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シンのユウシャ  作者: ねむ
第二章:第一の神器

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15/17

Patch15:巨大炉

 工業都市オキサイドの夜は、重苦しい。  巨大な炉から吐き出される煙は、月光をどす黒く濁らせ、街全体を錆色の帳で包み込んでいました。


 勇者一行は、炉主ヴァルカンの屋敷の最上階、豪華な晩餐会に招かれていました。


 並べられた銀食器は鏡のように磨き上げられ、ヴァルカンとエレクトラは、どこまでも誠実なホストとしてシンやガドに微笑みかけています。


「……ユウシャ様、お口に合いますでしょうか。この街の数少ない自慢、地熱で熟成させた葡萄酒です」


 ヴァルカンが注ぐ杯を、シンは無表情に口に運びます。その隣で、ニアは喉を通らない料理を前に、微かな震えを隠せずにいました。


 豪華な銀食器に並ぶ料理は、どれも絵画のように美しく、芳醇な香りを放っていました。けれど、ニアにはそれが、死者を飾る供え物のようにも、あるいは猛毒を隠した罠のようにも見えてなりませんでした。


 (……毒が入っているかもしれない。そうでなくても、今夜、寝静まった頃に……)


 ガドのあの冷たい微笑みが脳裏にこびりついて離れません。

自分が消されれば、兄シンは永遠に「物」として、ガドの操り人形のまま生きていくことになる。その不安が、冷たい汗となってニアの背中を伝います。


「……ふふ、シン様。本当にお見事な立ち居振る舞いです。ヴァルカン殿、エレクトラ殿、この街の平和は、この御方の光によって約束されたも同然ですよ」


 ガドはまるで旧知の仲であるかのように、ロストやエレクトラと楽しげに談笑していました。その光景は、あまりに「普通」で、それゆえに異常でした。  やがて、ガドはシンの虚ろな横顔をちらりと見ると、気遣わしげな表情を作りました。


「おや……シン様、少々お疲れのようですね。明日からの『救済』のためにも、今夜は早めに休まれてはいかがでしょうか」


「……そうだね。少し、休みたい」


 シンの機械的な言葉を合図に、晩餐会は切り上げられました。  用意されたのは、炉主の屋敷の客間。三人それぞれに、贅を尽くした個室が与えられました。


 「それでは、良い夢を」


 ガドの含みのある挨拶に、ニアは生きた心地がしないまま、自分の部屋の重い扉を閉めました。


 部屋に入り、カチリと鍵をかけた瞬間、ニアはその場にへたり込みました。


 (……ダメ。この部屋にいたら、殺される。寝ている間に、不具合として消されてしまう……!)


 心臓の鼓動が耳元でうるさいほどに鳴り響きます。彼女は震える手でシーツを握りしめ、数時間、闇の中でじっと耐えました。


そして、草木も眠る丑三つ時。彼女は意を決して、音を立てないよう、こっそりと部屋を抜け出しました。


 隙を見てこの屋敷から――。  

そう願いながら、暗い回廊を忍び足で進んでいた、その時です。


「――おや。どうなさいました、ニア様?」


 闇の奥から、低く、滑らかな声が響きました。

 ニアは凍りつきました。声のした方、燭台の微かな光が照らし出したのは、壁に背を預けて立っていたガドの姿でした。


「……っ!!」


 悲鳴を上げそうになる口を、自分の手で必死に抑えます。心臓が爆発しそうなほど跳ね上がりました。


「……あ、あのお兄様が……。お兄様が、とてもお疲れだったように見えたので……ちょっと様子を見に行こうとしただけです……っ」


 必死に声を絞り出し、無理やり理由をひねり出します。ガドは表情を変えず、ただ三日月のような細い目でニアをじっと見つめました。


「ほう……。兄を想う妹心、感服いたします。ですが、シン様がお疲れなのであれば、なおさら今は一人にしておくべきでは? 安眠を妨げるのは、救世主の管理マネジメントとしては感心しませんね」


 もっともすぎる正論。けれど、その声には「逃げられると思うなよ」という無言の警告が混じっていました。


「……そ、そう……ですよね。すみません。私、どうかしていました。……おやすみなさい」


 ニアは逃げるように自分の部屋へと引き返し、震える手でドアノブに手をかけました。一刻も早く、この男の視界から消えたかった。しかし、その背中に、粘りつくような声が追いすがります。


「ニア様? 震えていらっしゃるようですが……どうかされましたか?」


 心臓が跳ね上がりました。背後に気配を感じる間もなく、ガドが音もなく歩み寄ってきます。


「いえ、心配には及びませんわ……。少し、夜風が寒くて……」


 必死に言い訳を並べ立て、ドアを開けようとしたその時です。ドアノブを握るニアの白く震える手の上に、驚くほど冷たいガドの手が、重なるように置かれました。


 逃げ場を塞がれ、ニアの体が硬直します。ガドはそのまま顔を寄せ、耳元で毒を流し込むように囁きました。


「何か怖いことでもあったんですか? お話を聞きましょうか? ……そういえば、ニア様の様子がおかしくなったのは、確か――」


 昨夜の盗み聞きを見透かしているかのような、あるいはその記憶さえも「不具合」として処置しようとするかのような、執拗な口ぶり。ニアは恐怖を振り払うように、声を荒らげました。


「ガド様、この廊下は肌寒くて……っ! 風邪をひいてしまったかもしれないので、もう休みます!」


 縋り付くようなガドの手を振り払うようにしてドアを開け、ニアは部屋の中に滑り込みました。


「早めに寝ますね。ガド様、おやすみなさい!」


 無理やり会話を打ち切り、ドアを閉めようとしたその刹那。  閉まりゆくドアの細い隙間から、ガドの顔が見えました。彼は聖騎士らしい慈愛に満ちた、けれど瞳の奥だけが一切笑っていない三日月のような微笑みを浮かべ、静かに口を動かしました。


「……おやすみなさい。ニア様」


 カチリ、と錠が下りる音が響きます。  逃げ込んだはずの自室の中で、ニアは冷や汗で体が凍りつくのを感じていました。ベッドへと潜り込み、再び暗闇の中に閉じ込められた彼女は、ただ一人、ガドの残した「冷たさ」が消えない手を抱いて、震えながら夜明けを待つしかありませんでした。


夜が明けるまでの数時間は、ニアにとって永遠とも思えるほど長く、残酷な時間でした。

 ガドの冷たい指の感触が残る手を抱きしめながら、彼女は必死に考え続けていました。


(……私が明日、消されてしまうとしても。お兄様の中に、私という『傷』を残さなきゃ。システムがどれだけ上書きしても、消せないくらいの深い痛みを……)


 自分が死ぬかもしれないという極限の状態にあっても、彼女の思考のすべては、感情を奪われた兄をどう救い出すか、その一点だけに注がれていました。


 しかし、そんな死の予感は嘘のように、何事もなく朝が訪れました。    部屋を出ると、そこには昨夜と全く同じ、非の打ち所のない聖騎士の笑顔を浮かべたガドが立っていました。


「おはようございます、ニア様。昨夜はゆっくり寝られましたか? 風邪の具合はいかがでしょう」


 一睡もできず、目の下には薄い隈ができそうなほど疲弊しているニアでしたが、彼女は王女としての矜持を振り絞り、平然を装って微笑み返しました。


「ええ。おかげさまで、すっかり良くなりましたわ」


 それだけを告げると、彼女は背後に粘りつくガドの視線から逃げるように、シンの待つ広間へと急ぎました。その足取りを、ガドはまるで面白い仕掛けのおもちゃを観察する子供のような、邪悪な歓喜に満ちた目で見送っていました。


 豪華ながらもどこか鉄の匂いが混じる朝食の席で、ロストとエレクトラは切実に訴えました。


「シン様、まずは街の心臓部である『炉』をご覧いただけませんか? あの場所が再び清浄な炎を取り戻せば、民の心も救われるはずなのです」


 促されるまま、一行は巨大な炉へと向かいました。ロストの理知的な説明が響き、ガドは感心したように頷き、シンはただ虚空を見つめています。


その隙に、ニアは周囲に目を走らせました。


 (……お兄様を救う手がかり、ガドを出し抜くための何かが、どこかに……)


 その時、鉄骨の陰から、透き通るような金髪の少女がこちらを窺っているのに気づきました。その怯えたような、けれど何かを訴えかけるような瞳。

 ニアは「少し風に当たってまいります」と口実を作り、一人で少女の消えた方へと歩き出しました。


 炉を出て薄暗い路地裏に入った瞬間、ぐいっと服を引っ張られます。


「……っ!?」  


振り返ると、そこには涙をいっぱいに溜めた先ほどの少女が立っていました。小さな手が、ニアのドレスを震えながら握りしめています。


「お姉ちゃん、助けて……っ。あのね、お姉ちゃんが死んじゃうの!」


「……えっ? お姉ちゃん?」


「地下の部屋に……っ!」


そう少女が言いかけた瞬間、背後から冷ややかな声が響きました。


「――ニア様?」


 エレクトラでした。ニアは心臓が止まるかと思いましたが、咄嗟に少女を庇うように立ちます。


「あ、エレクトラさん。この子が困っているみたいで……」


 言いかけた瞬間、少女は大きな声で「お姉ちゃん!」とエレクトラへ駆け寄りました。


「フェリス、また抜け出したの? 外は危ないと言ったでしょう」


 その言葉に、ニアは驚きながら二人の顔を見比べました。


「……エレクトラさんの妹さんですか?」


「そうです。名はフェリスです。お恥ずかしい、末の妹でして。……フェリス、貴女、ニア様に何を?」


 エレクトラの瞳に鋭い光が宿ります。

ニアが慌てて「先ほどお姉さまが――」と言いかけると、フェリスは大きな声を出してニアの言葉を遮りました。


「お姉ちゃん! フェリス、転んじゃってお姉ちゃんのこと探してたの。そうしたら、このお姉さんが助けてくれたのよ」


 フェリスはそう言って、健気に笑ってみせました。彼女の膝には、先ほどできたであろう、赤く滲んだ擦り傷がありました。ニアはその不自然なほど必死なフェリスの表情と、差し出された傷を見て、言葉を飲み込みました。


(……この子、私が「助けて」と言われたことを口にしないよう、必死に誤魔化している……?)


 幼いフェリスなりに、この街と家族を支配する「恐怖」の本質を理解しているのだと、ニアは悟りました。


「私が責任を持って医務室へ連れて行きます。エレクトラさんは炉主夫人としての務めにお戻りになって」


 エレクトラは一瞬、不快そうに眉を寄せましたが、ニアの強い口調に押され、渋々その場を立ち去りました。


 二人きりになると、ニアはフェリスに案内され、街の診療所へと向かいました。  フェリスの治療を待つ間、診察室の重苦しい空気の中でニアは主治医と向き合っていました。


「先生……。この街を蝕む『錆病』について、教えていただけますか?」


 努めて穏やかに問いかけますが、医者は手元のカルテをめくる手を止め、視線を泳がせました。


「……王女様、それは……。街の説明通り、原因不明の風土病としか申し上げられません。我々も全力を尽くしてはいるのですが……」


「原因不明、ですか。では、先生のその手の震えも『原因不明』なのですか?」


 ニアの指摘に、医者は慌てて震える手を隠しました。窓の外、遠くで黒煙を吐き出す巨大炉を恐れるように見つめるその瞳には、医術の範疇を超えた「決定的な恐怖」が宿っています。


「先生、私はただの世間知らずな王女ではありません。貴方が隠しているその『怯え』は、無知ゆえの不安ではなく、見てはならないものを見てしまった者の顔ですわ」


「……滅相もございません。私は、ただ、炉主様のご期待に応えられぬ己の不甲斐なさに……」


「炉主様、ですか。ロスト様は確かに誠実なお方に見えます。……けれど、もし私がこの街の惨状を聖王国へ報告し、立ち入り調査が行われることになれば、最初に責任を問われるのは誰かしら? 治療法を見つけられず、真実を伏せていた医師……貴方ではありませんか?」


 ニアの声は次第に低く、逃げ場を塞ぐように冷たさを増していきます。


「……そ、それは……」


「答えなさい。私をここで黙らせるか、真実を話すか……どちらがこの街のためになるのか、貴方なら判断できるはずよ。さもなければ、私がこのまま聖王国へ帰り、貴方の管理責任を厳しく追求することになりますわ」


 その言葉は、淑やかな王女の仮面を脱ぎ捨て、泥を啜って生き延びてきた者が持つ、剥き出しの刃のような鋭さを持っていました。  ついに医者は折れ、震える手で眼鏡を拭い、誰にも聞かれないよう身を乗り出して囁きました。


「……前炉主のオルフェウス様がご病気で亡くなった、あの時からなのです」



【市民ログ:015-B】

い、言えません。これ以上は、ロスト様やエレクトラ様に知られたら、私は……。 ですが、もし皆様がこの街の『病』の行く末を見届けたいと仰るのなら、 どうか、その【ブックマーク】という印を……。 それが多ければ多いほど、私のこの震える声も、誰かに届くかもしれない。

……ああ、窓の外でふいごの音がする。 も、もう、お引き取りください! 誰かが見ているかもしれない……。 次の記録が更新されるまで、どうか……どうかご無事で



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