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シンのユウシャ  作者: ねむ
第二章:第一の神器

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14/17

Patch14:工業都市オキサイド

 

 翌朝、南西聖域の村は、不自然なほどの輝きに満ちた旅立ちの朝を迎えました。


「勇者様、万歳! 私たちの希望、シンの勇者様!」

「ああ、なんて素晴らしいお姿だ……。一生、この御姿を忘れません!」


 村人たちは総出で道に並び、狂ったように拍手を送り続けています。彼らの顔には、皮膚が張り裂けんばかりの満面の笑みが張り付いていました。

 頭上で「システムエラー! システムエラー!」と鳥たちがけたたましく鳴き喚き、不協和音で思考をかき乱していることなど、今の彼らには認識すらできていません。


 その熱狂の中心で、シンは白馬に跨り、ゆっくりと村の出口へ向かっていました。


 黄金の盾を携えたその姿は神々しく、民衆の目に「完璧な救世主」として映ります。


 しかし、その瞳には光を反射するだけの硝子のような空虚さしかなく、民衆の賞賛に頷く動作も、計算し尽くされた機械のそれでした。昨日、泥の冷たさに怯えた少年はもうどこにもいません。シンはただ、世界が望む「正解」の形を維持する無機質な偶像として、静かに民衆を見下ろしていました。


 その後方に続く馬車の中、ニアは背筋を伸ばし、王女としての気品を保ったまま平然と座っていました。窓の外で手を振る子供たちに、彼女は練習通りの柔らかな微笑みを返します。


 ――けれど、その膝の上で組まれた指先は、白くなるほど強く握りしめられていました。


 昨夜、確かに取り戻したはずの兄の「熱」。

 それが一瞬で吸い取られ、目の前で「物」へと成り果ててしまった絶望。


  (……お兄様、待っていて。今の貴方は、壊れたまま静止しているだけ。私が必ず、その檻を壊してあげるから)


 心の中で叫びながらも、彼女の表情は一片の淀みもない「幸福な王女」を演じ続けていました。もし少しでも表情を崩せば、隣を歩く監視者ガドに即座にデリートされることを、彼女は嫌というほど理解していたからです。


 一方、行列の先頭を行くガドは、溢れんばかりの慈愛を湛えた笑みで村人一人ひとりに会釈を返していました。


「皆さんの笑顔こそが、シン様の力となります。この平和を、永遠に大切になさってください」


   その言葉に村人たちは涙を流して感動し、地面に跪きます。ガドは満足げに目を細め、聖騎士としての「完璧なパフォーマンス」を完遂しました。


 一行が村の境界線を越え、背後の熱狂が遠のいたその時です。  ガドは馬上で一度だけ、用済みとなった楽園を振り返りました。彼の瞳から慈愛の色が霧散し、爬虫類のような冷徹な光が戻ります。


 彼は懐から黒い金属質の魔導端末を取り出すと、指先で淡々とログを走らせました。


「……リマスタ全員撤退。周辺データの抽出は完了した。これより、南西聖域のパッチ適用を解除する」


 ガドが画面上の「実行(Enter)」をタップした、その瞬間でした。


 村を包んでいた眩いばかりの「黄金の陽光」が、まるで古い布が裂けるように無惨に色褪せていきました。鮮やかだった花々は一瞬で茶褐色に枯れ果て、住民たちの記憶を繋ぎ止めていた魔力の糸がぷつりと切断されます。


 背後から聞こえていた歓声が、一転して、この世のものとは思えない絶叫と嗚咽へと変わりました。  パッチという麻酔を剥がされた世界に、数十年前から積もり続けていた「真実の痛み」が、津波となって押し寄せたのです。


 ガドはその悲鳴に耳を貸すことすらなく、前を向きました。


  「シン様、行きましょう。次の『正解』が、我々を待っています」


 絶叫が響き渡る村を背に、一行は荒涼とした街道を進みます。ガドの懐にある魔導端末が、リマスタ(聖和改修省)からの緊急通知を受信し、短く無機質な音を立てました。


 ガドは画面を流し読みし、わずかに眉根を寄せました。


  『……報告。次目的地「鉄の山脈」において、地形テクスチャの再定義に遅延発生。深層の怨嗟データが想定より重く、幸福パッチの同期率が30%に留まっています』


(チッ……仕事が遅い。管理権限を与えられているというのに、これしきのバグに手間取っているのか)


 一瞬だけ剥き出しになった苛立ちを、ガドは瞬時に「完璧な聖騎士」の仮面で塗り潰しました。


  「……まあいいでしょう。ゆっくりと作り上げなさい。シン様のユウシャログは、積み重なればなるほど、世界を統治するための強力なコードとなるのですから」


 ガドは端末をしまうと、シンに歩み寄り、優しく微笑みかけました。

 しかしその手元には、あたかも今、地図を確認したかのような自然な素振りで古びた羊皮紙が握られています。


「シン様、地図によればこの近くに、ひどく苦しんでいる民がいる街があるようです。流行り病か、あるいは魔物の呪いか……放っておけば、多くの命が失われるでしょう」


 シンは表情ひとつ変えず、ただ前方の何もない空間を見つめたまま、機械的な声で応じました。


  「……それは大変だね。僕が、助けなくちゃ」


「なんと慈悲深いお言葉だ! 流石はシン様、貴方こそが唯一無二の救世主です」


 心底心酔したような声を上げながら、ガドの視線はニアにゆっくりとスライドしていきました。三日月のような、不気味で不敵な笑みを浮かべます。


「ニア様……。シン様はこう仰っております。次の街へ向かう際、貴女も共に同行し、ユウシャ様の奇跡を間近で支えていただけますか?」


 その笑みの裏には、隠しきれない殺意が脈動していました。


(馬車の中であればシン様の目がある……だが、街に到着し、一度『勇者の奇跡』で混乱が起きれば、貴女一人を消すなど造作もないことだ)


 無言の圧力がニアの細い肩にのしかかります。


 ニアは心臓の鼓動が激しくなるのを必死に抑え、指先が震えぬようスカートを握りしめました。ガドの狙いは明白です。街に降り立ち、シンが「奇跡」という名のパッチ当てに集中している隙に、自分を「デリート」するつもりなのだと。


「……もちろんです、ガド様。お兄様の輝かしいお姿を、この目で見届けるのが私の役目ですから」


 ニアは精一杯の「偽りの笑顔」で返しました。  ガドの冷徹な演算と、ニアの死に物狂いの決意。  馬車の車輪が回るたび、二人の間で火花を散らすような緊張感が、ひりひりと大気を焦がしていきます。



 やがて、一行の前に現れたのは、巨大な鉄の門を構える工業都市**『オキサイド』**でした。


 門をくぐると、そこには意外な光景が広がっていました。  まるで一行がこの時刻に到着することを知っていたかのように、街の入り口には整然と出迎えの列ができていたのです。


「ようこそ、聖王国の希望、勇者シン様。そして、王女ニア様」


 門の先、整列した街の兵たちの中央で、一組の男女が深く頭を下げました。


 男の方は、仕立ての良い、けれど職人の動きを邪魔しない実用的な上着を纏っています。顔立ちは端正で、その眼差しには実直な誠実さが宿っていました。彼は一歩前へ出ると、右手を左胸に当て、凛とした声で語りかけます。


「私はこのオキサイドの『炉主』を務めております、ロスト・ヴァルカンと申します。勇者様御一行の到着を、八百万の神々と、この街の全ての火に感謝いたします」


 その立ち居振る舞いは、若くして工業都市の重責を担うリーダーとしての自信と、外から来た者への謙虚さに溢れていました。


 続けて、その隣に立つ女性が、流れるような動作で優雅な一礼を捧げました。 夜の帳を映したような深い色のドレスに身を包み、背筋を真っ直ぐに伸ばした姿からは、長年厳しい規律の中に身を置いてきたであろう、凛烈な気品が漂っています。


「炉主の妻、エレクトラ・ヴァルカンでございます。王女様、不慣れな土地でのお疲れを癒やす準備は整えておりますわ。この街が抱える『嘆き』に、こうして救いの手が差し伸べられたこと……亡き父オルフェウスも、天より喜んでいることでしょう」


 エレクトラの表情は崩れることなく真摯で、その瞳には街を想う真面目な憂いだけが浮かんでいるように見えました。


 オキサイドの統治者として、これ以上なく理想的な夫婦の姿。 シンは無感動にその二人を見つめ、ニアは彼らの放つ「完璧すぎる歓迎」の隙間に、名状しがたい薄氷を踏むような危うさを感じるのでした。


「……えっ? あ、あの……どうして私たちが今日ここに来ると?」


 ニアが戸惑いながら尋ねます。街道の状況は不安定で、正確な到着時刻など予測できるはずもありません。しかし、ヴァルカンは誠実そうな、温和な微笑みを浮かべて答えました。


「ここは職人の街ですから。街道を通る馬車の響き、風に乗って流れる気配……それらを総合すれば、貴方様のような尊いお方が近づいていることは、自ずと伝わってくるものなのです」


「左様でございますわ、ニア様。私共は、この街を救ってくださる『光』を、今か今かとお待ちしておりましたの」


 エレクトラが深く、優雅に膝を折ります。その完璧な所作に、ニアは胸の奥で小さなざわつきを感じました。予知していたかのような手際良さ。けれど、目の前の二人の表情には、切実な救いを求める「善人」の輝きしか見えません。


「……ガド。僕、何を聞けばいい?」


 感情の欠落した瞳でシンが隣を仰ぐと、ガドは慈父のような手つきでシンの肩を叩きました。


「この方々が何に苦しんでいるのか、聞いてあげてください。それがユウシャの役目ですよ、シン様」


「……わかった。何に、困っているの?」


 シンの問いに、ヴァルカンは痛ましげに街の中央にそびえたつ巨大な炉の煙突を仰ぎました。


「……『錆』なのです。数年前、偉大なる先代オルフェウスがこの世を去ってから、この街には奇妙な不運が続いております。どれほど手入れをしても、溶かした金属に不純物が混じり、名工たちの道具も次々と朽ち果てていく。産業の2割が、すでに機能しておりません」


 ヴァルカンの説明を聞きながら、ニアは周囲の建物や住民に目をやりました。  まだ槌音は響いており、表通りは活気があるように見えます。しかし、建物の隅や排水溝の周りには、見たこともないほど濃い、血のような赤黒い錆がこびりついていました。


 ふと、道端にうずくまっている一人の浮浪者が、ニアの視界に入りました。  その男の様子は、明らかに「普通」ではありませんでした。


「あ……あの、あの方は……?」


 ニアが指差した先。男の肌は土色を通り越し、まるで古い鉄板のように硬質化し、ひび割れた隙間から赤茶色の粉がこぼれ落ちていました。  エレクトラが悲しげに瞳を伏せ、そっとニアに歩み寄ります。


「……お気づきになりましたか。あれが、今この街を静かに蝕んでいる『病』。私共はあれを、忌むべき呪いとして『錆病』と呼んでおります。指先から始まり、やがては内臓までをも錆へと変えてしまう……。」


 エレクトラの声には、民を想う統治者としての慈愛が満ち溢れていました。  ヴァルカンの誠実な眼差し、エレクトラの献身的な振る舞い。  

 

 しかし、ニアの背筋を走る、正体不明の悪寒は消えません。  この完璧すぎる「悲劇の舞台」に、自分たちが招かれたような、そんな薄気味悪さが、オキサイドの煙と共に肺の奥へと吸い込まれていきました。


【市民ログ:014-B】

「……、皆様。私たちのささやかな街の記録を、最後まで見守ってくださり感謝いたします。私は炉主のロスト、そして隣におりますのが妻のエレクトラです。

勇者シン様という尊い『光』をこのオキサイドに迎えられたこと、これ以上の誉れはございません。私共はただ、この街に蔓延る『錆』を払い、かつての輝きを取り戻したい……その一念で、皆様の助けを待っておりました。

もし、この街の行く末が気にかかりましたら、どうか【ブックマーク】という名の楔を、皆様の心に打ち込んでおいてください。皆様のその小さな関心が、私たちの炉に新たな『燃料』を注ぐことになるのですから。

……ふふ。勇者様がこの街をどう『浄化』してくださるのか、今から楽しみで仕方がありませんわ。

さあ、次の記録でお会いしましょう。皆様の魂が、決して錆びつくことのないよう祈っております」

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