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【第九話】空から文房具が降ってくる学校

プール後の話にしては、何とも急な展開かもしれません。

今後、選挙関連の話よりもラブコメベースで進んでいく予定です。

 一夜明ければ相も変わらずの選挙風景。


 校舎そのものが「わーわー」、声を上げているようだった。

 騒がしい風景の中、僕は身を低くして女子棟を忍び歩いている。

 有村の発案で、僕は再び女子制服を身に付けることとなった。せめて少しでも、女子達に敵と悟られにくくなるよう、だそうだ。

 スカートの感触は、僕にとっての悪夢だ。また穿かされるとは……。

 初葉にこの姿を目撃された際に受けた、蔑んだ眼差しは……忘れるに忘れられない。


 今日の僕は囮、兼、スパイの役柄だ。石は有村に預けたまま。敵として発見されにくいであろう鈴音子さんと初葉の二人を連れ、ひたすらに女子棟を練り歩く。

 通りかかった角の死角からふと、女子達の話し声が聞こえてきた。身を潜める。

 しゃがみつつ、角から敵の様子でも伺おうかと考えた矢先


「お兄ちゃん?」


 背中に降りかかるのは初葉の声だった。


「何だ?」

「お兄ちゃんは、やっぱりお姉ちゃんと闘うの?」

「……そうだな」


 否定はできない。僕はいつか、彼女の姉を攻め、石を強奪しなければならない。

 全ては、男子の地位向上のため。女子連中に、男子の存在を見改めさせるため。

 ……負けるわけにはいかない。例えそれが、初葉に姉を討たせる結果になったとしても。


「頑張って! お姉ちゃんのこと、ぶっ潰しちゃってね!」


 えっ。


 初葉は、胸の前で拳を作り、荒く鼻息。なんだよ、そのやる気。

 いったい初葉は、何を考えているんだ。結局は敵のスパイなのか、僕の味方なのか。


「そうです! 奈乃沙なんかぶっ潰しちゃってください!」


 更に初葉の背後でやる気に満ち満ちた人がいるから困ってしまう。目標が一致したらしい鈴音子さんと初葉が、顔を見合せて「ね」と、綺麗な結託を見せるのだった。


『あ、ソラさん! いよいよ行くんですね!』


 角の向こうから声が。……ソラ?

 耳に入った名前に、意識を持って行かれた。

 仲間二人の談笑を他所に、僕は一人、死角からほんの少しだけ顔を覗かせてみる。

 ……やはり、本当にソラがいる。

 統率も適度に、女子を十数人引き連れ、神妙な面持ち。緊とした雰囲気を和らげるようとしているのか、楽しくなさげなものの、柔らかく笑みを浮かべていた。昨日プールで泳ぐ泳がないと騒いでいた彼女とは、同一人物のようであって、別人にも感じられる。 


『うん、みんな協力してくれてありがとう。もう私も覚悟したから……今日で……有村要也率いる男子達全員を、私たち全員で一気に、終わらせてみせる』


 その言葉に息を止められた。

 僕に対する宣告でもある。黄色腕章全員が、一気に終わらせてくる?

 ショックを受け入れた瞬間に、僕の頭が計算するのは数字だった。

 支持者数は、有村率いる赤腕章が三十一名。ソラ率いる黄色腕章は百八十六名。

 奈乃沙先輩とお互い警戒しあって、ソラが僕たちだけにかまけてくることはほぼ無いだろうな、と、確信していたはずだった。

 やはり息が、詰まる。


「何やってるんですかー? 矢琴君」

「ぐっ……」


 僕の背中にのしかかられた。鈴音子さんが僕の上で、角を覗き込んでいる。

元気旺盛だなおい……。この前まで責任感じて落ち込んでた奴はどこのどいつだ。


「私もー」

「ぐっ……!」


 更に初葉の来襲である。更に上乗ってきたようだ。辛い。

掛かる体重は二人分、恐ろしき重さ。床を突いて細かく震えた僕の腕。

 こんなことをしている場合じゃない、早く有村に……ソラの目的を報告しなければ。


「ソラ……お姉ちゃん?」


 声をあげたのは、初葉だった。

 ふっと背中が軽くなる、何かと思う前には、初葉が廊下に飛び出していた。 


「久しぶり! ソラお姉ちゃん!」


 何のつもりだ。あまりにも堂々とした姿勢で、ソラの前に姿を現している。

 地の底から湧き立つような、ザワリ、が廊下に波打った。

 初葉はひたすらに笑顔で、ソラに向けて駆け行く。

 声に呼ばれたソラがこちらを見る。僕がマズイと感じるのは、至極当然だ。

 初葉を引きもどす余裕も無く、鈴音子さんごと、身を死角に引いた。


『えっ、あれ? ……もしかして……初葉、ちゃん?』

『うん!』


 戸惑うソラに、頷く初葉。姿は見えずとも、想像できた。

 ソラは初葉のことを知っている? 二人は知り合い? 分からなかった。何も。

 気にしてはいられない。僕はやれることをやるだけだ。……それだけ頭に叩き込む。


「鈴音子さん。伝達、頼まれてくれるか? ソラが攻めてくることを有村に教えるんだ」

「……え? あ、は、はい」


 ここから有村の居る男子棟を目指すには、ソラ達女子が屯する廊下を突き抜けなければならない。詳しい事情は分からないが、初葉がソラの注意を引いている今がチャンスだ。


「急ぐぞ。遠まわりはしてられない。ソラのいる廊下を突っ切る」

「ちょ、ちょっと!」


 鈴音子さんに心の準備期間を与えている暇はない。

 敵の本隊はどこで有村達を狙っているか、分からないんだ。

 彼女が伸ばした手を振りきって、僕は身を起こし、ソラに向かって駆けだした。

 鈴音子さんには否が応、自分で状況に適合してもらうしかない。


「ソラ! そこどけよ!」


 呼べば、廊下の誰もが僕を見た。

 初葉だけは、ソラの目前で後ろ手に腕を組み、笑っているばかり。


「や、矢琴……!? え? え?」


 ソラの混乱を、僕の思考は一直線に貫くばかり。


「鈴音子さん、行け!」

「は、はい!」


 次いで飛び出た鈴音子さんと一緒に、僕は走った。

 見渡せる廊下には点々と、僕の敵である女子達。混乱に乗じて駆け抜けてみせる。

 僕が道を切り開くから、せめて鈴音子さんだけでも、と。

 ソラは取り巻きの女子にすぐかくまわれた。石をここで奪えるチャンスは消えた。

 いや、元より、そんな贅沢は無理か。

 僕は敵に迫って、ただ迫って。


「どいてくれ!」


 駆け抜けるのは鈴音子さんに限らず、僕でもいい。

 僕を捕まえようと伸ばされた手を、かわした。走る、右斜め前方に踏みだす、上半身をかがめる、それだけで、僕を狙う腕はすっと空を切った。

 僕は走る、鈴音子さんも走る。敵の只中をだ。


「きゃっ!」


 ちらりと振り向いた右隣では、鈴音子さんが足をとられ、転んでいた。

 助けたい、助けなければ、激烈な思いを殺して、足を止めはしなかった。叫ぶ。


「初葉!!」

「えっ?」

「お前も走れ! 有村に伝えるんだ! 黄色腕章が攻めてくるんだってな!」


 視界の端で、ソラが、きっと僕をもどかしそうに睨んでいるのは確認できた。

 矢琴、と、苛立ちまぎれに声をあげていることも。

 手を伸ばせば、初葉の左手を掴むことができた。手を引いて、走る。

 僕は全部、突き抜けた。











 僕に対する追っ手は数少なかった。振り切ることはそう難しくも無い。

 これだけ大胆な行動を起こしているのだ、僕が石を持っていないくらい、ばれてる。

 初葉とは別行動をとった。今頃、渡り廊下を伝って、有村のもとへ事実を伝達に向かっているはずだ。捕獲された鈴音子さんの安否は分からない。

 初葉が有村の元に向かったのなら、僕はまた、別の事をすべきだと思い立った。

 奈乃沙先輩に、助けを求めるんだ。奈乃沙先輩を、探すんだ。

 その旨は初葉に伝えておいたから、奈乃沙先輩と遭遇したくないであろう彼女は、伝達の仕事さえ終えれば、先に僕の家へと帰っていることだろう。


「……矢琴?」


 通りかかった階段の上層踊り場から、声が掛かってきた。男子の声だ。

 少なからず希望が生まれた。僕は笑顔になって振り向く――


「通人か?」











 説得はそう難航したわけでもなく、僕は奈乃沙先輩の元に連れられることとなった。

 隠れ家に連れられるのに、目隠しの類は必要ないらしい。なんと威風堂々としたことか。


「……何?」


 そして今。僕は、奈乃沙さんを目の前にしていた。

 歩くが末に辿り着いた部屋、体育館倉庫。

 親衛隊と思しき女子達が、僕に手厳しい視線をプレゼントしてくれる。

 どうやら通人も男子であるが故、女子連中にはよく思われていないようだ。

 彼と女子達の間にある棘のような空気の壁は、見ているに耐えがたいものがあった。棘は通人にのみ突き刺さっている。


「先輩」


 僕は、部屋の奥に語りかけた。

 先輩は倉庫一番奥の飛び箱に、しとやか、の一言が具現化したような座り方。

 視界のピントをずらせば、細やかなホコリが空気中に流れるのを感じる。

 彼女はホコリを越して、僕を見つめていた。

 本当にただ、僕を見ていた。じっと見ていた。ほんの少し、赤くなった。


「キミ……スカート、履いてきたんだ」

「!?」


 しまったそうだった。


「私と付き合って」 


 何だよその急な話の流れ!!


「僕は、スカート姿を見せに来たんじゃありません! ちゃんとした用件があって……!」

「……言わなくていい。承諾するから」


 なんだと……!? 僕はまだ事態の全容すら語っていないというのに、承諾された。

 やはりこの人は侮れない……。これだけの支持者を集める人望の成り立ちについては、成績の良さと頭の回転も一助となっているのだろうから


「確かにそろそろ、結婚しましょう」


 そんなことは無かったようだ。


「アイラブユー」


 アイでもラブでもユーでも無いよ、人の話を聞けよ!

 彼女の隣に立つ通人は、地に四肢をついて静かに絶望を吐きだしているようだった。











 事情をかいつまんで説明した。

 とにかく、助けてくれと。懇願する形で。


「……なるほど、用件は分かった。どうします奈乃沙さ

『お前は黙ってろメガネ』

『奈乃沙さんに喋りかけるなー!』


 通人と親衛隊の騒がしげなやり取りを他所に、僕は一対一で奈乃沙さんと向き合う。

 彼女は表情一つ変えず、ただ僕を見つめ、僕の語る話を見つめ、清楚に閉じた足を微塵も動かさない。


「……構わない」

「助けて、くれるんですか?」

「潤んだ上目遣いで私を見ないで。キュンとするから」


 ……。


 彼女たちにとっても悪い情報提供ではなかったはずだ。助けてくれるのは、その礼と言ってもいいだろう。黄色腕章の全戦力が僕たちに向いている、奈乃沙さんにとってこの状況は、黄色腕章を奇襲し、潰す


 絶好の好機。


「ただ、条件が一つある」


 すっと彼女が立てた指に対して、僕は赤トンボのようだった。その指に視線を止めた。

 通人を縛り上げた女子達もふいと、先輩を見つめる。


「大好きって言って」











 駆け足で帰れば、決戦には間にあった。

 初葉はきちんと有村への伝達を済ましていたらしい。

 到着したころにはもう、赤腕章の勇士たちは、中庭に立ち並んでいる。

 と言っても、つまりは僕のクラスメイトなわけだが。


『任せろ、お前らは俺たちが守ってみせる』

『俺らの真の実力、見せてやろうぜ!』


 取り決めもしていないのに、皆、妙な陣形に僕と有村を囲んで……勇ましさばかりは舐められたものではなかった。

 僕は有村と、二人。立ちながら、収まらない動悸に手を添え、ひたすら思う。

 死ぬかと思った。

 本当に大好きと言ってみたら親衛隊は取り乱し僕を襲おうとするわ、奈乃沙先輩は妙な行動を起こすわで……。


「どうした、顔が赤いぞ?」


 有村に言われたから、自分の顔を殴った。叩いた。つねった。地面に打ち付けた。

 頭から離れない光景を、僕は必死に振り払おうと、何かしたかった。

 まさか大好きって言ってみただけで、そんな嘘の言葉だけで、頬にキス……されるとは。

 口でないのが幸いだ。初めてがあれほど唐突なものならば、僕は今すぐ首をつって死ぬ。


「本当にどうした? ついに頭がおかしくなったのか矢琴。元からかもしれないが」

「お、お前こそ何でこんな時に落ち着いてられるんだ!」


 バサバサと、スカートの汚れを落としながら立ち上がった。ひどく滑稽だと思う。顔が赤いと思う。

 こんな時に……何を考えているんだ僕は。宙に、ため息と、腐った思考を一つに吹き出した。

 中庭の対極には、黄色腕章の女子達が、数人。動けずにこちらをただ、見つめている。

 いつ本隊がやってくるとも知れない。せめて時間の稼げそうな中庭で、僕たちは時を待つばかりだ。

 少し思う。

 ここで勝ち残ったとしても、これ以上の戦力を誇る奈乃沙先輩に勝つことができるのか。

 そもそも有村の独断で始まった、行き当たりばったりの、気持ちだけが先走った戦いだ。


「……矢琴!」


 中庭に配置された、花壇。中央には大きめの池。その全てを見越して、一人、現れた。

 ソラだった。中庭に降りる小さな階段で、苦しそうに僕の名前を呼んでいた。相当走ったらしい。

 前髪を留めたピンはともかくとして、珍しく髪をぼさりと振り乱している。


「来たな……」


 有村以外の男子全員が、一言も発さなかった。


「絶対、絶対男子には勝たせないんだから! 決めたのよ! 何をしてでも絶対!」


 彼女が前のめりに声を張り上げた直後、空から、状況に見合わない異音。

 中庭を包む校舎の上階、全ての窓が開かれていた。顔をのぞかせる女子、ざわり、騒ぐ男子。


「絶対駄目なんだから!! 絶対絶対絶対!!」


 顔を真っ赤にして、ソラが叫ぶ。感情の丈がキロメートル単位になりそうな、とても、必死な声。

 何があったんだ、彼女は。

 疑問に思う前に、「わあああ!!」一人の悲鳴と共に、仲間の全員がバラバラと動き出す。

 カチリ、パチリ。

 音を立てて、何かが地面にバウンドしていた。

 上階の女子たちが、えっさほいさ、僕たちに向けて何かを投げつけてきていた。


 また地面に何かが落ちる。カチリ、これは鉛筆。


 パチリ、これは定規。


 バサリ、これは教科書。


 ドガン、これは勉強机。


『うわぁああ!! 死ぬぅうう!!』

『ありかよそんなの! 助けて! 誰かあぁああ!!』


 まさに蜘蛛の子を~。僕と有村を囲み、強い決意に僕達を守り続けていた壁は、バラバラ。


「ちょ、ちょっと誰か! 誰か助けて!」


 身をかがめて走った、凶器の雨が怖かった。

 大丈夫だ……ここは仲間を信用しよう……! きっと皆、僕と有村を守ってくれるはずだ!


「誰か助けて!」


 感情のまま声をあげる。


『知るかぁあああ!!』


 駄目だコイツら!

 僕は走り逃げ惑う。前方の地面に、突然コンパスが数本突き立ち、行く手を遮られた。

 もう、しゃがんで目を瞑るしかなかった。

 しかしここまで過激な攻撃、良心の範囲で許されると思っているのか。

 憤りを長く心にとどめるだけの余裕もなく、僕はただ、時を待つ。

 次第に、降り注ぐものが少なく、少なく。

 完全に落ち着いたのを見計らって、ちらりと、目を開けて見た。

 周囲を見回せば、全員、何とか無事であるようだ。良かった。

 きっと有村だって無事――


「う……ぁ……矢……こ……」


 死にかけてる!!

 地面にうつ伏せで這いつくばり、こちらに手を伸ばす有村はまるでゾンビ、その類。絶対その類。

 思わずとも駆け寄って、奴の体を思いきり蹴り転がし、仰向けに寝かせた。


「有村! 何で! 大丈夫か、気をしっかり持って!」

「……無理……だ……死ぬ……だ」


 有村の声はかすれ、所々に何と言っているかの判別もつかない。方言みたいになってた。

 体を揺らしても、必死にすがっても、奴の状態が回復することは一向に有り得ない。


「俺は……おっぱい」


 肝心なところで何言ってるか分からない! お前はおっぱいじゃない!


「有村! 有村!」

「この石を……もっ……もっ……はぅんいぇぇい……」


 何言ってるか全然分からない! 奴は力なく震えた手で胸元から何かを取り出すと、俺に手渡す。

 石だ、琥珀色の丸い石。僕達が守りきるべき、それを託された。


『有村……力及ばず、守りきれなくてすまない』


 集って来る男子諸君黙れ。帰れ、今すぐ帰れ。


「よ、よーくん……」


 遠くで呟きが聞こえた気がした。ソラの声で。

 ふと思い出す、顔を振り上げれば、彼女はまだそこに居た。

 何て事をしてくれたんだ……! なんか有村死にそうじゃないか!

 幼馴染だからと、どうとも許せる問題じゃない。


「ソラ!!」


 有村の亡骸を踏みつつ、叫んだ。感情のままに。


「ひっ……」

「お前、何て事してるんだよ!」


 身をビクリと震わせた彼女なんて、初めて見た。僕は止まらなかった。

 立ちあがって、手を握って、ただ、それだけ。対しソラは一度身を引きそうになったものの、すぐに平常の体勢で。


「ば、奈乃沙先輩、来るんでしょ? 先輩なら絶対、矢琴のピンチは救おうとするから」

「……何を」

「そうなったら私は絶対負けるから! 支持してくれる皆と一緒に決めたの! 生徒会長になることも諦めた。でもその代わり、絶対矢琴達だけは倒すって!」


 腹の底からすっと疑問が全力で駆けのぼってきた。訳が分からない。

 僕たちだけは絶対倒す? 彼女は何を――


「覚悟しなさい!」


 指さされた、ソラの方向から、途端に聞きなれた地響き、足音、瞬時に分かった。

 女子達が迫ってきている。

 恐らくは、ソラと同色の腕章達が。僕の持つ石を奪い取るためにだ。

 奪い取られれば待つのは、僕が望まぬ未来ばかり。男子が望まぬ未来ばかり。


『おいおい来るぞ』

『……よし、行くか』


 ばらばらに各々の向くがままだった男子の仲間達が、足音の方へと歩み出す。

 横一列に並び、一人はこちらを振り向き、ここは任せろと。


『これくらいは俺達にもやれるさ。奈乃沙先輩達が来るまで、粘るだけだしな』


 さっきまでバカみたいだった癖に……妙に頼もしい、じゃないか。

 スカートの裾を、きゅっと掴む僕がいることに、今気づいた。


「矢琴、覚悟しなさい!」


 ソラの言葉。同時、ついに来た。彼女の背後からぞろりと現れた女子、女子、女子。

 中庭の男女における人口比率が続々と移り変わっていく。

もう女子は僕たち男子と同じだけの数、そしてそれ以上に、時がたてば、僕達の二倍に。

 ただ多くの人々が、僕に向けて一直線。


『みんな迎え撃つぞぉおお!!』

『おぉ!!』


 立ち向かう男子達。中庭中央の池を挟んで二手に別れ、威勢もばっちりにかけだした。

 対し、尚も迫り来る女子、壮観である。

どうにもならなそうな物量が、視界で感じる感じさせられる。

 呆然と、僕はただ見つめていた。それでも仲間が頼もしすぎて、逃げるという選択肢が頭に思い浮かばなかった。

 敵が来た。迎え撃とうと、構える男子。縮まる距離、圧倒的な物量。

 そして今、衝突。大地を震わすような突貫。衝撃、僕は戦いを見守って


『うぁああ!!』

『くっもう駄目だ! おいお前ら! 俺は逃げるから頑張っててくれ!』

『何それお前!』

『無理だ死ぬぅうう!!』


 一瞬で踏み倒された。

 女子達は、ペースの一つも崩すことなく、僕に向かって駆け続ける。

 踏みつぶされた仲間達は散り散りに逃げるか、女子に捕縛されているか。


「……えっ?」


 仲間弱い。ヤバい死ぬ。女子がこっちに。

 その経過で、大軍が途中の花壇を大きく二手に分かれている様は、川の水が流動しているようにも思えた。

 女子が、うん。

 大量の女子が、これはハーレムじゃないか? すごく幸せなことじゃないか? 思考が痺れる中にも、脳の芯で感じ取っていた。目の前の危機に、心臓が浮いたような感覚を。


「感謝しろ」


 それは不意にだった。押し付けるような、なのに澄んだ男性の声が、上階から響く。

 見上げれば、上階から僕たちに攻撃を仕掛けていた女子達は、一切の漏れもなく、青腕章の生徒達に、捕獲されている。


「これで上の女子は全員捕まえた。まぁ僕にとってはこの程度、朝飯前だがな」


 声が聞こえた方向に目を向ければメガネがキラリ以下略。


「……つ、ついに来たわね。先輩の支持者たちが……!」


 固い物を噛み潰すかのような顔で、遠くのソラが顔を歪めていた。

 しかし、その目から固い意志は消えたように思えない。

 僕はおぼろげな勝利を得たのかもしれない。

 背後の校舎内から、決して急がない足音が迫ってくる。きっと、助けだ。

 目前に迫り来る黄色腕章に背を向ける形で、僕は逃げ出した。

 中庭の出口に向け走り、勢い余る形で校舎に体を突っ込んだ。

 校舎内で視界を意識して張り巡らせる。その、広い広い廊下には……。


「来た」


 奈乃沙さんが先頭。

 廊下を埋め尽くさんばかりに集まった、個性も豊かな女子の集まり。

 例外も無くそれは二の腕に青色の腕章を飾り付けていた。


『負けないで矢琴君ー』

『男子を助けるのは本意じゃないけど、奈乃沙さんが言うから仕方なく……』


 口々に告げては、廊下を歩む女子の隊列は、徐々に進むべく速度を上昇させていった。

 たくさんの人たちが、僕の隣を通り過ぎる。


「……これで約束は、守ったから。ここでソラちゃんを討ち取れば、次からはどう足掻いてもキミは敵」


 奈乃沙先輩だけが通り過ぎざまに足を止め、顔をこちらに向けてくる。


「た、助かりました」

「可愛い」

「!?」

「そして……一つ、ずっと気になっていたのだけれど」


 こちらを見つめる先輩の瞳は、僕が知るどの黒より、胸を突く黒。

 にわかには信じがたいほどの真摯さ、奥行。

 直前まで人の事を可愛いなどと呟き告げていたとは思えないような、だ。


「初葉が、多分だけれど、キミの家に行ってると思う」


 吸い込んだ空気を途中で止めた。彼女は変わらず、僕を見つめている。

 どういうことだよ。何故ばれている。初葉が家出した背景には一体何があるというのだ。

 初葉は何を考えて、どうして僕の家に居る。そして先輩は何故気付いている。

 青腕章の工作員? それともただの――


「初葉が家出した原因は、ただの喧嘩。本当に仕方のない理由。気にしないで」

「……どういうことですか?」

「私が話すには、それは恥ずかしい内容だから」


 真摯な顔に赤みがさす。


「もしキミの家に妹が居るなら、帰って来るように伝えてほしいの。多分あの子、引っ込みがつかなくなってるだけなの」


 僕は一体、姉妹のどちらを信じればいい。











 僕達を圧倒的な捻り潰した黄色腕章が、更に圧倒的な物量で捻り潰されていく。

 多少の危険を覚悟して、僕は自ら戦場に向かった。僕がやるべきことは、残っていた。

 捕まった彼女を、助けださなければ。僕のせいで捕まったんだ、僕が助けるべきなんだ。


「――鈴音子さん!」

「あ、ゃ、矢琴君ですか?」


 あちらこちらで怒号やら悲鳴やら、足音やらが飛び交うこの場で、僕は足を止めた。

 縄に縛られ、ぺたりと中庭の隅にうずくまっていた彼女を、僕は見つけた。

 ソラの支持者に、ここまで連れてこられたのだろう。予想通り、そして好都合だ。


「悪かったよ、本当に……ごめん。僕は鈴音子さんを置き去りにして……」

「大丈夫ですよ。しかし捕まっちゃうなんて、私としたことが不覚ですよ」


 彼女の背に回って、縄を解きながらのやり取りだった。

 縄が太い上に、結び目が固いせいでどうも手先の不器用な僕には難しい。


「ごめんなさい、こんな手間をかけさせちゃって……」


 肩越しに振り返って僕を見る彼女は、遠慮がちに笑んでいた。哀愁があった。


「当然だろ。仲間だよ、僕達は」

「仲間……ですか? ……ありがとうございます」


 まるで音楽をのんびりと楽しむかのように、目を細めている。


「矢琴君は、どうして怒らないんですか? 私、こんなドジなのに」

「どうしたんだよ、らしくない。いつもみたいに私が一番すごいとか、言わないのか?」

「う、うん、私は最強ですけど」


 縄が解けると同時に、軽快な声、軽快な跳躍、彼女は立ちあがった。

 闘いに少しでも助力しようと言う気でもあるのか、鈴音子さんは戦場の只中に向けて、軽く走りだした。

 途中、振りかえってくる。ものすごく心を温めるような表情を、満面に浮かべて。


「ありがとうございます」


 これほど綺麗なお礼を言われるだけのことを、僕はしていたのだろうか。











 黄色腕章の女子達は次々と捕縛され、中庭の勢力図はもはや決していた。


「追い詰めたぞソラ!」


 僕が声を張り上げるまでもなく、状況は明らかだった。

 追い詰められたソラを助けに向かえる余裕は、もはや黄色腕章には残されていない。

 中庭のいたるところで繰り広げられる捕り物劇、足止め合いを背景にして、僕は十数人の青腕章と共に彼女を追い詰める。

 ソラは足を止めるしかなかった。池の周囲どの方向に逃げようとも、青い腕章、ところどころに赤い腕章。


「……そ、そんなぁ!」

「覚悟しろよお前!」

「やだぁ!」

「やだじゃないだろ覚悟しろ!」

「……やだ」


 今にも泣きそうだった。女子らしい、本当に女の子らしい怯え方だった。

 胸元に手を置き、今にも泣きそうになって、後ずさって。ソラじゃないみたいな。

 休み時間が終了するまでの猶予は少ない、もう容赦なく、奪うだけだ。


「覚悟しろよソラ、卑怯な手を使いやがって。有村死にそうになってんだぞ!」

「あ、あれは……ちょっとくらい怪我させるのも承知の上でやったことなの!」

「承知の上でやるなよ! 尚更駄目だろ!」

「知らないわよばーか! 矢琴のばーか! ばかばかばかばかばか!!」


 途中に息継ぎを挟んでまで『ばか』の言葉を繰り返すソラ。聞く耳持たずらしい。

 いい加減にしろ、少し苛立って追い詰めれば、ばかの嵐は止まった。


「諦めろ。もうお前の負けだ」

「うぅ……」


 恨みがましい感情を込めているらしい視線を僕に向けつつ、ソラは後ずさっていく。

 後ずさっていく。

 後ずさって……背後が池であることに、彼女は気付いているのだろうか。

 鯉を飼育するための、お世辞にも綺麗とは言い難い水たまり。藻の類で水面が緑色に染まっているように見える。

 弱々しく、震えるように下がる彼女の足は次第に足場のない池にまで。

 退き、退き、退き。宙に投げだされた足を置く地面は


「きゃぁっ!?」


 ふわりと、背中から落ちて行った。大きな音を立てて、噴水のような飛沫があがる。

 池に全身を飛びこませた彼女は……。


「や、やだ! ぶわぁやだぁ! 溺れ……っ。誰か助けっ……!」


 時折水を口に含んだ不安定な口調で、手足をバシャリバシャリと。

 ……誰も助けに行くことはない。僕もだ。

 今までのイメージで言えば、目の前で溺れているソラという少女は……運動も勉強も人並み以上にこなせた、リーダーシップのある秀才であった。

 幼馴染である僕が思うのだ、彼女はこんなにバカだったっけ……と。

 人物像の衝撃的な崩壊である。


「そらー」


 力を抜いた声で、呼びかけてみる。


「誰か助けてぇ!」

「それぐらい足つくだろうがお前」

「……え?」


 告げた瞬間、彼女がバタつかせていた手足を止めた。

 少しだけ、水底に向けて彼女の体がストンと落ちた。本当にただ、ストン、だ。

 彼女の顔が浸かるまでもなく、落下は止まる。彼女の座高で顔に浸かるまでの水深も、この池は持っていないのだ。ソラの奴、何気に浮き上がっていたわけである。

 きょとんと、パチクリ開いた目が、僕をじっと見ていた。ただただ呆けた表情で。


「……え?」


 こっち見るなよ。

 続いて彼女が周囲を見回せば……。あぁ、災難だな。

 全方位に池を取り囲む大量の女子、ちょっと男子。

 彼女はぐるりと、二回も低速で首をあちこちに回して、再び僕を見る。

 沈黙。結んだ唇を、震わせながら、ソラはやはり僕を見る。

 ソラの血流は例えるなら、上昇気流のようになっているのではないか。

 次の瞬間には、顔がボン。と赤くなった。僕を見つめていた。そして、表情が緩ませる。


「うわはぁ……」


 ソラは力なく、背中から池の中に倒れこ……気絶しやがった! 上半身が全部沈んだ!


「おい大丈夫か!」


 水の中からぽつぽつと上がってくる彼女の気泡、辺りは一気に騒がしくなる。

 皆が、一斉にソラの救出に動き出した。





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