超えた向こうには、遠く小さく見える町。空を飛んでいるのかと一瞬思わされるような景色。
「……!」
僕を待っていたその人の、背中が見えた。明らかに女子だ。今までの悩みは何だったんだ。心臓がボンといった。本当に、本当に女子だ……! ついに……念願が!
「あ、あれ?」
小さな鏡をしきりに見つめているらしい女子が、違和感に気づいたらしい。
振りかえってきた。見える横顔、キョトンと、丸めた目。
「え……?」
間違いなく、彼女は澤田ソラであると、僕には見えた。
目を凝らしても、こすっても、やはりソラだ。嘘だ、信じたくない。
「ソラ?」
「!?」
状況を理解したらしいソラが、手に持っていた手提げ袋らしき物を僕から隠す。
何をしていたのか、何を持っているのか、それはさしたる問題ではなかった。
僕の胸は高鳴るというか、いや高鳴っているけれど、どこか落ち着く。
「何やってんだソラ」
「……な、なな、何でも無いよ!?」
必死だ。
歩み寄れば後退られたが、軽く追いついてみせる。
正面のすぐ目前で向き合った、僕たち。
会話は、切り出しにくくありながら、重くありながら、ボールが弾むようだった。
「手紙、書いたのか?」
「さ、さぁ、知らな――」
「お前が書いたのか?」
「うん」
あぁ決まった。このまま屋上から身を投げたい。
何こいつ、何だよこいつ。何が屋上まで来てくださいだよ、ありえないだろ。
「僕に告白、するのか?」
「し、しない!」
「しないのか?」
「する……」
どっちだよ。
引き攣った顔で、彼女は後ずさるばかりだった。
だから、彼女に追いつこうと、僕が歩む。
次第に彼女の顔が赤くなっているのは見えたけど、それでも歩む。
フェンスに彼女の背中がぶつかって、いよいよ逃げ場は無くなった。
「僕のことを……その……あれなのか? そういう風に思ってるのか?」
流石に言い出しにくかった。
「……」
「……」
彼女は無言のまま、素早く二度うなずいて意志を伝えてくる。
「何で手紙のこと、バレてるの……? 私、書くだけ書いて、出さなかったよ?」
「この期に及んでとぼけるな。手紙は確かに俺の下駄箱に入れられてたんだ。事実だろ」
「……う、うぅ」
彼女は目じりに涙をためつつ、フェンスに頼りきりだった体を、直立させた。
俯いて、気弱に。常に体の一部をせわしなく動かして、ずっと風を受けるだけ。
時間は経つ。経って、覚悟の為に止めていた呼吸が、苦しくなるくらい。
「好き」
ぽつり。
ソラが俯いたまま、言っていた。
「え?」
聞き返し――
「好きです!!」
叫ばれた。
一つの空白。僕の心も、頭も。
「……好きなの」
そして、胸の辺りを刺激する気持ちが、凄い勢いで流れ込んできた。
濁流のようになる。本当にこいつは僕のことを好きなんだ、この声他の奴に聞こえてないよな、俺も好きだ、無理だ、俺とソラがそういう関係になるのはあり得ない。
慣れないことだった。情けないことに、終いには「……あ……うん」覚悟もついていないのに、状況を認める声が漏れた。
相手がソラだと分かった瞬間、心に余裕を保ったまま告白を受けることができるだろうと考えていたんだ、そんな馬鹿すぎる自分を殺した。
「……いつからだよ」
「……さぁ。昔から」
信じられなかった。昔っていつだ、縁日に行った時か、中学校の入学式か、僕と有村と三人で遊園地に行った時か、カラオケ行った時か、家で間違えてお酒を飲んだ時か。
そうか、女の子だったんだ。彼女は。
「好きなのか」
自然と、口走っていた。
「真剣なの、本当に好きなの。矢琴は可愛くて……真面目で、頭もよくて! 一生懸命で! 優しくて! 友達思いなの!!」
言葉を発するたび、彼女の声が強まり、そして俯いた顔も、上がっていく。手提げの袋を両手で腰元に提げ、目を強く瞑りながら「だから好きなの!!」叫んでいた。
泣きそうだったけど、泣いてなかった。動作も言葉も一つ一つが、僕を刺した。
「……本当に、大好きです!!」
何かを振り切ったらしいソラの勢いは、止まりそうにない。
彼女の方から僕に近づいてきた。僕が後ずさって、ただ圧されていた。
彼女は、立てた人差し指を僕の胸に突き付けながら、勢いも新たに。
「真剣に好きで、伝えてみたの!」
「……あ、あぁ、うん」
「わ、悪い!?」
「悪いって……何でそうなるんだよ」
「だって……! 矢琴がバカなんだもん!」
「は、はぁ!?」
「昔から好きなのに全然気付いてくれないじゃん矢琴!!」
「は、し、仕方ないだろ! ずっと昔から友達だったから、そういう関係は無いだろって思いこんでたんだよ!」
「そこが駄目なの! 私ずっと頑張ってきたんだよ!? 矢琴の趣味とか、好きな物とか、ずっと一生懸命知ろうとして、なんか色々……そのっ……!!」
止まらない言い合い。
「これだって!」
ソラは急いだ様子で、手提げの袋から見慣れぬ何かを取り出した。僕に突きつけてきた。
カチューシャ……である前に、何やら目を引く装飾が。ふさふさと、柔らかそうだった。
ネコミミ? 驚いた、彼女がこんなものを持っているなんて……。
「買ったの!」
あ、あぁ、そうかよ。
「……」
「……」
「……」
「……」
空気を気まずく染め上げるに十分な沈黙が流れる。僕には到底理解できなかった。
これが、彼女なりに調べ上げた、僕好みなのか。
何なんだ。
交錯する考えに答えは出したくなかった。
黙って、黙る。時間に比例して、彼女の顔が赤くなっていく。
ずっと僕にネコミミカチューシャを突き出した姿勢で、ひたすら赤く。
「ソラ」
「……え、え?」
「ばか」
「……うん」
ようやく手を引っ込めて、口を真一文字に結んだまま、僕と瞳同士で通じあった。
「着けてみろよ」
「やだ」
「着けたらその瞬間から、お前を女の子として見ることにする」
「そんなぁ……!」
早くしろと急かせば、彼女はおどおどとした、まるでオバケに触りに行くような手つきで、カチューシャを頭の部分にまで持ち上げる。
本当にゆっくりだった、どれだけ待ったかも分からない。
彼女は意を決したように僕の顔を見つめ直すと、ネコミミを……装着した。
「どう……かなぁ……」
泣きそうになりながら、僕に返事をせがんでくるネコミミ少女。
正直、彼女の事を可愛らしく感じる僕がいた。視界を通じて、彼女に胸を突かれていた。可愛過ぎて、強く触りたかった。少し声が漏れて、表情にも出ていたかもしれない。
でも、正直になれるだけの度胸は無いから
「悪くないな」
そんな言葉でお茶を濁す。
「……知らないもう絶対着けない矢琴のが絶対可愛い、うん、今度は矢琴が着けて」
「絶対に嫌だ」
会話に余裕が生まれれば、噴き出すような笑いがあった。
告白か、どうしようかな。笑いに揺れた顔が、空を見上げる。ちょっと考えてみた。
今まで女とも思わなかった人間と付き合うのって、そりゃあ時間がかかると思う。
ちょっと伝えたいことが何なのか分からないけれど、即興で彼女に、何か言ってみよう。
笑顔で、ソラを見つめてみた。ソラもただ、僕を見つめていた。
意は……決したんだ。
「僕は――」
「ん? ソラか? ほぉ、ネコミミなんぞ付けやがって」
「!?」
唐突に言葉を指し挟まれて、何も言えなくなった。それ以上に、この場に誰か、僕たち以外の第三者がいるのだ。気付いて、喋りかけの喉がひくついた。
雷のような速さで振りかえる。一体誰が……!
「よう」
居たのは、長身。
有村だ。
「しかしソラ、こんなところでお前……何をやっていた?」
奴はニヒルに笑うと、ポケットに手を差し込んだまま、空を眺める。
やはり有村だ。……有村に、ソラのネコミミを……見られた。
「よーくん……?」
「似合ってるぞソラ。正直、信じがたいほどに可愛らしい」
「え? あ、や、やだ! だめ! 見ないで!!」
「にゃあって言ってみろ」
「にゃ、にゃあ!」
言うなよ。
紅潮するソラの顔は、あぁ恥ずかしすぎて冷静になるなんて不可能なんだろうな、と、傍から見ていて理解出来るような……凛の一字からは正反対を爆進している。
「恥ず……や、やだ……やだ!」
僕が感じたのは、突き飛ばされた衝撃と、遠ざかっていくソラの声。
「やだぁあぁああぁああぁあああ!!」
……瞬く間に、ソラは去って行った。ネコミミを付けたまま、再び校舎内の中へ。
彼女の叫びが校舎内で反響しているらしく、ぐわんと、聞こえてきた
次第にそれも無くなっていく。
「矢琴……ソラの奴、こんな場所で何をしていたんだ?」
「お前が何だよ!」
取り残された僕と有村の、安らかとは言えない会話。
「そりゃお前……」
有村は両脇に軽く手を差し出して訴えてきたが、疑問は自己解決したらしく、やめた。
「あぁそうか、差出人の名前を書くのを忘れていたかもしれない」
「……?」
「俺だ」
「嘘だ」
「いや俺だ」
「だから、今日も言っただろう? 最近お前が、可愛く見えてきたと。ここはそろそろ、俺も正当な求め方を学ぶいうことでだな……手紙を」
じわりと視界が歪む。
「ふざけんなぁああああああぁああ!!」
有村の声を遮って、僕は走った。逃げた。大地のマス目、目前の景色が、速く走るだけ速く、流れていく。逃げるんだ、こんな屋上飛び発ってやる、と叫べそうなくらい、速く。
こみ上げる涙が消え去るくらい速く、走った。
何がどうしてこうなった。僕のこれからはどうなるんだ。何も見えなかった。
「逃がさん」
「!?」
腕を掴まれた。
「ようやくお前を捕まえる事が出来た」
「ひぃっ!?」
「……フ、一生大事にしてやろう。墓まで連れて帰る覚悟で可愛がってやる」
「や、やめて有村! ちょっと、本当に!!」
「大人しくしろ……さぁ楽しもうぜ」
「やだ、やだやだ!! た、助けて! 誰かぁああ!! ソラぁああ!!」
僕は、男なんだ。女じゃないんだ。いくら叫んでも、声は無駄に虚空へ通るだけで、騒がしい学園の空気に吸収されるだけで、全く意味を成さなかった。
振り切って逃げた。
走りながら顔を振りかえらせれば、有村が追いかけてくる。
すごい追いかけてくる。
やばい怖い捕まるっ!? てか殺される!
手刀の如く固めた手を、目を見開きながら猛然と、足と共に突き出してくる。
「待てあぁあぁああ!!」
「こ、怖いよ! やだ、やだぁ!! 来るなぁ!!」
平和な日常って、何だっけ。
今が楽しいか楽しくないかと言われれば、そりゃ、楽しいけど。
走りながら、心の端とか奥底で、ぼんやり想う。
どうにでもなーれ、なんて自分を見失った暁こそ、負けなんだろうな、と。
「助けてぇ!!」
こんな日常も、面白いかもしれない。
でも、あれだ。
絶対に、負けは許されないだろうな。
オンナオトコの乱、完結です。
いかがだったでしょうか、お楽しみいただいたなら、幸いです。
少しでも笑ってくれたなら、この場でお礼を申し上げます。
さてこの作品。
オマージュ先であるライトノベル、『バカとテストと召喚獣』から様々な物を頂きました。そんな中でも、少しばかりは僕なりのオリジナリティ的なものがにじみ出ていれば、と画策しています。もっとも、そんな大層なものでもありませんが……。
今回の作品は、僕自身元々、バカテスにあったような『試召戦争』のようなギミックは、一切抜くことと決めていました。
ギミックを抜いたバカテスから、紋切り型にしたシナリオ、純粋なラブコメ、キャラクターのみの要素で、どこまで行くことが出来たでしょうか。
萌えというものを、感じて頂けたでしょうか。
何はともあれ、言葉を伝えさせていただきます。
読了していただき、本当に、本当にありがとうございました!
それにしても。
ここまでラブコメらしいラブコメを描いたのは初めてですね……。
僕は元々、明るい作品を書くとしてもどこかしら必ず、陰の要素を持たせる癖があるのですが……。この作品に関しては、完全に明るいものだけで書き上げることができました。少し雑な作品であるとしても、書いていて、僕自身が凄く楽しむことが出来ました。
少しでも読者の方に幸せを届けることが出来れば、と思います。
この先も、本文の外で物語が続いていきます。
選挙以外を題材にすれば、まだまだまだまだ、話ができあがります。
果たして次は、この学校で何が起こるでしょうか。遠足編……なんてのも考えたことはありますが、お届けできる日はいつか来るのかな……。
一つでも続きを妄想していただけるなら、作者としてそれほど嬉しいことも無いです。本当に本当に、読んでくださってありがとうございました。
ちなみに、作者が好きなキャラは鈴音子さんと奈乃沙先輩です!
ちょっと恥ずかしい告白ではあるけれど、そんな暴露で、このあとがきを締めさせていただきますね。
よろしければ、僕が書いた他の作品にも目を通して頂ければ、と思います。
頑張って、面白いもの書いてみせます!
ではでは、ここまでお付き合い頂き、ありがとうございました!
それではー!