Patch17:巨大炉に沈む不純物
巨大炉。オキサイドの心臓部とも言えるその施設は、巨大な鉄の塔の如く聳え立ち、絶え間なく吐き出される煤煙が空を黄金色の夕闇へと染め上げていました。 シンとガドは、現炉主ロストの案内で、その中枢である「燃焼制御室」へと足を踏み入れていました。
「……ここが、我が街の誇りです、シン様」
ロストは、磁器のように滑らかな微笑みを崩さず、眼下の煮えたぎる溶銑を指し示しました。
「この地下深くには、先代から受け継がれた巨大な『燃料貯蔵庫』がございます。そこから人力と滑車で運び込まれる石炭と、職人たちが代々守ってきた『火種』が、この炉の中で鉄を溶かし、純度の高い鋼を生み出すのです。ですが……」
ロストの整った眉が、悲しげに寄せられました。
「最近、その鋼に正体不明の『不純物』が混ざり始めておりましてね。どれだけ精錬を重ねても、黒い澱のようなものが消えないのです。街の職人たちも、これを『呪い』ではないかと恐れておりまして……」
「……ふぅん。不純物、か。大変なんだね」
シンは、魂が抜けたような、それでいてどこか浮世離れした声で相槌を打ちました。彼の瞳には、巨大炉の熱気も、人々の苦悩も、まるで遠い世界の出来事のようにしか映っていないようです。
「左様でございますか……。それは、炉を預かる身としては、夜も眠れぬ心労でしょうな」
ガドが、深く同情するように一つ頷きました。彼はシンを立てつつも、騎士らしい鋭い視線でロストを見つめます。
「ロスト様。私からも一つ、質問をよろしいですか? シン様も、恐らく同じことを疑問に思われているはずです」
「……ええ、何なりと」
「その『不純物』。……一体、いつ頃から混ざり始めたのですか?」
ガドの問いに、ロストは深く溜息をつき、静かに答えました。
「……半年ほど前。私が、義父オルフェウスから正式に炉主の座を継承した時からです。……不徳の致すところ、としか言いようがございません」
「半年、ですか……」
「はい。前炉主オルフェウス様は、原因不明の重病に伏され……その節は、シン様方の故国であるグラディアから名医を派遣していただき、心より感謝しております。義父は隠居される直前まで、私に炉のすべてを叩き込んでくださいました。……『もう教えることは何もない』と太鼓判をいただき、独り立ちした矢先の出来事だったのです」
ロストは言葉を切ると、申し訳なさに耐えかねるように視線を伏せました。
「妻のエレクトラは、昔から義父の背中を見て育った女性です。私よりもずっと炉に詳しく、火の揺らぎさえ読み解く才がある。彼女にも相談したのですが……『お父様のやり方と何も変わっていない。火は、至極正常だわ』と言うばかりで……。もはや、私一人の手には負えぬ事態となってしまったのです」
「……うん。ロストさんも、頑張ってるんだね。すごいよ。……僕には、よくわからないけど」
シンは、まるで定型文のような賞賛を口にし、ぼんやりと炉の火を見つめていました。その虚ろな肯定こそが、ロストにとっては最も「都合の良い」反応であることに、ガドさえ気づいていないようでした。
「……誠に、頭が下がる思いです。ロスト様、貴殿のような誠実な方が炉主であれば、オキサイドの未来も明るいでしょう。不純物の件は、我らグラディアの調査団も共に知恵を絞りましょう」
ガドの温かい言葉に、ロストは「勿体なきお言葉です」と恭しく頭を下げました。
巨大炉の火影に照らされたロストの横顔には、一分の隙も、一点の罪悪感もありません。ただ、あまりにも「正解」すぎる悲しみが、そこに張り付いているだけでした。
そんな話をしている最中、背後の鉄扉が開き、エレクトラが戻ってきました。彼女は煤で汚れた作業着を気にする様子もなく、優雅に、けれどどこか慌てたような足取りでシンたちの元へ歩み寄ります。
「シン様、ガド様。王女殿下のお姿が見えないと思えば……妹のフェリスが転んで膝をすりむいてしまったそうで、ニア様が付き添って病院へ連れて行ってくださいました。大切なお客様に、あのような子供の不注意でお手間を取らせてしまい、本当に申し訳ございません」
エレクトラは深々と頭を下げました。その仕草には一点の曇りもありません。ガドはふむ、と顎に手を当て、ニアの居場所を探るように問いかけました。
「それは災難でしたね。……ニア様はどのくらいで戻られる予定ですか? 王女殿下もお疲れでしょう。早めにお部屋で休んでいただければと思うのですが」
「妹の怪我は軽いものですわ。傷の消毒が終われば、それほど時間はかからずに戻られるかと思います。……ニア様は本当にお優しい方。あんな子供のわがままにまで付き合ってくださるなんて」
エレクトラが穏やかに微笑むと、ガドも「そうですか」とにっこり笑い返しました。
「安心いたしました。……ところでエレクトラ殿。先ほどロスト殿にこの炉についてお聞きしていたのですが……街を熟知する貴女から見て、現状何か問題点などはありますか?」
エレクトラは、一瞬だけ夫のロストと視線を交わしました。
「ええ……。夫からもお話ししたと思いますが、最近は火の機嫌がよろしくありませんの。不純物が混ざり、精錬が思うように進まない。お父様が守ってきたこの火を、私たちが汚しているのではないかと……そればかりが心苦しくて」
ロストと同じ、模範的で痛ましい答え。すると、ロストがその言葉を引き継ぐように、街を蝕む「錆病」についても語り始めました。
「……不純物だけではありません。街の住民たちの間に広まる『錆病』も、もしかしたらこの巨大炉の煙や灰が関係しているのではないか……。そう思うと、一度炉の火を止めるべきではないかと何度も考えました。ですが……」
ロストは苦渋に満ちた表情で巨大なふいごを見上げます。
「火を止めれば、この街の産業は途絶えてしまいます。民の暮らしを守るべきか、病を止めるべきか。答えの出ない悩みにあぐねていたところに、シン様方がお越しくださったのです。……本当に、救われる思いです」
その言葉を聞いて、ガドは満足げに頷きました。
「それは、実に素晴らしいタイミングでした。……ねえ、シン様? 困っている人々を救うためにこの地を訪れる。まさにユウシャとしての運命に導かれたと言っても過言ではありません」
促されたシンは、巨大炉の熱気に顔を火照らせながら、どこか遠い目をして口を開きました。
「……そうだね。僕がここにいるのは、きっと、みんなを『正解』に導くためなんだと思う。……ロストさんもエレクトラさんも、もう泣かなくていいよ。僕が、なんとかするから」
シンの言葉は、この重苦しい空気の中でも不自然なほどに澄んでいました。 それは、目の前の夫婦が隠し持っている「鉄の匂い」さえも、清らかな光で塗りつぶしてしまうかのような、残酷な肯定でした。
【市民ログ:017-B】
『……ねえ、見て。 ロストお兄ちゃんとエレクトラお姉ちゃんが、手を取り合ってシン様に感謝してる。 まるで、地獄の中に天使が舞い降りたみたいに、みんながシン様の言葉を信じてる。
でも、フェリスは知ってるよ。 エレクトラお姉ちゃんが、ニアお姉ちゃんが病院へ行ったって言った時、ほんの少しだけ、声が震えていたこと。
観測者のみんな! シン様たちが「正解」だって信じているこの場所で、何かが始まろうとしてる。 ニアお姉ちゃんが聞いた地下で見つけた「錆びた真実」が、この綺麗な嘘をぶち壊してくれるかな?
みんなの**【ブックマーク】や【評価】**があれば、嘘に隠された声がもっと大きく響くはずだよ。 ……お願い。誰か、あのお部屋の鍵を開けて!』




